第74話

 扉を開けると、からっぽの玄関に迎えられた。靴を脱いで、少し冷たいフローリングを靴下越しに踏み締める。

「一階はお風呂と、キッチンと……あら? こっちに階段があるわね」

 三階建てなんだから、階段があるのは当たり前。

 ところが杏さんの指差す方向には『降りる階段』があったの。

「ひょっとして、防音室じゃない?」

 その階段の先には、小さな地下室が隠れてた。ダンスの練習ができるほど広くはないけど、ちょっと歌うくらいなら、問題なさそう。

 奏ちゃんは満足げに地下室を仰ぐ。

「悪くないわね。ひとりで弾く分には、充分」

「換気はどうなってるのかな?」

「ギターは置かないほうがいいわよ、奏。夏場は大変なことになりそうだし」

 ふとリカちゃんが瞳を瞬かせた。

「……シアタールームにしちゃ、だめ?」

「却下よ」

 ひとまず地下室はあとまわしにして、上の階も確認しておく。

 二階と三階には部屋が五つずつあった。

 車庫があって、地下室があって、自由に使えるお部屋の数は十……デビュー間もない私でも、不安になってくる。

「あのぉ、杏さん? VCプロってそんなに儲かってるんですか?」

 杏さんも私と同じ不安の色を浮かべてた。

「さ、さあ……インディーズだし、マーベラスプロほどの資金力はないはずだけど」

 リカちゃんだけは平然としてる。

「そんなに大きいの?」

「リカちゃんはあんなお屋敷に住んでるから……」

 奏ちゃんの声が意味深にトーンを落とした。

「もしかしたら……いわくつきの物件だったりするんじゃない? これ」

 ぞっと悪寒が走る。

「や、やめてったら! 冗談でもそんなこと……ねえ? 結依」

「私に同意を求めないでくださいってば」

「それはそうと、結依、いつまでわたしにだけ敬語なのよ」

 この春から私とリカちゃん、奏ちゃんは高校二年生。一方で、杏さんは三年生だった。私は中学時代にバスケ部だったから、先輩には敬語ってのが染みついてるのかも。

 リカちゃんと奏ちゃんは杏さんにもタメ口だけど。

「ファーストコンタクトがまずかったんじゃない? 杏ったら、ガチガチだったもん」

「え? じゃあ、もう手遅れなの?」

「タイムスリップでやりなおすしかないわね」

 二階の廊下にはダンボール箱がところ狭しと積まれていた。

 聡子さんが階段を上がってくる。

「お喋りしてないで、手を動かしてー! まずは部屋割りを決めてちょうだい」

「は、はーい!」

 私たちはジャンケンでお部屋を決め、いそいそと自分の荷物を運び込んだ。

 事情通の聡子さんによれば、この物件はもともとマーベラス芸能プロダクションの資産だったらしいの。しかし最初に住むはずだったタレントが、急にてのひらを返した。

 ピアノが入らないじゃないの、って。

 確かに地下の防音室は入り口が小さすぎて、ピアノなんて入るわけがなかった。そんな感じで、防音室が欲しいというタレントのニーズに応えたはずが、『これじゃない』と拒否されまくって。活用するに活用できず、余ってたわけ。

「物件って使ってないと、固定資産税が余計に掛かるんです」

 税金の話はよくわからないけど、マーベラスプロにとっては厄介な物件だった。

 それを元マーベラスプロの社員だった井上さんが、ある筋のコネも駆使して、融通してもらったんだとか。

「一応、寮の維持費はNOAHの売り上げを前提にしてますから。追い出されないように頑張ってくださいね、みなさん」

「は、はい……」

 聡子さんへの返事、だんだん勢いがなくなってきた。

 NOAHのメンバーは二階で、聡子さんは三階で住むことに。聡子さんはすでに荷解きを終えてて、お昼ご飯の買い出しに出ていった。

「お洗濯も夕飯の支度も、わたしたちでやらなくっちゃいけないのよね」

「そのへんの当番を決めないと……」

「ねえー! テレビって、一階にあるやつだけー?」

 あれこれ相談を交えながら、私たちは荷解きを進めていく。

 今日からNOAHのみんなで一緒に暮らすのかあ……。昨日まで全然イメージできてなかったけど、急に現実感が出てきて、胸がうずうずする。

 そういえば去年、ドラマの撮影で外泊したっけ。

「リカちゃん、前と同じパジャマなの?」

 扉越しに聞くと、杏さんが横から割り込んできた。

「ちょ、ちょっと、結依? なんでリカのパジャマなんか知って……」

「杏さんも一度、一緒にお泊まりしたじゃないですか。オジョキンの撮影で」

「あ、あぁ……あれね」

 真顔に戻った杏さんを押しのけ、リカちゃんも私のお部屋を覗き込む。

「せっかくだし、明日にでも買いに行かない? 奏もー」

「え? 呼んだ?」

「パジャマ買いに行こうって話してんの~」

 リカちゃんと奏ちゃんはお互い、まったく気兼ねしなかった。

 ふたりとも前の芸能学校ではクラスメートだったんだって。でもリカちゃんはサボりがち、奏ちゃんは声変わりの件で、居場所がなくなってしまった。この春からリカちゃんは私と同じ学校へ、奏ちゃんは杏さんと同じL女学院へ転入するの。

「カーテンも欲しいわね……」

「私のお部屋、ブラインドがあるんですけど?」

 ああだこうだとお部屋を整理するうち、お昼になる。

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