第225話

「表現力ね……。歌い手の心情がどうとかって、杏がよくブツブツ言ってるわ」

「明松屋さんが?」

「そう、あの歌姫様が。まだ『表現』ってのが掴めないらしいわ」

 もちろんあたしにとっても他人事じゃなかった。

 どれだけハイレベルな曲が書けても、稀有な歌唱力に訴えても、伝えたいものが聴き手に伝わらないことには、意味がないのよ。そんなの、ただの技術の押し売りでしょ?

 ギターにしたって、テクニックと表現力はまったくの別物だもの。

 だからこそ、井上さんは伊緒のポテンシャルに目をつけた。

 指先にまで至る細やかな所作のすべてが、ダンスにぞっとするほどの深みを与えるの。壮大なオーケストラや魅惑的な舞台演出も相まって、バレエは一個の物語となる。アイドルのステージと同じ――なんて言ったら、バレエの先駆者たちは怒るかしら?

「そういう言葉にできないものって、どうやって養えばいいんだか……」

 また響子が先輩風を吹かす。

「だったら、もっと色んなものを鑑賞するべきね。水族館とか」

 思いもよらない言葉が出てきて、あたしは呆気に取られた。

「……は? バレエを観ろ、ってんじゃなくて?」

 面白そうに伊緒が口を揃える。

「お魚さんも色々考えてるんだよ、きっと。マンボウとか目と目が合う感じするもん」

「別になんだっていいのよ。映画でも、サーカスでも。バレリーナだって年がら年中、バレエばっかり観てるわけじゃないんだから」

 言ってることはわからなくもなかった。

「歌からあえて距離を取ってみるのも大事……ってことね」

 実際にあたしは去年、自分の歌に固執するせいで、周りが見えなくなってたもの。歌の問題は歌でしか解決できないと思い込んでたから。

 ほんと視野狭窄よね。あたしも杏も同じ泥沼に嵌まってたわけ。

「にしても、バレエ一辺倒の響子から、そんな台詞が聞けるとは思わなかったわ」

「私だって健全な女子高生なのよ? バレエ以外のことだって、当然」

「じゃあ、彼氏は?」

 響子先生の顔色が一息のうちに苦々しくなった。

「そんな縁があるように見える? この私に。ゴボウなんてどうでもいいの」

 あたしと伊緒は溜息を重ねあわせる。

「はあ……」

 だめだわ、こいつ。桁外れの美人ってことに自覚がない……。

「な、何よ? ふたりして」

「響子ちゃんの表現力って何だろーな、って思っただけ」

 もうちょっと……こう、スレてない美女とお近づきになりたいものね。


 そのあとは三人で買い物して、夕飯も一緒して。

 はこぶね荘でいつもの面子に報告すると、咲哉が響子の写真に目の色を変えた。

「奏ちゃん! この子は誰っ? ストレートで降ろしてるほう」

「バレリーナの工藤響子って子よ。あたしが通ってたバレエ教室の、先生の娘さん」

「ほかのショットはないの?」

 響子の容姿端麗ぶりはファッションモデルも唸るほどらしいわ。

 脇からリカもあたしのケータイを覗き込む。

「ふぅーん。会ったことない子ね」

「彼氏はって聞いたら、ゴボウに興味はないって」

 ジャガイモに長ネギ、それからゴボウと……男の子の価値は駄々下がりね。

 咲哉は響子のショットに見入ってる。

「この写真、貰えないかしら?」

「いいけど……友達なんだから、変なことに使わないでよ」

「ええ。でも善は急げって、言うでしょう?」

 何のことやら。

 しかしまさか、これがきっかけで……ねえ? 数年後、響子がクレハ・コレクションの舞台に立つことになるなんて、この時は夢にも思わなかった。


                   ☆


 学校によって、行事って違うんだね。

 咲哉ちゃんの高校には定番の『運動会』があるけど、私の高校にはそれがなくって、代わりに『球技大会』を六月の頭に開催するの。

 私は中学時代の部活経験を活かして、バスケットボールへ出場することに。

 リカちゃんはバレーボールに出場するも、一回戦で敗退し、応援にまわってた。バスケットボールのコートに駆けつけ、私に声援を飛ばしてくれる。

「いっけ~! 結依っ!」

 バスケットボールは二回戦にして三年生と当たってた。

 学年ごとにクラスの数は多くないし、総当たりできるほどの時間や体力もない。だから一年も三年も横並びでトーナメントをやるんだよ。

「みさきち、お願い!」

「任せて!」

 パスを受け取りつつ、私はゴールまでのルートを瞬時に見極める。

 ブランクはあるはずなのに、はっきりと見えた。右から迫ってくる敵を、いっぱいまで引き寄せて……すかさず左に抜けたら、一気に直進。

 小刻みなドリブルでボールを制御しながら、相手チームの守備を突っ切る。

「えっ? も、もうあんなところまで?」

 ごめんなさい、三年の先輩がた。

 私の爆走によって引っ掻きまわされ、三年生のチームはすっかり足並みを乱してた。フォーメーションは機能しておらず、あっちもこっちもがら空きになる。

「イモティー!」

「了解!」

 その隙にパスを繋いで、クラスメートのイモティーが華麗にゴールを決めた。

「ナイスアシスト、みさきち!」

「えへへっ。イモティーもシュート、ありがと」

 相手のフォーメーションは崩れてたとはいえ、私への守備は厚かったから、イモティーに任せるほうがベターと判断したの。

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