第187話

 会場となるメインホールに大勢の観客が詰める。

 やがて照明が落ちて真っ暗になった。

「ただいまより第8回クレハ・コレクションを開催致します!」

 司会の声が響くとともにステージがライトアップされる。

 ふたつのスポットライトがメビウスの輪を描きつつ、中央で重なった。そこから眩い光が弾け、ランウェイへと輝きを散りばめる。

 最初にステージに現れたのは、主催者の呉羽陽子さん。

「みなさま、今年もこのクレハ・コレクションにお集まりいただいたこと、心より感謝しておりますわ。これはわたくしのための祭典ではなく、ファッションを愛するみなさまのためのセレモニー。どうぞ本日は心ゆくまで、ごゆっくりとご堪能くださいませ」

 そもそもスポンサーが陽子さんの会社だから、利益を度外視した、趣味が高じての祭典なのよ。だからこそ純粋にレベルが高い。

 クレハ・コレクションは一部と二部に分かれ、総勢三十名のモデルが登場する。

 誰が出てくるかは、半数くらいは当日まで秘密だった。それもクレハ・コレクションの醍醐味のひとつで、また祭典の独自性を保つ手段になってる。

 お金で役者を決める年末の歌番組とは、スタンスからして違うってこと。

 間もなく第一部が始まる。

「うわあ~! ドキドキしてきちゃったよ、私」

 隣の結依ちゃんは興奮のあまり、顔を紅潮させてた。

「出演するのはSPIRALの有栖川刹那とぉ……順番ってわかる? 咲哉ちゃん」

「それは出てきてからのお楽しみね。でも有栖川刹那は後半じゃないかしら」

 わたしは出場者でもないのに緊張しつつ、モデルの登場を待つ。

 本当は胸の中にわだかまりが残ってた。

 一昨年は年齢の関係で出場できず、去年は怪我でそれどころじゃなかったでしょ。

 今年はモデルでもなければ、この祭典に作品を提供できるほどのデザイナーでもない。そんなわたしにクレハ・コレクションを見届ける資格はあるの――ってね。

 一番手は有栖川刹那と一緒にいた、あのひと。

「セシリーヌさんです、どうぞ!」

 銀色の髪を靡かせながら、美々しい脚でランウェイを闊歩する。

 ファーつきのコートといい、冬のコーディネイトね。

 彼女はランウェイの先端まで歩み出ると、厚手のコートを剥がした。それを小脇に抱えつつ、華麗なターンを決めるの。

 ステージ後方のスクリーンにはピックアップが映し出された。

 司会の実況にも熱が入る。

「クレハ・コレクションの先陣を切るのは、現役大学生のセシリーヌ=メグレズ! 洋服はシャッセー所属の大型新人、篠宮栄子氏によるデザインです!」

 おおーっと大きな歓声があがった。

 いきなりモデルは無名の新人で、洋服を手掛けたデザイナーも新人だったんだもの。なのに、それを感じさせないだけの風格を漂わせてる。

 アマにもこれほどの人材がいる――だったら、プロって何なのかしらね。

 ……そう、クレハ・コレクションは『プロ』なんて肩書きを必要としないのよ。モデルに輝きがあるなら、洋服が素晴らしい出来なら、キャリアを問わずに認められる。

 逆にキャリアがあっても、建前だけのものは通用しないんだわ。

 昔の九櫛咲哉を陽子さんが歯牙にもかけなかったように。

 モデルがランウェイに登場するたび、ひとりずつじっくり時間を掛けて、洋服の詳細が解説されていく。陽子さんがじきじきに寸評を添える場面もあった。

「主張の強いユニオンチェックを抑えることで、奥ゆかしさがグッと引き立てられておりますでしょう? 応募作品の中では一番に採用を決めた、将来性のある作品ですわ」

 本当に自分の目で審査したからこその所見ね。

 リズミカルな曲に合わせて、続々とモデルがランウェイを突っ切っていく。

 いつしか、わたしは夢心地でそれを眺めてた。クレハ・コレクションという大舞台を。ファッション界を牽引する、スタイル抜群のモデルと、珠玉の作品の数々を――。

 そこに九櫛咲哉はいなかった。

 お仕事のために孤独な中学時代を過ごして、やっとのことで芸能学校に入って。

 と思いきや、事故で何もかも失ってしまった、惨めったらしい失敗作。

「第一部は終了しました。二十分の休憩を置きまして、引き続き第二部を開催致します」

 急に照明の明るさが戻ってきて、目が眩む。

 結依ちゃんは蘭々と瞳を輝かせた。興奮冷めやらない様子でまくし立てる。

「みんな、すごい迫力だったね! もう圧倒されちゃった」

 その一方で、わたしの口数は少なかった。

「そうね……」

「あんなふうにステージをぶっち切ったら、気持ちいいんだろーなあって。エヘヘ」

「ええ」

 客席にいるのが無性につらくなって、おもむろに席を立つ。

「……咲哉ちゃん?」

「ごめんなさい。お手洗いに行くだけ」

 NOAHでこれから大活躍する結依ちゃんを、巻き添えにはできないでしょ?

 わたしは会場を出て、ふらふらと……人気のない場所を探す。

 開演の前は有栖川刹那がモデルと話してた、あの回廊に差し掛かった。ここは内緒話にもってこいだったのね。エレベーターや化粧室からは大きく外れてる。

「ふっ……」

 誰もいないと思った途端、涙腺が緩んだ。

 緩んだなんてものじゃないわ。壊れちゃって、涙が止まらない。

 ――悔しい。

 悔しくってたまらないのよ!

 わたしが、わたしもあのステージに立てるはずだった。カリスマファッションモデルの九櫛咲哉として……立てる……はずだったのに!

 あの事故でわたしはすべてを失った。

 九櫛咲哉の姿も、その未来も。

 そしてデザイナーとしても才能には恵まれず……傷ついた背中を一生背負って、生きていかなくちゃならない。

 デザイナー部門の二次選考を突破して舞いあがってたのが、馬鹿みたいだわ。

 結局は落選して、指を咥えて見てるだけ。

『やり残したことがあるなら、戻ってきなさい。ほかでもないあなた自身のために』

 そんなこと、陽子さんに言われるまでもなかった。

 やり残したことなんてたくさんある。ありすぎて、数えきれないほどに。

 でも届かなかったの。

 それどころか、デザイナーとしての才能のなさを痛感させられた。わたしはもうモデルの九櫛咲哉じゃない、ただの渡辺咲哉。おめおめと生き残ってるだけの――。

「ひっぐ、う、うぅ……?」

 力いっぱい嗚咽を漏らそうとした時、背中に柔らかいものが触れた。傷ついた背中越しに、誰かの抱擁を感じる。

「思いっきり泣いていいからね、咲哉ちゃん。涙が止まったら、一緒に戻ろ?」

 結依ちゃんだった。わたしを心配して、追いかけてきてくれたのね。

 この子がセンターに選ばれたの、わかる気がする。

「ごめ、なさい……ありがとう、ゆっ、ゆいひゃん……!」

 こんなふうに泣きじゃくったのは、あの事故から初めてのこと。

 熱い涙がわたしの感情を裸にした。

 悔しいんだ、こんなに悲しいんだってことが、今になって自覚できる。

 わたしに足りなかったのは、これだったのかもしれない。

 女の子は涙の数だけ強くなる――。

 これって、何のフレーズだったかしら。

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