第173話
「う~ん……地味な色合いのが多いわねぇ」
「秋物だと夏物に比べて、みんなロートーンになりがちですから。色が明るすぎても、周囲とチグハグ感が出ちゃうんですよ」
「私が今着てるのに合わせるなら、どのスカートがいいと思う?」
「トップは華やかにまとまってますし……こちらのベージュのロングで相殺して、奥ゆかしさを引き立てるとよさそうです。もしくは、この……」
だんだん調子も出て、怜美子さん相手に気後れすることもなくなってきた。
「……ふふっ」
ふと怜美子さんが小さな笑いを零す。
「あの……わたし、何か?」
「ごめんなさい。あなたが楽しそうにあれもこれも勧めてくれるから、つい」
いつの間にやらわたし、怜美子さんにスカートを三枚も押しつけてたの。さらにもう一枚を手にしたポーズで赤面する。
「す、すみません! わたしったら夢中で……」
「いいのよ。好きでないとできないお仕事でしょ、これは」
そのスカートを受け取りつつ、怜美子さんは姿見の前に立った。
「ところで……あなた、RENAは読んでるの?」
忘れもしないファッション誌の名が、不意打ちでわたしに動揺をもたらす。
「去年までは……」
「あら? 情報源になるのに?」
あれから一度として買うこともなかった。
RENAには長らくお世話になったから、愛着はあったわ。編集さんもプロ意識が高くて熱心だったこと、ちゃんと知ってる。
けど、不自然に背面のショットだけカットされた、あの屈辱――それが胸に残って、わだかまってる限り、わたしはRENAを手に取る気になれなかった。
怜美子さんがぽつりと呟く。
「あの雑誌、今月と来月で部数が振るわなかったら、年末で廃刊なんですって」
「え……?」
何を告げられたのか、すぐには理解できなかった。
もしわたしが今もRENAでお仕事してたら、死刑宣告にだってなったはずよ。でも、今のわたしはそれを遠い世界の出来事のように感じてる。
「あのRENAが……そんなに部数を落としてたんですか?」
「ええ。一時期はすごい勢いだったのにね」
もともとRANAはファッション界を牽引する情報誌で、呉羽陽子さんが記事を担当したこともあるくらいなの。
わたしもRENAの読者モデルに投稿したのが、始めの一歩だったわ。
そして――自分で言うのも何だけど。九櫛咲哉のブレイクによって、RENAは売り上げを何倍にも伸ばし、ついにはファッション誌の域を超えた。
女性誌なのに、男の子が買うくらいだったのよ?
それほどの情報誌が廃刊だなんて……。
「急にどうしてですか?」
「別に『急』ってことでもないのよ。去年からずっとね」
怜美子さんはしたり顔でやにさがると、おもむろに人差し指をわたしへ向けた。
「九櫛咲哉。あなたが載ってないから」
素性を言い当てられ、わたしはぎくりと表情を強張らせる。
「……気付いてたんですか? わたしのこと」
「まあね。印象は変えてるようだけど、どこかで見た顔つきだと思ったの」
じゃあ玲美子さんはわたしを九櫛咲哉と知ったうえで、接客を……。
「ここで会ったのは本当に偶然よ。蘭さんに挨拶するつもりで寄ったら、九櫛咲哉と鉢合わせだなんて……うふふ。世間は狭いわね」
「観音さんは蘭さんと?」
「このお店に通ってるうちに、ね。馴染みだと色々とオーダーもしやすいでしょ」
つまり蘭さんのブティックは、観音怜美子さんの御用達だったってこと。今の今まで知らなかったわ……蘭さんは芸能人のプライベートに関して口が堅いから。
「RENAは読む気になれないでしょうから、教えてあげる」
怜美子さんはスカートをラックに戻しつつ、淡々と話し始めた。
「九櫛咲哉の背中に傷痕があると知って、RENAのお偉いさんがたは浮き足立った。そして急きょモデルを替え、何事もなかったみたいにやり過ごそうとした」
わたしは押し黙り、怜美子さんの言葉に耳を傾ける。
「この判断が失敗だったのよ。RENAにとって」
去年の初夏、RENAが九櫛咲哉を見限ったのは当然のこと――そう思ってたわ。痛々しい痕が身体に残ってるモデルを、誰が好き好んで使うっていうの?
稼ぎ頭の九櫛咲哉を失ったことで、RENAはただちに次の手を打った。九櫛咲哉の存在を徹底的に封じ込めながら、別のモデルを起用。
特集も次号からすり替えて、表向きは平常運転を装ったわけね。
怜美子さんは呆れてた。
「人気のモデルが忽然といなくなったのに、説明のひとつもないものだから、読者からクレームが殺到よ。特に男性読者はあなたが目当てで買ってたから、怒るのも当たり前」
自分が降りたあとのことなんて、考えたことさえなかったかもしれない。
「それで部数が一気に……?」
「まずはあなたのおかげでフィーバーしてた分が消えるでしょ? なのに男性読者を繋ぎとめようとして、派手なグラビアを載せたりなんかして……はあ。もちろん今度は女性読者が怒り出して、悪循環」
言葉の途中で溜息が落ちる。
「RENAは事故の対応を完全に間違えたのよ。長年ファッション界を切り拓いてきた人気雑誌とは思えない、あまりに浅はかな失敗だわ」
悪いのは怪我をした自分で、RENAの判断は妥当――だから、わたしはRENAに迷惑は掛けられないと、素直に引き下がった。
でも怜美子さんは言ってのける。
「あの事故はRENAが起こしたんじゃないんだから、本来なら屹然とした態度で、すべてを公開するべきだったの。そして、あなたをバックアップしなくちゃいけなかった」
わたしの頭の中でも、もうひとり同じ主張をするひとがいた。
『咲哉、あなたにとっても他人事ではないでしょう? 背中の怪我ひとつで引退に追い込まれるなんて、本当はあってはならないことなのよ』
井上さんが真剣に言ってたことを今、初めて理解できた気がする。
RENAがやるべきことは、空いた穴を大急ぎで塞ぐことじゃなかった。代打のモデルを呼ぶにしても、先に九櫛咲哉の引退について、ちゃんと説明する義務があったの。
ところがRENAは損害ばかり数え、穴埋めに躍起になった。
「そう……あの事故はRENAやファンも、あなたと一緒に乗り越えるべきだった。なのに一時的な損得に囚われて、下手を打ったわけ」
事故なんてものはなかった。
九櫛咲哉は急に都合がつかなくなっただけ。
代わりに可愛いモデルを用意したから、読者は買え。
……こんなの通じるわけがないわ。
「クレハ・コレクションもRENAには今後、情報を提供しないという話よ。編集部は気の毒だけど、上がここまで判断を間違えちゃったら、どうしようもないわね」
怜美子さんはあっけらかんと笑った。
「ほんっと、九櫛咲哉を捨てた雑誌が、九櫛咲哉がいないから廃刊だなんて。あなたも責任を感じることはないわよ? もう終わった話なんだから」
もう終わった話……ね。
多分、蘭さんもRENAの廃刊については知ってたんじゃないかしら。わたしに気を遣って、あえて黙っててくれたのよ。もし今日、ここで怜美子さんに教えてもらわなかったら、わたしがRENAの廃刊を知るのは年明けになってたでしょうね。
「ありがとうございます、観音さん。危うく最終号を買い逃すところでした」
「買うのね? 思い入れはあるでしょうし、好きにすればいいわ」
一年の時を経て、心の決着がついたわ。
おかげで胸が軽い。
「で……あなた、今はどうしてるの?」
「VCプロというところでお世話になってるんです」
怜美子さんが目を見開いた。
「井上さんのVCプロに? はは~ん……なぁるほど……」
思わせぶりに含みを込めながら、わたしを見詰める。
「あの……?」
「うふふっ、気にしないで。こっちの話よ」
井上社長は怜美子さんと面識があるみたいね。
怜美子さんは慎ましやかに微笑むと、さっきも試着した一枚のスカートを取った。
「あなたとお話できた記念に、これをいただこうかしら」
「お買い上げありがとうございます」
わたしのお勧めでもあったから嬉しい。
レジで清算しつつ、スカートをお店の紙袋へ丁寧に入れる。
「お帰りになる前に蘭さんをお呼びしましょうか?」
「今日はいいわ。よろしく伝えておいて」
トップアイドルは貫禄を見せつけるようにロングヘアを靡かせた。
「面白いことになりそうね。あなたが戻ってくるの、『ステージ』で待ってるわ」
それだけ言い残すと、早足でお店を出て行く。
ステージで、わたしを……?
クレハ・コレクションの舞台で、という意味だったのかしら。
一次選考を突破した、この日――観音怜美子さんはきっとわたしを励ましてくれた。
数日後、二次選考の結果が開示。
わたしと蘭さんの作品はこれを突破し、三次選考へ。
ずっと向かい風だったものが、やっと追い風になった気がした。
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