第57話
<Io・Misono>
十一月となると、本格的に寒くなってきちゃった。
最近は学校と、バレエと、あとは奏ちゃんとの音楽活動で大忙し。放課後、わたしはマフラーを巻いて、バレエ教室へ急ぐの。
寒いとウォーミングアップも一手間なんだよね。筋肉って、冷えるとよくないし。
この時期は怪我をしやすいから、わたしも気をつけなくっちゃ。
「こんにちは、先生」
「おはよう、美園さん。早いわね」
工藤先生のコーヒーもホットになっていた。
「そうそう! オーディションの書類審査、通ったわよ」
「ほんとですか?」
先生の手から『合格』の通知を渡され、ほっとする。この書類選考はほぼ確実に通るって話なんだけどね。
美園伊緒は無事、実技テストへと駒を進めることができた。次は実際に踊って、審査員や業界の関係者にダンスを見てもらうの。
嬉しい反面、怖くもあった。
「いよいよね。美園さん」
「……はい」
工藤先生は多分、わたしの戸惑いに気付いてる。
天才少女という『評価』だけが独り歩きして、あの歪な舞台へ追い込まれたこと。あれ以来、わたしはずっと舞台に立てずにいる。
それが今になって、みんなの前で踊って……がっかりされちゃったら?
その黒い不安は今なおわたしの後ろに付きまとってた。
だけど奏ちゃんを強引に歌わせた時、わたしは言ったんだよ。奏ちゃんが歌ってくれたら、わたしも劇団のオーディションを受けるって。
あれって、本当は出まかせじゃなかったのかもしれない。大きな壁の前で喘いでる奏ちゃんが、自分とだぶって思えたの。
最初のうちは『何がなんでもプロになってやる』っていう奏ちゃんに、強迫観念を感じて、怖気づいたりしたけど。それは奏ちゃんが本気で音楽を愛してるからこそ。
プロのミュージシャンにならなくても、インターネットなんかで活動はできるよ? たくさんのひとに聴いてもらえる方法は、ほかにもある。
だけど、より上のステージでないと、できないことがたくさんあって――それを実現するためには、プロになるしかないんだ。
バレエも同じでしょ?
バレエ教室にいても、『白鳥の湖』や『ジゼル』は絶対にできない。プロの団員になることで、初めてチャンスが与えられるの。
確かに落選は怖いよ。でも、もう自己満足のバレエは終わりにしないと。あんな出来事のせいで、大好きなバレエをこれ以上、自分で貶めたくないから。
真剣な気持ちで挑戦して、その先のバレエが見たいから。
「響子ちゃんも劇団で待ってくれてるんです。頑張らなくちゃ」
「そうね。あの子も張り合いがないって言ってるわ」
それにわたしの周りには、すでにプロとなって頑張ってる友達がいるんだもん。劇団で猛練習に励んでる、響子ちゃんだって。負けられないなあって、今は素直に思う。
神妙な面持ちで工藤先生が呟いた。
「問題はジゼルの第二幕を、どう解釈してみせるか……ね」
今度のオーディションも難しいお題だよ。
騙されていたと知りながらも、死してなおアルブレヒトを愛するジゼル。
それをバレエでいかに表現するかを、審査員は吟味するはず。単に振付通りに踊るだけじゃ、わたしだって落選するに違いなかった。
高校生なら技術はあって当然。その技術で何を見せるの、っていう審査なの。
「あなたがもっと前向きに、発表会にも出てくれていたら……」
工藤先生の言葉はもっともで、ぐうの音も出ない。
舞台の実績があれば、多少は有利になるんだけど。アドバンテージ一切なしの一発勝負になっちゃったのは、わたしのせいだね。
「ごめんなさい。でもわたし、やりますから」
「その意気よ。要は二次で通ればいいんだもの。美園さん、頑張って!」
工藤先生と別れてすぐ、わたしは奏ちゃんにメールで書類審査の合格を報告した。一分もしないうちに『やったわね!』ってお返事が返ってくる。
『伊緒、今から駅前に来てくれない? 面白いもの、伊緒に見せてあげるから』
「んーと。じゃあ行くね、っと……」
楽曲コンクールへの投稿も一段落して、奏ちゃんは退屈してるのかな? あんまりうるさく言いたくないんだけど、心配だから聞いておく。
「L女の試験勉強はいいの?」
『もう受かった』
そっ、そんなビッグニュースを、こんなメールひとつでっ?
メールなんて打ってられないから、電話で問い詰める。
「奏ちゃん! 受かったってどういうこと? 転入試験って年が明けてからじゃ……」
『あたしにとっては優先順位が一番下だったんだってば。仮に落ちても、別のとこ受ければ済む話だったし? 試験も英語と選択科目がひとつだけだからさあ』
な、なんか……わたしの知ってる受験と違うよ?
『意外に作曲が受けたみたいでねー。あとは松明屋杏がいるから、VCプロ繋がりで採点が甘くなったんじゃない?』
「ふうん……」
なんだかずるい気もした。
奏ちゃんってほんと、こういうところは要領いいの、羨ましい。
『でもL女の授業はレベル高いから、勉強しておくように、とは言われたわ』
「勉強してるの?」
『一応ね。それより駅前の公園にいるからねー』
釈然としないものも抱きつつ、わたしは興味津々に駅前へ向かった。
奏ちゃんのことだから、本当に面白いことだと思うんだ。
ギタリストらしい風貌で、奏ちゃんは駅前の公園にいた。駆け出しのミュージシャンが曲を披露する場所で堂々とギターを構えてる。
「あっ、かな――」
わたしが声を掛けようとすると、奏ちゃんは『シーッ』と唇に人差し指を当てた。
(まあ見てなさいって。伊緒!)
ギターの弦が一斉に震えだす。前奏はサビをアレンジしたものだった。
歌うことはせず、目を閉じ、ひたすらギターをかき鳴らすの。
奏ちゃんの右手は、もはや指の動きが見えないほど速かった。早弾きってやつだね。なのに音は氾濫せず、丁寧な旋律を紡ぎだしていく。
しかも奏ちゃん、ギターを演奏しながら、巧みにステップを始めた。メタルで始まった曲調が、ジャズ風になると、ステップも緩やかなものに。
もしかして、バレエの……?
バレリーナほど足を上げたりはしないよ。でも、そこにはバレエならではの、たおやかな美しさがあったの。
次第にギャラリーの数も増えてくる。
次の曲はわたしもよく知ってた。チャイコフスキーの『くるみ割り人形』の一節だね。
奏ちゃんがお人形さんみたいにカタカタと動きながら、お辞儀する。ギャラリーのみんなは噴きだし、あちこちで笑い声があがった。
「可愛い、可愛い!」
「ギターも上手いよ、この子」
奏ちゃんは一言も声を出さない。お人形さんになりきってる。
ストリートライブは大盛況のうちに終わり、わたしは無意識に拍手を鳴らしてた。ギャラリーが散ってから、奏ちゃんに声を掛ける。
「奏ちゃん! さっきの、すっごくよかったよ!」
「ありがと。なかなかのものだったでしょ」
奏ちゃんも手応えを感じてた。
わたしにとって意外だったのは、あの奏ちゃんが最後まで歌わなかったこと。終始無言の路上ライブで――だけどギャラリーは集まって、みんな、リズムに乗ってた。
わたしは首を傾げ、自信家の奏ちゃんを見詰める。
「どうして歌わなかったの?」
「そりゃあ、あたしの歌声は大事な秘密兵器だもの。それにバレエって、台詞はひとつもないでしょ? あの空気をパフォーマンスに取り入れてみたってわけ」
さっきのストリートライブはわたしに向けられたものだったんだ。けれども奏ちゃんは前回のような無理強いをせず、わたしの意志を尊重してくれたの。
「あたし、この場所が取れた日は、さっきみたいなの演ってるから。伊緒も一緒に演りたくなったら、キーボード持ってきて。いつでも歓迎するわよ」
引っ込み思案で臆病なわたしのために。
「奏ちゃん……」
「度胸はつけたいって、あんたも思ってるんでしょ? オーディションが始まるまでに、一回でも二回でも予行演習ができたらって、ね」
奏ちゃんは勝気なウインクを決めた。
もしかしたら、また歌えるようになったお礼を兼ねて、協力してくれてるのかもしれない。けど、単なる見返りとは考えたくなかった。わたしが奏ちゃんのために、あんなことまでしたのは、奏ちゃんの歌を聴いてみたかったから。
同じように奏ちゃんは、わたしのダンスを舞台で見たいって、思ってくれてる?
「本番まで頑張ろ! どっちも」
「うんっ!」
そんな奏ちゃんが一緒にいてくれたら、踊れる気がした。
その日から、わたし、奏ちゃんのストリートライブは欠かさず見に行った。ギャラリーの一番前で、奏ちゃんのギターに耳を澄ませるの。
誰に誇るわけでもないけど、友達のギターを自慢してるみたいで、嬉しかった。
そして十二月の始め。
楽曲コンクールの一次審査に合格という通知が届いた。
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