第86話

 奏ちゃんだけ蚊帳の外で、きょとんとしてる。

「どうやって仲直りしたのよ? ……っと、仲直りしたクル?」

「ええと……」

 本気で忘れてるっぽい杏さんに代わって、私は記憶の中を掘り返した。

「確かリカちゃんの歌がすごく感傷的で、教えてって、つっかかってませんでした?」

 思い出したように杏さんは目を丸くする。

「あぁ、あの時の話ね」

「今まで何の話だと思ってたのよ」

 そんな私たちの漫才を前にして、蓮華さんは柔和な笑みを綻ばせた。

「杏ちゃんが何に行き詰まってるか、大体の察しは付いたわ。次の撮影もリカちゃんと一緒だから、杏ちゃんも見においでね。勉強になるはずよ」

「はい。それじゃあ、お言葉に甘えて」

 これで奏ちゃん、杏さんと、業界の大先輩に悩みを打ち明けたことになる。

「リカちゃんは怜美子さんたちに相談すること、ないの?」

「ん~、なくはないけど。マーベラスプロにいた頃は、ちょくちょく会ってたしぃ。結依のほうこそ、今夜のうちに聞いときたいこと、あるんじゃないの?」

 リカちゃんは飛ばして、いよいよ私の番へ。

 怜美子さんはほろ酔い気分で頬杖をつき、私をまじまじと見詰めた。

「さあって、小生意気な結依ちゃんは、お姉さんにどんな相談してくれるのかしら?」 

 焼き肉合戦の手を休めて、私は胸の内にあるものを吐露する。

「私個人じゃなくって……NOAHとして、はっきりとした目標が欲しいんです」

 杏さんやリカちゃん、奏ちゃんも、はっとしたように顔をあげた。

 怜美子さんはしたり顔で頷く。

「リーダーとしてNOAHの舵を取りたいのね」

「いえ、リーダーだからってわけじゃないんですけど……」

 半年近い雌伏の時を経て、NOAHは先月、ついにスタートを切った。滑り出しは順調だって、井上社長や聡子さんも太鼓判を押してくれてる。

 でも、一言で『アイドル活動』って言っても、千差万別でしょ? 現に私たちはそれぞれ別のお仕事を請けてる。

 杏さんはCMの収録、リカちゃんは映画の撮影、奏ちゃんはアニメの声優。

 私ももうじきバックダンサーの本番を控えてた。

 毎日が充実してる。大変だけど楽しい。

 ただ、メンバーが一丸となって越えるべき『壁』は、何だろうなって。

「とりあえず目安が欲しいんです。これがクリアできたら、NOAHは立派なアイドルだぞって、胸を張れるような……」

 上手く説明できずにいると、蓮華さんが意を汲んでくれた。

「全員でクレハ・コレクションに出るぞ、みたいな感じ?」

「あっ、そういうのです」

 メンバーでひとつの目標を共有したいの、私。

 リカちゃんは思案げに腕組みを深めた。

「NOAHの次のコンサートは……確か、ゴールデンウィークだっけ」

「そうよ。だから忘れられないようにするんでしょ」

「春からの新生活に、ライブ曲のレッスンが並行するわけね」

 奏ちゃんが『クル』を付け忘れたのは流すとして。次回のステージは五月、それまでに一ヶ月以上の時間がある。

 怜美子さんの指先がグラスの縁を撫でた。

「この前のコンサートはお客さん、何人くらいだったの?」

「え? えぇと……」

「三千人です」

 私が口ごもる暇もなく、杏さんがしれっと答える。

 先月のデビューコンサートは二千人だった。そこでNOAHのメンバーが正式に発表されて、やっぱり玄武リカだ、明松屋杏だって話題になったの。

 その一ヵ月後には新メンバーこと朱鷺宮奏のお披露目コンサート。私たちが主題歌を歌ってるドラマも始まったことで、三千枚のチケットは無事に完売できた。

 怜美子さんがにんまりと微笑む。

「なら、次は五千ね。これを満員御礼にできたら、私もNOAHの力を認めてあげる」

 二千、三千と来て、次は五千かあ……。私たちは顔を見合わせる。

「順当な数字よね。今まで通り頑張れば」

「ファンも増えてきてるんだし、余裕、余裕」

 無理じゃないよね、きっと。

 ところが、奏ちゃんは神妙な面持ちで声を落とす。

「バンドの場合は最初の壁が『五千人』だって、よく聞いたわ」

 蓮華さんの笑顔も少し曇った。

「アイドルのライブでも同じよ。二千や三千は埋められても、五千には届かない……たった二倍と思うかもしれないけど、この二倍が難しいの」

「会場のランクも五千を境にして、変わるしね。会場が大きくなれば当然、ステージも大きくなる。つまり以前と同じパフォーマンスしてちゃ、端まで届かないわけ」

 怜美子さんは正面にいる杏さんのオデコを小突く。

「あ……考えてもみませんでした」

「それにゴールデンウィークは激戦区よ。NOAHのファンが必ずしもNOAHのライブに来てくれるとは限らない……それでも会場は埋められるかしら?」

 プレッシャーのせいで背筋にぞくっときた。

 群雄割拠のゴールデンウィークに、前回より大きなステージで。

 もしかしたらファンはさほど集まらず、空席が目立つかもしれない。そのうえで、私たちのパフォーマンスがこぢんまりとしてしまったら……?

「下手に大きな会場でチケットを余らせるより、ワンランク小さな会場を満員にするほうが、利益も評価も高くなるのよ。冒険するか、妥協するかは、悩みどころねえ」

「でも、いつまでもそんな調子じゃ……」

「ええ。だから『五千』というラインが存在するの」

 今の私たちで五千人のファンを集められるか、どうか。

「次の会場はもう押さえてるだろーし、結依、電話で聞いてみたら?」

「それもそっか」

 リーダーの私はケータイで井上社長を呼ぶ。

「こんばんは、井上さん。ちょっと聞きたいことがあるんですけど……」

『いいわよ。どうかしたの?』

「次回のコンサートの会場って、どれくらいの規模ですか?」

 淡々と回答はあった。

 長い深呼吸を挟んで、私はみんなに報告する。

「六千」

 さしものリカちゃんもぎょっとした。

「……まじ?」

「うん。あと、埋まるか埋まらないかで、夏のツアーのスケールも変わるんだって」

 杏さんと奏ちゃんも不安の色を隠せず、途方に暮れる。

「さっきの話のあとだから、余計に構えちゃうわね」

「前のコンサートの丸々二倍じゃないの」

 それでも一応、ゴールデンウィークまでに必要なことは把握できていた。

 人気を維持する以上に高めること。曲とダンスのレパートリーを増やすこと。それに併せて、春からは新生活が始まる。

「井上さんにとっては、勝算あってのスケジュールなんでしょうけど……」

「望むところよ! やってやろうじゃない」

 期待は半分、不安も半分。

 そのためにも今夜はしっかり栄養をつけなくっちゃ。

 怜美子さんが新しいグラスを掲げる。

「まだ食べるでしょ? 私とお食事の時は、ダイエット禁止だから」

「ごちそうさまでーす!」

 焼き肉がある世界に生まれて、本当によかった。

 ケータイを出したついでに、私は香ばしい焼き肉様を撮っておく。


 その夜のうちにNOAHのブログでご報告。

『観音怜美子さんにご馳走になっちゃいました~』

 美味しそうな焼き肉の写真が、ブログのトップを飾る。

 それから一夜が明け――怜美子さんからじきじきに電話が掛かってきたの。

『やってくれたわねぇ、結依ちゃん?』

「え? 何のことですか?」

『ブログよ、ブログ。こっちは清純派を売りにしてるのに、脂っこい焼き肉なんて食べてたら、イメージが台無しでしょっ!』

 女王様はご立腹だった。

 すでに『観音怜美子』『焼き肉』のワードがトレンド入りしてて、後の祭り。聡子さんに記事のオーケーはもらったんだけどね。そんなの女王様には通用しない。

『あなたの公式プロフィール、好きな食べものを焼き肉に変更よ』

「ま、待ってください! 私にはタイヤキが大好きっていうイメージが……」

『こっちのイメージはどうでもいいわけ?』

 当分の間、怜美子さんには会いたくなかった。

 でも焼き肉パーティーに誘われたら、また行っちゃうんだろーなあ。

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