第297話

 わたしたちだけ『特別』でいられるわけがない。

「真面目な話、マーベラスプロはSPIRAL一強の推しを改めて、観音玲美子とパティシェルの援護を厚くしてるのよ。SPIRALのキャラクター性じゃ、女性や長期的なファンの獲得は見込めないもの」

 刹那の分析はおそらく的を射ていた。

 実際、SPIRALのファンは男性が圧倒的に多いうえ、ファンの入れ替わりが激しいと聞くわ。表面上の数字は断トツでも、基盤は意外に脆いということ。

 逆に玲美子さんやパティシェルは、ファンの定着率が高い。ターゲット層も老若男女と幅広く、数字に説得力があるわけ。

「女性ファンにしても、パティシェルの場合はほら、小さな子どもからお婆さんまで楽しめるのよ。正直、うちのメンバーは脅威を感じてるくらい」

「それだけじゃないわ、刹那」

 口を開いた時には、確信が言葉になってた。 

「みんな、それだけ死に物狂いでアイフェスを目指してるのよ。歌が上手とか、ダンスは得意とかじゃなくって。本当に好きでやってることだから、手強いの」

 そうよ、わたしたちは大事なことを見落としてる。

 咲哉のワタナベサウンドにわたしが羨望を抱いたのも。パティシェルの甘ったるいラブソングに、どこか覇気さえ感じるのも。

 技術や品質の良し悪しではない『力』が、存在するから。

 わたしは歌が好きよ。明松屋千夜の娘に生まれ、歌とともに育ってきたわ。

 だけど、わたし以上に歌を愛してるひとが、いるかもしれない。そのひとの歌を聴いた時、わたしは素直に耳を澄ませることができる……?

 自分より愛が深いひとを、心から認めることができるかしら?

 歌いたい。でも、歌うのは怖い。

 その理由が少しずつ見えてきた気がする。

「……と。そろそろ予鈴ね」

 刹那は出しっ放しのお弁当箱を片付け始めた。

「一応、胸に留めておいてちょうだい、杏。さっきの占いの話」

「わかったわ」

 わたしは鞄を開け、荷物をまとめる。

「杏? 午後の授業は?」

「ごめんなさい。病院に行くから、今日は早退するわ」

 刹那の占い、まさかとは思うけど……。

 せっかくの忠告を無視するほど、愚かなつもりはなかった。


 同じL女の奏は、聡子さんに誤魔化してもらうとして。

 わたしはやけにフットワークの軽い矢内さんの車で、ママの病院へ向かった。

「お見舞いだろ? ゆっくりしておいで」

「ありがとうございます。それじゃ」

 パパに聞いたのは、確か……301号室ね。

 ノックのあと、聞き慣れた声で『どうぞ』と返事が返ってきた。

 わたしのママ、明松屋千夜は白いベッドの上で、雑誌を読んでる。窓辺には誰かが持ってきたらしい、鮮やかな橙色のフラワーアレンジメントが飾ってあった。

「来てくれたのね、杏。学校は?」

「早退したの。昨夜はママの寝顔しか見てないから」

 顔色も声色も健康そのもので、ほっとする。

「ごめんなさいね。驚いたでしょう? 杏」

「驚いたなんてものじゃ……慎吾もすごく心配してたのよ」

「今回ばかりは何も言い返せないわね」

 ママは枕を背もたれにして、寝るというより座ってた。梅雨の空も今日は珍しく晴れてるから、窓を開け、カーテンを遊ばせてる。

「お医者さんにも散々怒られちゃったわ。ふふっ」

「その通りよ。忙しいのはわかるけど……そうそう、学院長からも『お大事に』って」

「色んなところに飛び火しちゃったようね」

 あれから一夜が明けて、わたしも事の重大さを認識した。

 あの明松屋千夜が倒れたんだもの。オペラ界は上へ下への大騒ぎで、マーベラスプロも右往左往、母校のL女学院まで動揺したんだから。

 ひとまずマーベラスプロが先手を打ち、『胃潰瘍のため入院』と情報を公開。病名と経過を明らかにしたことで、世間は驚きつつも冷静に受け止めてくれた。

 元気になったら記者会見を開いて、経緯を説明するんですって。

「検査は終わったの?」

「まだよ。でも、もう心配はいらないでしょうって、先生が」

 読みかけの雑誌を閉じ、ママは伸びをした。

「それより退屈でたまらないのよ。今夜にはパパがプレーヤーを持ってきてくれるんだけど……。ロビーの自販機まで行って、戻るのも、二回で飽きたわ」

「じゃあ、出歩いてもいいのね」

「ええ。けど、ほかの患者さんに見つかっても困るから」

 こうしてママと話すうち、不安は薄れ、お見舞いに来たわたしのほうが落ち着く。

 わたしが寮に入ってからは、家で顔を会わせる機会もなかったわね。久しぶりの娘を相手に、ママは興味津々に質問を被せてきた。

「アイドル活動はどう?」

「概ね順調よ。先月は咲哉……あの九櫛咲哉が仲間入りして、話題になったし」

「会ったことはないけど、知ってるわ。確か杏と同い年の」

「高校に入りなおしてるから、まだ二年生なのよ」

 たまには報告もしなくちゃね。

 ママが倒れなかったら、わたし、家族のことも顧みずにツアーに出発してたところ。

 そのツアーの最中にママが倒れ、間に合わなかったりしたら……? 今回は現実にならなかっただけの想像が、わたしにまた不安をもたらす。

 ママがぽつりと呟いた。

「あなたのツアー、どこかで折を見て、覗いてみようとは思うんだけど」

 わたしのステージを見に来てくれる――?

 なのに嬉しさを差し置き、戸惑いが込みあげた。

「そんな……倒れたばかりなんだし、無理しなくても……」

「来週には復帰できるのよ? 問題ないわ」

 ママが、明松屋千夜がNOAHのコンサートを見に来る?

 まさか一般のファンに混じって、なんてことはないでしょうけど。昨日は吐血し、倒れもした身体を押して、わたしの晴れ舞台を応援に来てくれるのよ。

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