第223話

 週末はライブやイベントで出番がない限り、アイドル活動もお休みよ。

 あたしは咲哉のアドバイス通りに変装したうえで街へ繰り出す。朱鷺宮奏も今や一端の有名人ってことで、聡子さんにも気をつけるように言われてるから。

 道中でポスターのリカと目が合うの、不思議な気分だわ。世間は玄武リカを美化しすぎてんじゃないのって思わなくもなかった。

待ち合わせ場所の喫茶店に入ると、ちょうどケータイに催促のメールが届く。

 一番奥の窓際……あぁ、あれね。

「お待たせ」

 椅子の背もたれ越しに声を掛けると、伊緒が振り向き、つぶらな瞳を輝かせた。

「奏ちゃん! えへへ、久しぶりだね」

「連休も結局、会えず終いだったものね。そっちも忙しかったんでしょ?」

 VCプロであたしと一時期デュオを組んでた、美園伊緒よ。

 同い年とは思えないほど引っ込み思案で、ちょっと天然が入ってて……自棄になってたあたしの目を覚まさせてくれた、恩人でもあるかしら。

 伊緒はバレエの方面で実力を認められ、この春から実業団に入ったの。それがなかったら、今頃はNOAHのメンバーに数えられてたかもしれなかった。

 一緒に活動続けたくって、泣いたりしたっけ……。あれを結依に見られたうえ、慰められちゃったのは一生の不覚だわ。

 今日は久しぶりに伊緒とデート、楽しまなくっちゃ。

「早く座ったら?」

 そのつもりが、すげない一言に水を差されてしまった。伊緒の隣で気怠げにコーヒーを呷ってるのは、バレリーナの工藤響子。

 あたしが通ってるバレエ教室の先生の娘で、舞台だって何回も経験してる。

「私が一緒じゃ不服ってカオしてるわよ? 朱鷺宮さん」

「き、気のせいでしょ。響子も久しぶり」

 平静を装いつつ、あたしは伊緒たちに向かいあって腰を降ろした。アイドルだってことがばれないよう、伊達眼鏡越しに注文を済ませる。

「ご注文は何になさいますか?」

「とりあえずコーヒーと……食事はあとよね? ふたりとも」

「うん。お買い物が終わってからだよ」

 喫茶店は待ち合わせに使っただけだから、ブラックコーヒーで。

「あなた、お砂糖は? ダイエットでもしてるの?」

「あたしはずっとブラックなのよ。あぁ、砂糖といえば、リカと杏が――」

 一服しながら、あたしたちは春からの近況を報告しあった。

 伊緒はバレエ団への入団に合わせて、全寮制の高校へ転入したんだって。カリキュラムにダンス科があって、バレエ団とも関わりがあるそうよ。

「一緒に入った、あの子……園部さんも?」

「うん。ほんとは今日も誘ったんだけど、奏ちゃんに遠慮したみたい」

 響子がしれっと口を挟む。

「そりゃあ、話題のアイドルが一緒だもの。気後れのひとつだってするでしょうよ」

 伊緒は『そっか』と苦笑いを綻ばせた。

「まだ実感ないよ、奏ちゃんが本当にアイドルだなんて……えへへ」

 それはあたし自身、思ってる。

 花のあるリカや咲哉なら、アイドルでも不思議じゃないわ。でも朱鷺宮奏は別段可愛いわけでもないし、芸能界で目立った実績もないでしょ?

 歌唱力と音楽知識がなかったら、どこにでもいる女子高生よ。

 かといって、センターの結依みたいに牽引力があるはずもなく……ねえ? あたしは肩を竦め、投げやりにかぶりを振った。

「あたしがアイドルなんて、今でも何かの間違いと思ってるくらいよ。前のバンド仲間もポカンとしてたもの」

「あっ、マリちゃん? ナオヤくんとはどうなったの?」

「……話す価値もないから、それ」

 伊緒と同じ目線のあたしを眺めつつ、響子が呟く。

「確かにこうして話してる分には、アイドルとは思えないわね。普通の女子で」

「でしょ? その程度なのよ、あたしなんて。別に卑下して言ってるんじゃないけど」

 それでも伊緒は瞳を期待の色で満たした。

「まだまだこれからだよ。新メンバーも入ったんだし」

「まあね」

 可愛い伊緒に発破を掛けられちゃったら、くよくよしてられないか。

 もちろんキャリアに歴然たる差があるからって、杏やリカに負けるつもりはなかった。あたしには作曲のスキルと、成長中の『歌声』があるもの。

 ファンも少しずつ気付き始めてた。

「お母さんも応援してるわよ。ソロで歌ってるところも聴きたい、って」

「そっちはまだ練習不足で……ね」

 声変わりによって手に入れた、この声の低さに。

 アイドル歌手はみんな女の子ならではの、高音域で歌うものでしょ。ところが、あたしの新しい声は低音域に特化していた。

 この声で明松屋杏と合わせると、楽曲にびっくりするくらい深みが出るのよ。もっと上手く使いこなせるようになれば、きっとNOAHの音楽性を高められるほどに。

 そう考えるうち、あたしの強情なプライドも随分と柔らかくなってた。

「自分でも信じられないのよ。昔は自分で歌わないと気が済まなかったのに……松明屋杏の引き立て役も悪くないか、なんてふうに思えたりして」

 今だって『この歌声で朱鷺宮奏をアピールしてやる』とは思ってるのよ? あたしは一流のミュージシャンを目指して、NOAHに入ったんだから。

 響子のしたり顔がちょっと腹立つ。

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