第91話

 そして今回、あたしは充分に研究と練習を重ねてきた。ずっと『~クル』って喋ってたせいか、ハークルの特異なキャラクターにも馴染めたみたいね。

「先週の朱鷺宮くんはシーンごとに切り取って、演じてしまってたんだ。だからブツ切りで始まり、ブツ切りで終わっていた。でも今日は収録の間、君はずっとハークルだった」

「あ……なるほど」

 藤堂さんのやや強引な分析が、しっくりとくる。

 自分の番がまわってきた時だけ演じる――そうじゃなかったのね。

 ほかの演者の台詞を、ハークルならどう聞くか。どう思うか。それが理解できてこそ、あたしの台詞も生き生きとするわけ。

「実際のところ、どうでしたか? ゲストとして出来のほうは……」

 おずおずと質問すると、藤堂さんはにこやかに笑った。

「ちゃんと形になってたよ。もちろんプロの声優なら、もっとクオリティを上げるべきだけど、今日の出来なら監督も妥協してくれるさ」

「妥協……ですか」

「ははは、気を悪くしないでくれ。二回目の収録でここまでできれば、立派だよ」

 お世辞抜きの評価を聞けて、肩の荷が降りる。

「これが応用できれば、君の歌ももっとよくなるだろうね」

 応用ね……そんな気はしてた。

 伊緒と一緒にバレエを習った時だって、思ったのよ。あたしにはまだまだ知らない技法がある。多様な『表現』があるってね。

 稀有な歌声ひとつに頼ってるようじゃだめ。

 それを武器にするためにも、学ばなくっちゃいけないことは山とあるの。

「今回のお仕事、とても勉強になりました。ありがとうございます」

「いいや、僕のほうこそ。応援してるよ、朱鷺宮くん」

 あたしは深々と頭を下げ、達成感を胸にスタジオをあとにした。


 その報告がてら、明松屋杏とふたりで夕飯の支度に勤しむ。

「藤堂さんのお墨付きがもらえるなんて、すごいじゃない。お疲れ様」

「まあ社交辞令だとは思うけどね」

 けど、あたしたちの会話は頻繁に途切れた。

 リカとなら延々とくだらないことを話せる。結依とも気兼ねなく付き合えるわ。

 ……でもね、杏には無意識のうちに距離を取ってしまう自分がいるのよ。

 理由はわかってた。明松屋杏はあたしの『失った声』を持ってるから、どうしても……ね? 悔しくないって言ったら、嘘になるもの。

 杏は手を止め、苦笑した。

「やっぱり、その……わたしと奏って、ちょっとギクシャクしてるわよね?」

 案の定、あたしと同じこと感じてたか。

 あたしは自嘲を交え、白状する。

「杏のせいじゃないのよ。声変わりの件は知ってるでしょ」

「ええ。だからって同情してるわけじゃないけど……」

 口を開きかけ、杏はおたおたとかぶりを振った。

「じゃなくて! わたしは……えぇと」

「そんなに気を遣ってくれなくっても、いいってば。もう心の整理はついてるから」

 声変わりのことで、杏のほうもあたしに距離を感じてたわけね。自分には生まれながらの美声が健在、なのに相手はそれを喪失してる――そりゃあ居たたまれないでしょ。

 もちろん、杏を羨むのはいいにしても、妬むのは筋違いだってことは理解してた。だから杏には気負わせまいとして……結局、お互いに一歩引いちゃってた、と。

 杏が真正面からあたしを見詰める。

「この機会だし、少しだけ言わせて。わたし……あなたのこと、本当に尊敬してるのよ」

「尊敬されるようなもの、持ち合わせてないわよ? あたし」

 あたしは自嘲を抜きにして、肩を竦めた。

 作曲の技術のこと言ってるのかしら? それともギター? でもあたしにギターがあるように、杏にだってピアノはいくらか弾けたはずよ。

「歌に対しての行動力よ」

 そう呟いて、杏は溜息を漏らす。

「わたしはママの後ろについてって、歌うだけだった。でも、あなたは自分で仲間を集めて、オーディションを受けて……実力を証明しようとしたじゃない」

「やめてったら。それが全滅して、ここにいるんだし?」

「いいえ。NOAHのメンバーに選ばれたのだって、そういうスタンスが評価されてのことだと思うの。井上さんはキャリアや商品価値だけでメンバーを決めたりしないわ」

 ここまで褒められると、こそばゆいわね。

 NOAHのメンバーになったからって、まだ大したこともできてないのに。

 でも、杏には親近感が沸いてきた。

 あたしと杏の関係は少しずつ解れつつある。

「……ねえ、杏。あたしたちって歌手同士、色々と思うところはあるんだろうけど……変に遠慮するの、止めにしない?」

 そう提案すると、杏も安心したように頷いた。

「同感よ。あなたには自分の歌があって、わたしにも自分の歌がある。同じ歌手として、対等であるべきだものね」

「そーゆうこと」

 これで胸のつかえは取れたかしら?

 やっと明松屋杏と腹を割って、素直に話せた気がする。

 さらに杏は遠慮なしに畳みかけてきた。

「だから……遠慮なしに言わせてもらうわね。奏」

「ん? 何よ」

「ピーマンを除けないでっ」

 せっかく脇へ追いやった緑色が、丸ごと押し戻されてくる。

「いっ、いいでしょ? ピーマンが嫌いとか、アイドルっぽくって」

「都合のいい時だけアイドルぶらないの。子どもじゃないんだから……んもう」

 あんたはあたしのお母さんかっ。

 これは早急に杏の嫌いな食べ物を調べないと。

「憶えてなさいよ? 杏ぅ」

「ピーマンくらい食べられるようになって、忘れさせて」

 しかし後日、先に杏にしてやられる。

 あたしのピーマン嫌いを聞きつけ、聡子さんがハンバーグをピーマンに詰めてくれちゃって……。おかげで、緑色から逃れる術はなくなってしまった。

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