第194話
週末、わたしは蘭さんのブティックへ。
ステージ衣装の製作や歌の練習で、年が明けてからはあまりシフトに入ってなくて。今日はそのお詫びと、また今後のことで、二重に頭を下げる。
「勝手なお話でごめんなさい。このお仕事、すごく楽しかったんですけど……」
ブティックを辞めることにしたの。
一年以上も腐ってたわたしにとって、とても大切な場所よ?
蘭さんに『うちのお店で働くことから始めない?』と誘われた時は、正直なところ半信半疑だったわ。本当にこれでファッション業界に復帰できるのかしら、って。
でも働いてみると、新しい発見の連続だった。この経験がなかったら、クレハ・コレクションで三次選考まで進むこともなかったでしょうね。
蘭さんはむしろ安心したような笑みを綻ばせる。
「もう立派なデザイナーだものね、咲哉ちゃんも。こうなる気はしてたわ」
開店までまだ時間があるうちに、わたしたちは商談用のテーブルを挟んで、腰を降ろした。蘭さんのブティックを眺めるだけで、無性に名残惜しい。
だからこそ正直な気持ちを打ち明けて、きちんとお別れしたかった。
「最初のうちは……モデルが無理ならデザイナーで、なんてふうに思ってたんです」
背中に傷痕があるわたしにとって、モデルへの復帰は不可能に近い。でもデザイナーとしてなら可能性がある、慰めになる――そんな打算がなかった、とは言い切れないわ。
わたしはデザイナー業をモデル業より『下』に見ていたの。いつかは自分で仕立てた洋服を着て、モデルのお仕事を、なんて思ってたくせにね。
だけどブティックに務めながら、デザインの勉強をやりなおすことで、わたしは自分の甘さを思い知らされた。結局は服を『着ること』しか考えてなかった自分を。
でも服を『売ること』や『作ること』を通じて、ファッションの奥の深さを知った。
「ステージ衣装を作って、その舞台を見届けて……わたし、デザイナーのお仕事の大きさがやっとわかった気がするんです」
わたしはまだデザイナー道の、ほんの入り口に立ってるに過ぎないの。
たった一度、なんとかお仕事をやり遂げただけ。そのお仕事にしても、ああすればよかった、こうすればもっとよかった、なんて反省が無限に湧いてくる。
「モデルとデザイナーで二足の草鞋なんて通用しない、って。今ではそう思ってて……実は悩んでるんです。本当にNOAHに入っていいのかな、と……」
上手く言えなかったけど、蘭さんは意を汲んでくれた。
「本気でデザイナーを目指したいのね」
「はい」
わたしは蘭さんの目を見て、しっかりと頷く。
本当はデザイナー業一本に絞るほうが賢明だった。今後もVCプロ所属のデザイナーとして、アイドルの衣装を担当しつつ、服飾の勉強もして。
高校を卒業したら、洋裁の専門学校に進んで、資格を取るの。
どのみちファッションモデルは寿命が限られるお仕事よ。三十を過ぎたら、もうモデルだなんて言ってられなくなる。
その一方で、デザイナーには寿命がなかった。実力がある限り、ずっとファションに関わって生きていける。
「お母さんはデザイナーの道に進んで欲しいそうで……」
「もうひとつの選択肢がアイドルじゃ、そう言いたくもなるわね。うふふ」
デザイナーとしてのわたしには今、強い追い風が吹いていた。それを無下にしてまで、ファッションモデルへの復帰ばかりを求めるのは、間違いに思えて……。
そんなわたしの葛藤を、蘭さんは最後まで受け止めてくれた。
「咲哉ちゃんはきっとモデルに戻るのが怖いんだわ」
「怖い……?」
その手がわたしの長い髪をそっと撫でる。
「モデルの時にたくさんつらい経験をしたから、また同じことになるんじゃないかって」
「……それもあるかもしれません」
中学校ではハブられ、なのにお仕事では大怪我して。
モデル業に拘ったら、また同じ失敗を繰り返す――そんな予感はしてるの。
今は学校の友達に恵まれ、お仕事のほうも充実してるわ。デザイナーとしての実績も増えつつあり、展望が開けてきてる。
だからこそ、ここで欲を出して、何もかも台無しにしたくなかった。
「とにかくステージに立ってみることね。咲哉ちゃんは」
そう言って、蘭さんがわたしのおでこを突っつく。
「バックダンサーのお仕事はいい機会よ。モデルのお仕事とは勝手が違うでしょうけど、舞台の経験が背中を押してくれるかもしれない」
蘭さんの助言に井上さんの言葉がだぶった。
『経験がないから経験するのよ』
デザイナーのお仕事もそうだったわ。実践して、色んなことが掴めたもの。
幸いにして、わたしがステージに立つチャンスは用意されていた。三月末に開催されるSPIRALのコンサート。バックダンサーとして、アイドルの舞台へ。
「もちろん私個人としては、咲哉ちゃんとはデザイナー仲間として、これからもお付き合いしたいと思ってるのよ。蓮もあなたには懐いてるし」
「蘭さん……本当にありがとうございます」
ブティックを辞めようとするわたしを、誰よりも応援してくれる蘭さん。
蘭さんの期待に応えるためにも、嘘偽りのない気持ちで決断しなくちゃいけなかった。
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