第186話
「え? わたしだけで?」
「うん。すぐ追いかけるから」
咲哉ちゃんには先に喫茶店へ行ってもらって。
私、御前結依はさっきのグループを探す。
咲哉ちゃんのことで聞きたいことがあったの。こんなふうに出しゃばるべきじゃないって、頭ではわかってるけど……何も知らずにはいられないから。
九櫛咲哉は私の中学でも有名だった。咲哉ちゃんがきっかけでRENAの購読を始め、ファッションに詳しくなった友達もいるくらいだもん。
なんたって当時は同じ中学生。だから、みんなも一緒に背伸びした。
女の子なら身だしなみは整えて『普通』とか、お化粧はできて『当然』とか、ファッションはそういう義務でやるものじゃないんだって。みんなで楽しみながら少しずつ身につけるものだって、教えてくれたのが、まさに九櫛咲哉なの。
私も咲哉ちゃんの真似をして、初めて自分でルージュを買った。私にはまだ早いみたいで、大事に仕舞ってあるけど……あの買い物で大人に近づいた気がする。
もうモデルなんて枠組みは超えてた。
同世代の私たちにとって、九櫛咲哉はアイドル。
そんな咲哉ちゃんが高一になって早々、急に姿を消した。一ヶ月ぶりにRENAに写真が載ったのが最後で、いなくなっちゃったの。
その咲哉ちゃんが一年の時を経て、VCプロにいた。
本当は本人に聞きたかったよ? どうして活動を休止してたのって。
けど、何か事情があったんだと思う。引退の公表さえできないような事情が。
それを、芸能学校の生徒さんなら知ってるかもしれない――そう思ったら、確かめずにはいられなくなった。
彼女たちの後ろ姿を見つけ、荒い息遣いとともに声を掛ける。
「あのっ、待ってください!」
「……?」
グループのひとりが足を止め、振り向いた。
「あなたは九櫛さんと一緒にいた……」
「御前結依、です」
何からどう聞けばいいかわからないし、時間もない。
だからストレートに尋ねるしかなかった。
「知ってたら教えてください。咲哉ちゃんはどうして、その……ファッションモデルを急に引退しちゃったんですか? だって、あんなに人気があったのに……」
専門学校生のみんなは神妙な面持ちで黙り込む。
「それは……」
「お願いです! 部外者がこんなこと……余計なお世話かもしれませんけど」
それでも私は切に頭を下げた。
正面の生徒さんが躊躇いがちに口を開く。
「実は私たちも本当のことは知らないのよ。ただ、噂にはなったわ。九櫛咲哉は交通事故か何かで怪我をして、引退を余儀なくされたんじゃないかって」
ほかの面々も声のトーンを落としつつ、相槌を打った。
「九櫛さん、半月くらい学校も仕事も休んでたことがあって……そのあと、RENAに一ヶ月ぶりに載ったんだけど、これが……ねえ?」
「新作のお披露目なのに、背面のショットがなかったの。おかしいでしょう?」
事故、怪我、そして後ろ姿――。
モデルの咲哉ちゃんがお仕事できなくなった理由が、読めてくる。
怪我の痕が残ってるんだ。
「そんな……」
ショックが大きすぎて、膝が折れそうになる。
「あなたが気に病むことないわよ」
「御前さん、だっけ? 九櫛さんのこと、よろしくね」
専門学校生のみんなは寂しげな笑みを浮かべ、去っていった。
入れ替わるように、そこを井上さんが通り掛かる。
「結依? 咲哉とは一緒じゃないの?」
私は声を震わせながらも、井上さんに尋ねた。
「井上さんはご存知だったんですか? 咲哉ちゃんの……怪我のこと」
一瞬にして井上さんの顔色が変わる。
「……聞いたのね。本人から?」
「いいえ。さっき咲哉ちゃんの、昔のお友達に会って……それで」
「ああ、専門学校の。なら知ってても不思議じゃないわ」
井上さんはふうと息をついた。
そして、どういうわけかスーツの上着を脱ぎ始めたの。さらにブラウスの袖を捲り、左腕を私の眼前に持ってくる。
そこには古い傷痕が刻み込まれていた。
「私も同じ事故で、ね。あの時、現場に居合わせてたから」
これと同じものが、咲哉ちゃんの身体にも……?
「撮影の最中に天井から機材が落ちてきたのよ。私はこの通り、左腕を骨折する程度で済んだけれど……あの子は背中に直撃を受けて。本当に危ないところだったわ」
ぞっと寒気がする。
「奇跡的に背骨も脊髄も損傷なし」
「で、でも! 咲哉ちゃんはモデルだから……」
「……ええ。しかも、これから夏って時にね」
モデルの九櫛咲哉は致命傷を免れたものの、背中に痕が残った。
冬服ならまだしも、夏場の薄着じゃ隠しきれないよね。
そのせいで咲哉ちゃんはモデルを引退し、マーベラスプロも辞めざるをえなかった。そんな咲哉ちゃんに、井上さんは手を差し伸べて、VCプロへと招き入れたんだ。
「じゃあ、咲哉ちゃんが活動を休止してるのは……」
「あの子が再びモデルとして立ちなおるまで、まだ時間が要るのよ。それがいつになるかは、わからない。でも、私は彼女を応援したいと思ってるわ」
井上さんが優しい笑みを綻ばせる。
「それって、傷が残っててもモデルはできる、ってことですよね?」
「もちろんよ。今年は間に合わなかったけど、来年のクレハ・コレクションには必ず」
まだ救いはあった。咲哉ちゃんの前には道が開かれてるの。
それは遠まわりかもしれない。険しい道のりかもしれない。でも、九櫛咲哉が立つべきステージにはちゃんと続いてる。
「クレハ・コレクションには咲哉も思うところがあるでしょうから。今日はあなたが傍でしっかり支えてあげてちょうだい、結依」
「はいっ!」
九櫛咲哉のファンとして、何かできることが嬉しかった。
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