第73話

 やがて学校は春休みに入った。私は高校一年生を終業し、春から二年生になるの。

 アイドル活動については当初、学校から睨まれちゃうこともあったけど……。みんなで出演したドラマが始まってからは、徐々に認められつつある。

 引っ越しの朝は聡子さんの車で、NOAHの寮へ。

「忘れ物はありませんか?」

「大丈夫です」

 寮は私の学校の近くで、リカちゃんと一緒に自転車で通うことになりそう。杏さんと奏ちゃんはL女学院まで、聡子さんの車に乗せてもらうんだっけ。

 助手席で信号の色を眺めながら、私は聡子さんに尋ねる。

「聡子さんはよかったんですか? 私たちと暮らすことになって……」

「どのみち実家を出るつもりでしたから」

 この月島聡子さんはヴァーチャル・コンテンツ・プロダクション、通称『VCプロ』に入社してまだ二年の若手社員だった。入社一年目の去年は研修ばっかりで、マネージャのお仕事は私たちが初めてなんだとか。

 でも高校生の頃から大手のマーベラスプロ(マーベラス芸能プロダクション)でバイトしてたから、まったくの新人ってわけでもないの。

 VCプロの社長、井上さんの秘蔵っ子って噂だもん、すごいんだろーなあ。

 NOAHはずっと社長の井上さんが直接、指揮を執ってたけど、今後は基本的に聡子さんを介することに。

 運転してる聡子さんの横顔は、今日も眼鏡で決まってた。

「聡子さんって美人ですよね?」

「……はい?」

「いえ、お世辞とかじゃなくって。やっぱり彼氏とか……」

 と質問しようとしたところで、リカちゃんのお家が見えてくる。

 日本舞踊の家元だけあって、立派なお屋敷だわ。厳かな雰囲気の門から、茶髪の女の子が眠たそうな顔で出てくる。

「ふあ~あ……引っ越しだからって、早すぎない? まだ八時なのに」

「昨夜も映画見てたんでしょ、リカちゃん」

「まあね。そーだ、シアタールームってあるの?」

 続いて、私たちは杏さんのお家へ。

 真っ白な一軒家には『明松屋』の表札が掛けられてた。ちょうど中学生くらいの男の子が、野球のユニフォームにスポーツバッグを抱え、車の脇を抜けていく。

「今のが杏の弟?」

「リカちゃんも弟がいるんでしょ?」

「大事な大事な跡取りがね」

 杏さんの弟、芸能や音楽にはこれっぽっちも興味がないんだって。

 あとから杏さんも出てきて、後ろの席へ乗り込む。

「もうちょっと、そっち詰めてったら、リカ」

「せ~ま~い~! 杏が太いせいでぇー」

「ふ、太ってなんかないわよ! あなた、自分が一番細いからって……」

 杏さんとリカちゃんの小競り合いは、いつものこと。

「ねえ? 結依。わたし、そんなに太ってないでしょ?」

「私より軽いひとが、それ聞くんですか?」

 女同士ならではのデリケートな話題になると、聡子さんが噴き出した。

「うふふっ。心配いりませんよ、結依さん。結依さんはスポーツをやってた分、筋肉がついてるんです。筋肉は脂肪より重いものですから」

「で、ですよね? 体脂肪率とか計算に入れたら、普通くらいで」

「普通どころかスレンダーですよ、リカさんも杏さんも。気にしないでください」

 そうは言われても意識してしまうのが、ウェイトなのよね。

 ダイエット談義に興じるうち、聡子さんの車は大きなマンションへと差し掛かった。

 ケータイで呼ぶと、奏ちゃんが慌ただしそうにエントランスまで降りてくる。

「お待たせ、聡子さん。あたしで最後?」

「はい。それじゃあ寮へ行きますよ」

 助手席の私はともかくとして、後ろの座席は少し窮屈そうだった。

「満員だと、車の制動がこんなに変わるものなんですね」

「怖いこと言わないでくださいよぉ、聡子さん」

「大丈夫です。この一年、運転はしっかりと練習しましたので」

 聡子さんが慣れた手つきでハンドルを切る。

 奏ちゃんは物憂げに車窓を眺めてた。

「……結局、親の説得で一番てこずったのは、あたしだったわね……」

 この春からの新生活については、ひと悶着あったの。

 あっさり許可が下りたのは、意外にも杏さんでね。私も多少の条件付きでオーケーが貰えた(お母さんに有名人のサインを提供しなくちゃいけないんだけど)。

 お嬢様のリカちゃんは案の定、ご両親に反対されちゃったものの、噓泣きでお婆さんを味方につけて。跡取りの弟さんも加勢してくれて、許可が出た。

 で、大変だったのが奏ちゃん。

 ご両親は前々から奏ちゃんの音楽活動を快く思ってなかったみたいでね。その音楽活動が芸能活動になっちゃったものだから、猛反対!

 井上社長がじきじきに出向いて、私たちも一緒に説得して……。

「バレエなら応援するのに……って、どういうことかしら?」

 愚痴る奏ちゃんに、杏さんが労いの言葉を掛ける。

「漫画はだめだけど絵画はオーケー、みたいな感覚なのよ、多分。わたしのパ……お父さんも、ラップは変に嫌ったりするもの」

 私とリカちゃんも相槌を打った。

「杏さんのパ……お父さんって、音楽の意識、高そうですもんね」

「そっかあー。杏のパパがねぇー」

 杏さんの顔が真っ赤になる。

「いっ、いいじゃない! パパ、ママって呼んでも」

「はいはい、車の中では静かにしてくださーい」

 やがて私たちは目的地へ辿り着いた。

 はこぶね荘、だって。NOAH(方舟)だけにぴったりかも。

 三階建ての四角形は住居としての機能性を前面に押し出してる。玄関の扉はセキュリティロックが設けられてて、私たちにはカードみたいな形の鍵が配られた。

「私は車を車庫に入れてきますから、先に入っててください」

「はーい」

 期待を胸に、リーダーの私は先頭に立つ。

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