第59話
翌日、VCプロの事務所に寄ったついでに、明松屋杏さんを捜す。
杏さんは会議室のほうでNOAHのメンバーとテスト勉強してた。わたしと同じ頃に事務所入りしたらしい、高校一年の御前結依さんと一緒にね。
「わっかんないですよぉ、杏さん~」
「わからないって思うから、余計にわからないのよ。……あら、美園さん?」
杏さんはわたしを見つけ、朗らかな笑みを浮かべた。
「こんにちは、杏さん。それから……えっと、ゴゼンさん?」
ゴゼンさんはむすっと口を尖らせる。
「私の苗字、ゴゼンじゃなくってミサキって読むんだよ。そっちは美園さんだっけ」
「美園伊緒さんね。ほら、リカの友達で朱鷺宮さんっているでしょ。その朱鷺宮さんとデュオ組んで、やってるそうよ」
御前さん、何かを閃いたように指を鳴らした。
「似てない? 私たちの苗字、ミス・アキとミス・オノ……どうですかっ?」
あまりに唐突で、本気なのか冗談なのか、わたしには判断がつかない。一方、そんな御前さんを杏さんはデコピンで弾きつつ、はあっと溜息を漏らした。
「馬鹿なこと言ってないで。……ごめんなさい、美園さん。この子、数学が嫌で現実逃避してるだけだから」
「そうだったんですね」
机の上には数式のテキストが広げられてる。
わたしも数学は苦手。というより五教科全部が不得意だった。体育や音楽、家庭科は大の得意で、高評価も貰えるんだけどなあ。
一度はテキストに突っ伏した御前さんが、顔をあげた。
「っと、美園さんはVCプロで……」
「あなたたち、確か同い年でしょう? そう畏まらなくてもいいんじゃないかしら」
「そっか! なら、伊緒ちゃんでいいよね。私のことも結依でいいから」
結依ちゃんと一緒にわたしも表情を和ませる。
「よろしくね、結依ちゃん」
「うん! えーと……伊緒ちゃんって、どんなことやってるの?」
勉強会のはずが、お喋りになっちゃった。
結依ちゃんや杏さんはNOAHというグループを結成して、三ヶ月くらい。でも、もうドラマの撮影に参加したり、声優のお仕事をしたんだって。
「カルテットサーガっていうゲームで……」
「こらこら、結依? タイトルはまだ教えちゃだめじゃないの」
結依ちゃんはまだ芸能界に入って、日が浅い。それを杏さんや、もうひとりのメンバーがフォローしつつ、NOAHは立派に活動を続けてた。
わたしも楽曲コンクールのことを話してみる。音楽関係の話題のせいか、杏さんは興味津々に声を弾ませた。
「一月に二次審査? やったわね! それって、わたしたちは見に行けるの?」
「関係者の応援でしたら、問題ないはずですよ。多分」
明松屋杏さんに奏ちゃんの歌声を聴かせるの、ちょっと楽しみ。なんたって『アルトの歌姫』だもん。びっくりすると思うなあ。
「で、バレエのほうはどうなの?」
「あっ、そうでした」
コンクールの話題に夢中で、忘れるところだったよ。わたしは公演のチラシを出し、数学のテキストにそれを乗っける。
「実は年末に劇団のクリスマス公演があるんです。観に行きませんか?」
杏さんも結依ちゃんも瞳を輝かせた。
「すごいわ! 一度、舞台で観たかったのよ。しかも『白鳥の湖』だなんて……」
「わたしの友達も出演するんですよ。すごく上手なんです」
「えっ? 舞台に立つの?」
結依ちゃんのほうは驚いちゃって、掴み取ったチラシを凝視するほど。
「井上さんがチケット代を出してくれたら、いいんですけど」
「結依、リカも誘って、みんなで一緒に行きましょう! わたしだって見たいし、あなたにとって絶対、勉強になるに違いないもの」
杏さんったら、すっかり乗り気。オペラ歌劇に造詣が深いひとだから、古典のバレエにおかしな偏見もないみたい。公演に誘ってよかった。
結依ちゃんは少し不安そうにしてる。
「バレエって、一回も見たことないんだけど……それでも大丈夫?」
バレエを知らないひとには、よくある懸念だね。
とりわけ『白鳥の湖』みたいにストーリー性の強いバレエは、何の予備知識もなしに観ても、わからない部分が多いの。せっかくの見どころも見逃しちゃうわけ。
それに『白鳥の湖』は二時間以上もあった。
ここがバレエ観賞の、ハードルの高い面でもあるんだよね……。
「予習はしていったほうがいいかも。あらすじくらいはチェックしておくとか。よかったらDVD、貸してあげよっか?」
「わたしもイロハくらいは勉強しておいたほうが、よさそうね。でも、先にDVDで『白鳥の湖』を観ちゃうのは、気が引けるわ」
杏さんの言うことは、もっとも。
予備知識にしても、どのラインまでにしておくかが難しい。あれもこれも知ってたら、先の展開が読めちゃって、せっかくの感動も薄くなるから。
このあたりは工藤先生に相談してみようかな。
「それなら『ジゼル』とか、ほかのをいくつか持ってきます」
「知らないタイトルね……じゃあ、お願いしようかしら」
クリスマスシーズンは賑やかになりそう。
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