第75話

 私たちは一階のリビングへ集合し、ひとつのテーブルを囲んだ。お昼ご飯は聡子さんが作ってくれた、きつねうどん。

 油揚げだけと侮ることなかれ。料理上手なひとが作ったきつねうどんは、化ける。

「……美味しい!」

 驚いたように杏さんが口元を押さえた。

「聡子さんって女子力が高いのね」

 聡子さんは鼻を高くする。

「そりゃあ、看護師の母や消防士の父に代わって、弟の面倒を見てましたし?」

 麺が伸びないうちに、私もいただきます。

 そんな食事がてら、NOAHのメンバーはホワイトボードに注目する。聡子さんはマッハで食べ終えると、ホワイトボードに当番表を張りつけた。

「食べながら聞いてください。これからみんなで一緒に生活するにあたって、いくつかルールを決めたいと思うんです」

「炊事当番とか、ですね」

 きつねうどんに夢中のリカちゃんに、聡子さんから質問が投げかけられる。

「そもそも、どうして私たちは一緒に住むことになったんでしょうか? リカさん」

「ふえ? もぐもぐ……送り迎えが一度で済むように?」

「正解です」

 NOAHのメンバーが住居をともにする最大のメリットは、これ。

 ばらばらに住んでると、事務所で合流するのも一苦労だし、解散の時間もまちまちになっちゃうでしょ。その点、一緒に住んでると、色んな場面で手間が省けるってわけ。

「ですが、理由は利便性だけではありません。……杏さん、ほかには?」

「連帯感を強めるため、でしょう」

「その通りです」

 また、一緒に暮らすことで、自然とチームワークも強化できるでしょってこと。同じ釜の飯を食うってやつ?

 聡子さんがホワイトボードを軽く叩く。

「そこで! みなさんには家事の当番を決め、お互いにフォローすることに慣れて欲しいんです。まあ、大体は私が担当するつもりですけど……」

 まずは炊事について。水曜と土曜の夕食は私たちが二人一組で担当すること。

 同じく水曜と土曜のお洗濯も、二人一組で担当すること。

 つまり週に二回ずつ出番があるってことね。

「ペアは私がその都度、指名します。水曜に洗濯だったペアは土曜に夕飯を、水曜に夕飯だったペアは土曜に洗濯をしてください」

 私たちは顔を見合わせる。別に異論があるわけじゃなかった。

「それ以外の曜日は全部、聡子さんがひとりで?」

 聡子さんは余裕たっぷりにはにかむ。

「仕事ですから。みなさんの栄養管理も必要ですし、任せてください」

 この中では一番、女子力が高いに違いなかった。

 杏さんが神妙な面持ちで打ち明ける。

「実はその……昔、お手伝いのつもりで弟のユニフォームを洗ったら、縮んじゃって」

「そういう可愛い失敗する杏さん、好きですよ」

「からかわないでったら! あの時は本当に焦ったんだから……」

 炊事洗濯、早くも杏さんはギブアップっと。

 リカちゃんは『何が大変なの?』って顔してる。逆に奏ちゃんは杏さんと同じ顔色で、頼れるリーダーの私に一縷の望みを懸けた。

「頼んだわよ、結依」

「ええっと……め、目玉焼きなら?」

 これは当分、水曜と土曜のお夕飯は悲惨なことになりそうね……とほほ。

 聡子さんがテーブルの上でノートパソコンを広げる。

「それから、メンバーには交替で毎日、NOAHの公式メッセージを、週ごとにブログのほうも更新してもらいます」

 リカちゃんは気怠そうに頷いた。

「何でもいいのぉ?」

「投稿の可否は私がチェックしますが、メッセージはどんな話題でもオーケーです。ブログはなるべくお仕事の話にして欲しいですね」

 杏さんは早くも思案顔。

「一緒に暮らし始めました、とか……?」

「いいですね。当たり障りのないことで構いませんから、続けてください」

 炊事洗濯の当番にブログ、かあ。当番制だから、毎日じゃないのは助かるかな。

 奏ちゃんが私を推した。

「一番手はもちろんリーダーよね。面白いやつ期待してるわよ、結依」

「あんまりプレッシャー掛けないでってば、奏ちゃん」

 引っ越しを境に、いよいよ本格的にアイドル生活が始まるみたい。

 新生活にあたって、聡子さんからいくつかの注意事項が付け加えられる。

「あと、わかってるとは思いますが、関係者以外を連れ込むのは厳禁ですので。……それと、個人でパソコンを使うのは奏さんだけですか?」

「あ、わたしも少し……」

「でしたら、セキュリティ面でいくつか注意点がありますので、少し残ってください」

 みんながうどんを食べ終えたところで、議題は次へ移った。

「さて……それでは今後のおおまかなスケジュールについて、説明します」

 アイドルユニットNOAHはずっと一緒にお仕事ってわけじゃない。現に私はバックダンサーのレッスンに出てるし、リカちゃんは映画の撮影に参加してた。

 メンバーのひとりひとりが自分の夢を追って、頑張ること。

 それがNOAHのモットーなの。

「これは井上社長からの言伝ですが……」

 聡子さんは眼鏡越しに私たちを見据え、言い放った。

「NOAHをゴールと思わないでください。あなたたちには、NOAHの『向こう側』を追いかけて欲しいんです」

 これには杏さんのみならず、リカちゃんも真剣な表情で頷く。

「わかってます。わたしの夢はオペラ歌手ですから」

「映画女優になるために、NOAHを活用しろってことでしょ?」

 NOAHはあくまで手段――でも嫌な気はしなかった。

 手持無沙汰の奏ちゃんは腕を組む。

「解散もありうるってことね? 聡子さん」

「はい。解散でなくても、活動休止といった話はいずれ出てくると思います」

 正直、少し怖くなってきた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る