第81話

 次の日は朝から、杏さんのCM撮影を見学。

 奏ちゃんは作曲のほうで打ち合わせがあって、今日はいなかった。昨夜も防音室にこもって、ずっとギターを弾いてたみたい。

 まだ撮影は始まってもいないのに、杏さんはもう意気消沈してる。

「はあ……。ちゃんとできるかしら」

「杏さんなら大丈夫ですよ」

 私はガッツポーズで鼓舞するものの、杏さんの溜息は変わらなかった。

「大体、化粧水のCMだなんて……リカでいいと思わない?」

「それはそうですけど」

 言いたいことはわかるよ、うん。

 NOAHのメンバーで一番のおしゃれといったら、玄武リカだもん。でも、だからってリカちゃんに任せたら、NOAHのビジュアル面は玄武リカ一強になっちゃうでしょ。

 杏さんの歌唱力だけずば抜けてるのと同じ。

 リカちゃんと肩を並べるため、私や杏さん、奏ちゃんもビジュアル面のレベルアップが欠かせなかった。カメラ慣れも兼ねて、今回は杏さんがCMに出演ってわけ。

 スタッフと打ち合わせを終え、聡子さんが戻ってくる。

「張りきっていきましょう、杏さん!」

「……そうね。覚悟を決めるわ」

 杏さんはすっくと立ちあがり、しゃなりとカメラの前へ赴いた。やっとスイッチが入った……かな? 歩き方も奥ゆかしくって、さまになってる。

 その背中を見送りながら、聡子さんは嘆息した。

「杏さんも可愛いんですから、もっと容姿を武器にして欲しいんですけど……」

「やって欲しいヘアスタイルとか、いっぱいあるんですよ、私」

「でしょう? 歌以外のことだと引っ込み思案なんですよねぇ、あの子は」

 杏さんだって、おしゃれしないわけじゃない。ただ、杏さんの場合は女子高生の面子を保つくらいのもので、やたらと着飾ることはなかった。

 L女学院もそのへんは厳しいみたいだし。

「夏は水着で、なんてことになったら、逃げ出すかもしれませんね」

「えっ? 水着で撮影なんて、あるんですか?」

 さすがにそれには私もぎくりとした。

「仮に、の話ですよ。まあ将来、コスプレの企画はあると思いますけど」

「婦警さんになって一日署長、みたいな?」

「そんな感じです」

 婦警のコスプレくらいなら、まあ……心配ないか。

 ちなみに私はヒーローショーで正義の味方を、杏さんは怪獣を演ったことがある。

 杏さんは緊張しつつ、カメラの前でポーズを取ってた。そんなに動きのあるCMでもないから、モデルの撮影に近いかも?

「杏ちゃん、リラックス~!」

 台詞がないおかげで、杏さんの棒読みが炸裂することもなかった。

 昔は『棒読みの歌姫』とも揶揄された、明松屋杏。綺麗な声で歌うことはできても、感情表現、心理描写は大の苦手で、長らく躓いてたの。

『アイドルユニットなんて余裕はありません』

 最初のうちはアイドルの活動にも消極的で、煙たがられたりしたっけ。

 でも私たちと一緒に壁を越えて、少しずつ成長してる。

「杏さん、なんだかモデルみたいですね」

「化粧品のCMですから、確かに」

 聡子さんがぽつりと呟いた。

「上手くいけば、NOAHもクレハ・コレクションに出場できるかもしれません」

 まさかのフレーズに私は耳を疑う。

「クレハ・コレクションって……あ、あの?」

「アプローチはしてますよ」

 秋に開催されるファッション界の祭典、クレハ・コレクション。

 毎年そうそうたる顔ぶれが集い、最新のモードを披露するの。玲美子さんは毎年のように出場して、トップアイドルの名を欲しいままにしてた。

 もし出場することになったら……私は期待よりも不安に駆られる。

「戦えますか? 私たちで」

「現時点では難しいでしょう。リカさんなら、出場の可能性はありますが」

 もとよりNOAHのメンバーには『モデル』の経験がなかった。リカちゃんだって、子役時代にファッションモデルの機会はなかったはず。

「もちろん狙っていきますよ? そのためのNOAHなんですから」

「……はいっ!」

 ライブツアーにクレハ・コレクション。もう戦いは始まってる。

 CMの撮影は二時間ほどで終わり、杏さんはくたくたの表情で戻ってきた。

「ふう……CMを見るのが怖いわ。また前のコンサートみたいになってないかしら」

「さすがに余所見はないと思いますよ。杏さんが主役ですし」

「だと、いいけど」

 でも嫌々ってこともないみたいで、スタッフへの挨拶は朗らか。

「お疲れ様、杏ちゃん! 頑張ってねー」

「はい! 今日は本当にありがとうございました」

 杏さんは深々と頭を下げ、みんなを見送る。

 私も隣で一緒にお辞儀しつつ、杏さんの空気を感じた。

 歌ってなくても、落ち着いていて、品があって……なんだか心が安らぐ。

「杏さんって癒し系アイドルかもしれませんね、ほんとは」

「……は?」

 杏さんのことはますます好きになれそう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る