第58話
<Io・Misono>
十二月の下旬は、いよいよ劇団のクリスマス公演。
響子ちゃんは舞台の練習で忙しくなっちゃって、会うに会えなかった。わたしと奏ちゃんも楽曲コンクールの二次審査に向けて、スタジオで練習してる。
奏ちゃんのストリートライブには、まだ一度も参加できてない。けど、奏ちゃんは薄情なわたしに何も言わなかった。
年明けに開催される劇団オーディションを見据えて、奏ちゃんも工藤先生も、わたしのレッスンを優先してくれるの。おかげで『ジゼル』の第一幕は仕上がりつつあった。
先生が満足そうに頷く。
「技術的にも問題ないわ。第一幕はもういいんじゃないかしら」
「やっぱりネックは二幕ってことになりそうね、伊緒」
奏ちゃんはバレエの専門的な知識や技術こそないけれど、いつでも真摯に相談に乗ってくれるよ。わたしひとりじゃ『ジゼル』を解釈しきれないから、頼もしい。
「二幕のジゼルは死者だからって、おどろおどろしくなっても、だめなんでしょ? えぇと、あいつ……ヒラリオンが殺されるシーンは、それでいいんだろーけど」
「よく見てるわね、朱鷺宮さん」
この『ジゼル』の第二幕には、アルブレヒトの素性を暴いた、ヒラリオンっていう青年が、精霊(ウィリー)たちに殺されてしまう場面があるの。
子どもの頃、劇団の舞台でこのシーンを見て、身の毛がよだつほど怖かったのを憶えてる。ヒラリオンだって、ジゼルのためにやったことだったのに……。
バレエで定番の作品って、容赦ないのが多いかも。
わたしなりにジゼルの心情も想像はしてみた。
「やっぱりジゼルはアルブレヒトを憎んでもいるんですよね? 死者の怨念って、自制できないっていうか……そういう怖さは欠かせないと思うんです」
奏ちゃんは腕組みを深める。
「それでもアルブレヒトを庇っちゃう、愛の深さ……か」
わたしも奏ちゃんも、恋人なんていないし、死んだことなんてあるはずもなかった。ジゼルの想いは空想のものであって、現実には存在しえない。
「ここまで来たら、もはやホラーっていうよりファンタジーだわ。先生は『ジゼル』、演ったことないんですか?」
「ないのよ、それが。公演で何度か見ただけね」
子どもの頃に見た『ジゼル』がヒントになりそうなんだけど……第二幕の、ジゼルとアルブレヒトのパドドゥはあまり記憶にないの。
う~ん……『くるみ割り人形』はよく憶えてるのに。
奏ちゃんはやれやれと肩を竦めた。
「まあ、ここで考えすぎてもね。もうじき劇団の『白鳥の湖』もあるんだし、それを参考にしてからでも、遅くないでしょ」
「そうだね。舞台を観たら、いいアイデアが閃くかも」
わたしも深刻になるのは止めて、今日のレッスンを切りあげる。
工藤先生が苦笑した。
「うふふ。わかってるとは思うけど、公演のチケットは一枚、六千円よ」
「大丈夫ですよ。井上社長に経費で落としてもらいまーす」
クリスマス公演の『白鳥の湖』は、バレエ教室のみんなも楽しみにしてる。
特に工藤先生にとっては、娘の響子ちゃんが役付きで出演するんだもん。期待してないわけがなかった。
せっかくの公演、わたしと奏ちゃんだけじゃもったいないかなあ。
「ねえ、奏ちゃん。ほかのひとも誘ってみていい?」
「誰か誘いたい子、いるわけ?」
「えっと……同じ事務所の明松屋杏さんとか」
オペラ歌手志望の杏さんなら、バレエの公演、興味持ってくれそうだよね。
奏ちゃんも二つ返事で快諾してくれた。
「いいんじゃない? こっちも、リカでも誘ってみるわ」
「来てくれるのは嬉しいけど、朱鷺宮さんはコンクールの練習も、頑張ってね」
「任せてください。帰ろっか、伊緒」
わたしたちはタオルやドリンクを回収して、更衣室へ急ぐ。
「奏ちゃん、リカ……って?」
「玄武リカよ、知らない? 明松屋杏と同じNOAHのメンバーでさ」
とにもかくにも、まずは劇団のクリスマス公演だね。年が明けたら、楽曲コンクールの二次審査でしょ。わたしのオーディションは最後だった。
それに合格すれば、わたしは春から劇団の一員になれる。
……あれ?
着替えの最中で手が止まった。
もし楽曲コンクールのほうにも合格して、プロデビューを前提にした音楽活動が始まったら? 劇団のバレエと両立なんて、できるの?
両方ともそう上手くいくはずないと、楽観的には考えられなかった。だって、それは奏ちゃんの努力の結晶が、今度のコンクールで落ちちゃうってことだから。
わたしのオーディションだって、まだ結果はわからない。
「一緒にやってけるのかな、ずっと……」
胸がぎゅっと締め付けられるように痛くなった。
「え? なんか言った?」
わたしの呟きを気に留めず、奏ちゃんはてきぱきと着替えてる。
奏ちゃんの夢はミュージシャンだった。でもわたしの気持ちは今、まっすぐにバレエに向かいつつある。
わたしと奏ちゃんの目指すところは、違うんだよね。
奏ちゃんは傍にいるのに、寂しいような――。
……だっ、だめだめ! もっと前向きにならなきゃ、オーディションの突破なんて。
わたしは気合を入れなおすつもりで、パンダのストラップを握り締めた。
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