第82話
午後は奏ちゃんと合流して、マーベラスプロのスタジオへお邪魔する。
「行ったり来たりでせわしないわね、結依も」
「大変なのは聡子さんだから」
これから奏ちゃんのお仕事なの。
アニメの劇場版で、悪役のマスコットを演るんだって。
「……ほんと、どっからそんな話になったのかしら。こっちは素人よ? そりゃ芸能学校の特待生ってことで、マーベラスプロにも籍は置いてたけど」
「あ、そうなんだ?」
「今にして思えば、メジャーでデビューしようと思ってたなんて……」
いつぞやのスタジオまで私が案内する必要もなかった。むしろ奏ちゃんのほうが先に歩いて、私をエレベーターへと急かす。
「作曲のほうはどうなの?」
「まずまずね。思い入れのある曲だし、力も入るわ」
どんな曲かな、奏ちゃんのとっておきって。
NOAHの新メンバーとして加入した朱鷺宮奏は、音楽方面のスペシャリスト。歌ってよし、弾いてよし、作ってよしの三拍子を揃えてるの。
体力バカの私とは大違いよね。
「マーベラス時代の実績があったから、声優のお仕事が来たんじゃない?」
「かもしれないわね」
マーベラス芸能プロダクションの第一スタジオでは、万全の準備が進められてた。声優さんたちも集まってて、台本の読みあわせをしてる。
その中に見覚えのある顔があった。
「藤堂さん!」
「おや? 御前くんじゃないか」
前に一緒にお仕事したことのある、俳優の藤堂旭さん。
ぱっと見は美男子だけど、女性よ。玲美子さんとは同い年。
「小鹿ちゃんに会えるなんて思わなかったよ。ふっ」
麗人ならではの口ぶりに、奏ちゃんは絶句する。
「えぇと……結依? こちらのかたは?」
「俳優の藤堂旭さん。今日は一緒にお仕事だって、話さなかった?」
「そ、それは知ってるけど……」
何も藤堂旭という俳優を知らないわけじゃないよね。多分、藤堂さんの『小鹿ちゃん』発言に気圧されちゃっただけ。
「初めまして、朱鷺宮奏です。あのっ、ほ、本日はよろしくお願いします」
「そんなに硬くならないで欲しいな、小鹿ちゃん」
「こっ……」
気高い藤堂さんにとって、女子高生はみんな小鹿ちゃん。
小鹿Aこと私、御前結依は見学ってことで、端っこの席につく。
「NOAHのファーストシングル、僕も買ったよ。御前くんも玄武くんも、しっかり歌えてるじゃないか。明松屋くん目当てで買ったファンも、納得の出来だろうね」
「ありがとうございます!」
あの藤堂さんに褒めてもらえるなんて。
藤堂さんは以前、私のことを少し怪しんでたの。NOAHの結成は出来すぎてる、御前結依には何か秘密があるんじゃないか、ってね。
「でもあの曲、藤堂さんの作曲でしたよね? サンプルくらい貰えるんじゃ……」
「そっちは事務所の資料室に入れてあるよ。応援の意味も込めて、買いたかったんだ」
さすが藤堂さん、心まで美男子。
「先週のライブで発表した新曲は、まだ公式に流してないんだって?」
「調整中なんです。その……あたしの詰めた部分が、色々と甘くって……」
「ああ、朱鷺宮くんが作曲したんだってね」
藤堂さんは爽やかに微笑むと、俯きがちな奏ちゃんの肩を叩いた。
「未熟だからと楽曲を弄られたりするのは、悔しいだろうけど、腐らずに頑張るといい。今の努力や労苦は必ず報われるから」
「は、はい。頑張ります」
さすが稀代の麗人、藤堂旭。世の女性が恋に落ちるわけだわ。
藤堂さんも女のひとだけど。
奏ちゃんは不安そうに台本へ視線を落とす。
「でもあたし、声優なんて初めてで……大丈夫なんでしょうか?」
「朱鷺宮くんの分をいきなり収録したりはしないさ。今日は練習を兼ねて、流れを掴むくらいでいいとも。学校のほうで一応、ボイス収録は経験してるんだろう?」
「はい。吹き替えの実習で……」
「なら大丈夫だよ。あまり気負わずに、ね」
奏ちゃんの台本は角が撚れてるくらいで、ほとんど傷んでなかった。その一方で、藤堂さんやほかのキャストの台本は、びっしりと書き込みがある。
奏ちゃんの準備が足らないんじゃないよ。何を書いたらいいか、わからないから。
「奏ちゃんの役って、このハークルってやつ?」
「そうよ。出番は少ないみたいだけど、台詞は結構多いわね……」
じきにアイドルゲームでボイスの収録もあるから、私も勉強しとかないと。
男性みたいに渋い声で、藤堂さんが教えてくれる。
「声で演技できるようになれば、色んなことに応用できるよ。もちろん歌でも」
「あたしの新しい声で……」
奏ちゃんの声も女の子にしては低かった。
男の子のように声変わりしたらしいの。昔は杏さんと同等の音域を持ってたんだけど、その声のせいで、音楽活動は方針の転換を余儀なくされた。
そっか……井上社長は奏ちゃんを、声質が近い藤堂さんと会わせるために?
「御前くんにはこっちの予備を貸すよ。台本があったほうが、勉強になるだろう?」
「助かります」
「それじゃあ、収録を始めようか」
そして収録が進むこと、一時間が過ぎ、二時間が過ぎ……。
終わる頃には、奏ちゃんは真っ白に燃え尽きてた。
「……」
あの自信家の奏ちゃんを、ここまで再起不能にするなんて。
アニメのボイス収録、恐るべし。
前に私や杏さんが演ったのは、ゲーム用のボイスだったから、自分のタイミングひとつで収録できたんだよね。
「まだ絵はできあがってないんですね。アニメ」
「収録の時点で動画が完成してることは、稀じゃないかなあ」
場面をイメージしきれなかったせいもあるかも。
結局、奏ちゃんが今日収録した分はすべてカット。改めて後日、再収録となった。
「はーくる……はーくる……」
「そろそろ帰ってきてー、奏ちゃん」
藤堂さんたちを見送ってから、私はケータイに手を掛ける。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。