第175話

 次の日は朱鷺宮奏っていう、アーティストの卵に教わることに。昨日と同じ練習用のスタジオで合流して、まずは挨拶を済ませる。美園伊緒って子も一緒ね。

 奏ちゃんはわたしの名前に小首を傾げた。

「モデルの九櫛咲哉……? ごめん、音楽関係じゃないと、ちょっとわからないわ」

 本当に興味がないみたいで、表情が冷めきってる。

 対照的に伊緒ちゃんは興奮してた。

「すっごい有名人だよ! 中学生の頃はいつもRENAに載ってて……咲哉ちゃんに会えるってわかってたら、お母さんが持ってるバックナンバー、持ってきたのに~」

「ごめんなさい。今は活動を休止してるのよ」

 雑談がてら、わたしはふたりのファッションレベルをチェック。

 伊緒ちゃんのほうはRENAの読者だけあって、私服も小綺麗にまとまってた。多分、服よりも靴や小物に拘るタイプね。

 なんといっても、佇まいに品があるの。脚線の魅せ方を知ってるんだわ。

「もしかして……伊緒ちゃんって、バレエをやってたりしない?」

「そうだよ。わかるひとには、やっぱりわかるんだね」

 バレリーナなら納得よ。靴が好きなのも、トゥシューズに思い入れがあってのこと。

 でも奏ちゃんのセンスも悪くなかった。ホットパンツに銀色のアクセを引っ掛けて、小悪魔めいた魅力を醸し出してるの。

 昨日の杏ちゃんとは大違いね……ううん、高校生ならこれくらいが普通かしら。

 井上さんの話では、このふたりもいずれNOAHに加入させたいとのこと。だけどまだ確定したわけじゃないから、秘密にしておくように、と釘を刺されてる。

「ふたりはバンドを組んでるって聞いたわ」

「あたしがギターで、この子がピアノよ。といっても、まだ結成して三日だけどね」

 伊緒ちゃんは恥ずかしそうに俯いた。

「バンドなんて無理だよ、わたし……ピアノはブランクもあるし」

「やる前から何言ってんの。ほら、音合わせから始めるわよ」

 内向的な伊緒ちゃんを、負けん気の強い奏ちゃんが引っ張ってるのね。

 やがて奏ちゃんは手持ちのギターで、伊緒ちゃんはスタジオのキーボードで準備に入った。わたしはマイクの前で曲を待つ。

「ごめんなさい。わたしの練習に付き合わせちゃって」

「少しくらいなら構わないわよ。前のバンドも辞めちゃって、時間はあるから。……そうね、伊緒が弾けるやつで、あんたの歌がどんな感じか、聴いてみましょ」

 ギターに少し遅れて、キーボードもメロディを奏で始めた。

 これなら知ってるわ。『大きな古時計』よ。

「あぁーあ! あー、ああ~っ!」

 ……っと、マイクの音量が大きすぎたかしら? 

 なんてことを思った時には、奏ちゃんも伊緒ちゃんもひっくり返ってた。

 キーボードの下で伊緒ちゃんが起きあがろうとして、頭をぶつける。

「え? 今の、咲哉ちゃんが歌ったの……?」

 奏ちゃんは痛そうに耳を押さえてた。

「完っ全に壊れたステレオね。目覚まし時計には使えると思うわ」

「『大きな古時計』よ?」

「だから古い古くない以前に、ぶっ壊れてんでしょーがっ!」

 んもう……酷いこと言うわね。

 やっと奏ちゃんも起きあがり、それでもわたしのために解決法を探ってくれる。

「社長も無茶言ってくれるわ、ほんと。……まあリズム感は及第点として、音階がデタラメなのが問題ね。伊緒、ちょっとどいて」

「ん? いいよ」

 奏ちゃんの手がキーボードの鍵盤に触れた。

「今から出す音を、ドレミファソラシドで答えて。これは?」

「えっと……そ~?」

「じゃあ、これ」

「ふぁ~?」

「これは」

「多分……し~?」

 傍らの伊緒ちゃんが口元を引き攣らせる。

「今のは順番にド、レ、ミだよ……」

「ソファシはこう。あんた、音感のほうは絶望的ね」

 そもそもわたし、耳で聴いた音を『ドレミ』で判別できるなんて、知らなかった。

「音楽のない別の宇宙から来た、異星人かなんかじゃないの? あんた」

「ちゃんと地球で生まれた、地球人よ? 失礼しちゃうわね」

 奏ちゃんは腕組みを深め、うーんと唸った。

「とりあえず『きらきらぼし』あたりを正しく歌えるようになりましょ。歌い出しはあたしと伊緒で歌うから、あんたは途中から自分のタイミングで入って」

「聴いた音を真似して、出すだけでいいからね。大丈夫」

 杏ちゃんの時よりはまともなレッスンが始まる。

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