第233話
「とにかく井上社長の許可も降りましたし、当日は頑張りましょう!」
溜息もそこそこにして、聡子さんが私たちに発破を掛ける。
「はいっ! アイドル同士でゲーム対決かあ……どんなゲームで勝負するんだろ?」
勝ち負けは別にして、楽しみになってきちゃった。奏ちゃんや咲哉ちゃんもゲームの内容は気になるみたいだね。
「あまりバラエティー色が強いのは嫌よ? 水場の上で綱渡りする、とか」
「テレビゲームだと触ったことがないから、ちょっと……」
そういえば、ゲームセンターもすっかりご無沙汰だなあ。ゴールデンウィークにリズムゲームの新作が入ったらしいけど。
リカちゃんと杏さんは決意を込めて言いきった。
「何にせよ、最優先事項はゲームのあとのケーキよね? 杏」
「ええ。お仕事である以上、食べなくっちゃいけないわけで……当日まで、みんなもお菓子は一切、禁止にしましょう」
ふたりの宣言に私や奏ちゃんは呆然。
「え……私たちも?」
「お茶会を断わるって選択肢は、ありえないのね……」
ダイエットの第一人者こと咲哉ちゃんは苦笑いを浮かべる。
「無理に我慢しなくってもいいのよ? お菓子だけじゃなくって、食事も。急に減らしたりしても、かえって新陳代謝が狂いかねないもの」
「そうそう。余計なストレス抱えるだけよ、やめときなさいって」
しかし咲哉ちゃんや奏ちゃんに何と言われようと、杏さんたちの決意は固かった。
「お菓子を我慢するくらい、どうってことないったら。それにアイドルたる者、節制と自己管理は意識して当然でしょう?」
「もう決めたのっ。キッチンに置いてあるポテチは、この企画が終わるまで封印!」
本当にプロ意識で言ってるのか、それとも当日は全力でケーキを平らげるために言ってるのか……も、もちろん前者だよね、うん。
「アタシたちが食べそうになったら、止めてくれていいから」
「そこは他力本願なのね……まっ、頑張ってみたら?」
まだまだダベり足りない私たちに、聡子さんが釘を刺す。
「明日も早いんですから、順番にお風呂に行ってくださいよー。特に結依さん、また熱を出したりしないよう、夜更かしは厳禁ですからね」
「は~い」
前回はパティシェルにも迷惑を掛けちゃっただけに、ぐうの音も出なかった。
次の日の夜、私は咲哉ちゃんと一緒に闇の中、キッチンで待つ。
「いつもなら、そろそろ取りに来るはずだけど……」
食器棚の一角では昨日から、杏さんのパッキーとリカちゃんのポテチが置き去りにされてた。まさか昨日の今日で――とは思うものの、テーブルの下で息を潜める。
不意に廊下のほうから灯かりが差した。
(来たみたいだよ、咲哉ちゃん)
(焦らないで。聡子さんかもしれないもの)
ほかのメンバーに気取られまいと、キッチンの照明は点けず、誰かが忍び足で入ってくる。テーブルの下から見えるのは、やや丈の長いスカートだった。
杏さんで間違いない。
私たちがテーブルの下に隠れてるとも知らず、杏さんはそろりと食器棚へ近づいた。そして廊下のほうを確認しつつ、音もなくパッキーを回収しようとするの。
ところが、そのタイミングで杏さんを懐中電灯のライトが襲った。
「……え?」
私と咲哉ちゃんの生温かい視線に今さら気付いて、杏さんは口角をひくひくさせる。
「どうしたの? 杏ちゃん。わたしたちのことは気にしないで」
「どーぞ、どーぞ。杏さんの大好きなパッキーですよ?」
杏さんが『お菓子は我慢しましょう』と宣言したのは、昨晩のお話。なのに、こっそりスイーツを回収に来たうえ、その決定的瞬間を目撃されたんだもん。杏さんはばつが悪そうに空笑いを浮かべ、パッキーをもとの場所へ戻した。
「や、やっぱり今度にするわ。今度に……」
そして私たちの視線を避けるように、すごすごと退散していく。
「ほんとに我慢できなかったんだね、杏さんってば」
「我慢することでもないのに……」
暗闇の中、隣で咲哉ちゃんが声を落とした。
「杏ちゃんもリカちゃんも必要以上にダイエットを意識してるのって、やっぱりわたしが加入したせいじゃないかしら? カフェでもお砂糖がどうとか言ってたでしょう?」
新メンバーが既存のメンバーと軋轢を生む――それを心配してるのかも。
でも私はNOAHのみんなを信じてた。杏さん、リカちゃん、奏ちゃん、それからもちろん咲哉ちゃんもね。
「ダイエットで一喜一憂できるくらい、お互い気兼ねがいらなくなってきたんだと思うよ? 杏さんなんて以前はもっと余所余所しかったもん」
咲哉ちゃんは安堵の笑みを綻ばせた。
「うふふっ。センターの結依ちゃんにそうフォローされちゃ、ね」
「もっと仲良くなれるよ、きっと。……ん?」
またもドアが静かに開いて、薄暗いキッチンに一筋の光が差し込む。
私と咲哉ちゃんは息を殺しつつ、その気配を探った。抜き足、差し足……と、慎重な足の運びで棚へ近づいていくのはリカちゃん。ポテチを見つけ、おもむろに手を伸ばす。
その決定的瞬間を、私の懐中電灯がライトアップ。
「――エッ? さ、咲哉に……結依も?」
リカちゃんの表情に驚きが走る。
「あら、持っていかないの?」
「どーぞ、どーぞ」
私たちにとっては愉快な、リカちゃんにとっては気まずい空気が立ち込めた。
そもそも『食べそうになったら止めて』と言い出したのはリカちゃんであって、私と咲哉ちゃんはその意思を尊重してるんだよ?
それは本人もわかってるはずで、渋々とポテチを棚へ戻す。
「えぇと……今夜はやめとこーかな? うん」
リカちゃんはぎくしゃくとした足取りでキッチンを出ていっちゃった。
私と咲哉ちゃんは懐中電灯の光越しに顔を見合わせる。
「……やりすぎちゃったかも?」
「ケーキで本気を出すための通過儀礼なのよ、多分」
そこへ奏ちゃんがやってくるや、アルトボイスの悲鳴をあげた。
「ひゃあああっ? あ……あんたたち、こんな暗いとこで何やってんの?」
「えぇと……怪談?」
テーブルの下、私と咲哉ちゃんの顔だけが懐中電灯で浮かびあがる。
杏さんとリカちゃんの行動原理が似てるってこと、今回の実験でよくわかった。
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