第43話
<Kanade・Tokimiya>
小さい頃からギターにべったりだったわ。
お母さんが高校時代に使ってたっていう、古いギターが、あたしにとって最初の宝物となった。それはやがて壊れちゃったけど、あたしのせいじゃないわよ。
ギタリストのくせに、お母さんのメンテが甘かったの。一度はお店で修理してもらったものの、『もう替え時ですよ』と諭されたのを憶えてる。
そしたらお父さんが新しいのを買ってくれた。ギターのことは何も知らずに……。
ピアノを習ってる女の子なら、何人かいたっけ。でもギターを弾けるのは、このあたしだけ。小学生のうちに将来の夢はミュージシャンに決まった。
なんたって、あたし――朱鷺宮奏には恵まれた才能があったから。
5オクターブを超える高音域の歌声が、そうよ。
みんなには『キーが高すぎて歌えない』曲も、あたしには簡単だった。
ギターのテクニックと、この歌声のおかげで、実力派のバンドに仲間入りして。マーベラス芸能プロダクションに才能を見出され、芸能学校への推薦入学も果たしたの。
早くもメジャーデビューへの道が見えてきた。
もちろん、一気に駆けあがってやるつもりだったわ。
なのに……なのに突然、あたしの『声が変わって』しまったのよ。
風邪をひいて、長いこと咳き込んでたから、その後遺症だと思ってた。
しかしいつまで経っても、自慢の歌声は戻ってこない。無理に出そうとしても、裏声になったり、掠れたりするだけ。
医者の見立てでは『元の声は取り戻せないだろう』って。
原因は男子特有の声変わりってやつよ。それを、あたしは女子でありながら体験しちゃったわけ。本当に珍しいケースらしいわ。
こうして朱鷺宮奏の音楽は呆気ない幕切れに終わった。あれからもう三ヶ月か。
芸能学校には今も通ってるけど、バンド仲間にはずっと連絡してない。自分ではもう歌えもしない曲を書いては、書きなぐって、ギターにぶつけるだけの日々。
このギターにもそろそろ愛想を尽かされちゃうかもね。
そんなだから、アイドル歌手なんて大嫌いだった。愛だの恋だの、思ってもいないことを、『女の子の声』で歌ってるだけだもの。
観音玲美子の歌もよ。あたしには、どれも当てつけでしかなかった。
でも彼女たちは楽譜の通りに歌えてる。わたしにはできないことを、やってる。
女の子の声で歌うってことを。
それが羨ましくて、悔しくて、臨界点を超えちゃったのは先月のこと。観音玲美子のコンサートの帰り、あたしはこの低い声で大泣きしてしまった。
一緒に行った美園伊緒って子には、悪いことしちゃったわね……。
まあ同じVCプロで、同い年なんだし、また会う機会もあるでしょ。その時にちゃんと謝って、ついでに、あのことは忘れてもらおう。
……恥ずかしすぎるもの。
そんなことを考えながら、あたしは今日も芸能学校に通ってた。
朱鷺宮奏といったらね、以前は音楽科で『大型新人』と噂されてたのよ。けど、それも昔の話。すでに声の件はみんなに知られてて、あたしを見る目は痛々しい。
(朱鷺宮さん、まだここにいるんだ?)
(推薦入学で入れたから、学校も困ってるらしーよ)
なんて話が聞こえてきそうね。先生もあたしには興味がなくなったみたいで、今さら事務所の移籍について聞かれてしまった。
「朱鷺宮、マーベラスプロを辞めて余所に移ったって、本当か?」
「報告しませんでしたか?」
「いや、まあ……相談くらいはして欲しかったんだが」
マーベラス芸能プロダクション、通称『マーベラスプロ』は業界でも最大手。この芸能学校へ入学したのも、マーベラスプロの後押しがあったおかげよ。
高校のカリキュラムが盛り込まれてるから、高卒の資格も取得できるわ。お母さんたちは渋ってたものの、特待生の扱いで学費は免除って話したら、一発でオーケー。
さすがマーベラスプロ、太っ腹よね。
芸能学校やマーベラスプロのバックアップがあれば、仕事やオーディションを紹介してもらえることもある。即デビューはないにしても、有利なのは間違いない。
でも――それも声変わりのせいでご破算になったわ。
あたしは声以外の理由をつけ、はぐらかす。
「いいんです、メジャーはもう。マーベラスプロには実際、色々口出しされてましたし」
これで騙せるはずもないけど、先生も詮索はしてこなかった。
「焦るなよ、朱鷺宮。お前はこれからなんだ」
「……はい」
気休めなんて言わないで欲しい。
そう思いながら、あたしは退屈なだけの授業へ向かった。
教室に入っても、クラスの連中はあたし、朱鷺宮奏には気付かないふり。
隣の玄武リカは欠席みたいね。夏休みが明けたら、あたしも玄武も座席を最後尾に追いやられてしまっていた。
こんな真似を黙認してる教師に、何を相談しろって?
授業中、あたしは気怠げに頬杖をつきながら、アホの玄武リカにメールする。
『あんたも学校、来なさいよ。どれだけ居づらいと思ってんの』
『もう辞めるつもりだし、よくない? それより友達ができてさあー』
どこの誰とつるんでるんだか。
天才子役として一世を風靡した玄武リカも、今じゃすっかり見る影もなかった。
あたしとリカはほとんど同じタイミングで、マーベラス芸能プロダクションから、バーチャル・コンテンツ・プロダクション(VCプロ)に移籍してる。
そこの社長が何を思ったのか、あたしに声を掛けてきてね。あたしもマーベラスプロを出る理由が欲しかったから、受けることにしたの。
『奏も暇っしょ? ゲーセン来ない?』
『こっちは忙しいの』
VCプロの井上社長はとりあえず、あたしを音響スタッフとして迎えた。例えばラジオでSEを鳴らしたりするでしょ? そういうのを手掛けて欲しい、って。
こっちはアナログ(歌とギター)専門だから、デジタル(音の編集や加工)は触り程度にしか知らないんだけどね。これも勉強と思って、小さな仕事から受けてるわ。
井上さんはあたしを、ゆくゆくはVCプロ専属の作曲家に――なんてこと夢想してる。その冗談は笑って、流しておいた。
終業のチャイムを待つだけの時間が過ぎ、やっと放課後になる。
あたしはギターを背負って、VCプロお抱えのスタジオへ直行した。芸能事務所に所属してると、練習場を自由に使えるのが大きいのよね。
新作の楽譜を広げ、ギターのチューニングから始める。
スタジオにはピアノもあった。キーボードの仲間がいれば、音合わせしたりできるんだけど……マリのやつはどうしてんのかしら。
バンド仲間からの電話やメールも、ずっと着信拒否でシャットアウトしていた。ここであたしが新曲を書いてることも、知らないはずよ。
もしかしたら、とっくに新しいボーカルを見つけてるかも……。夏休みには音楽祭だってあったはずだし(マリたちのバンドに出番があったかは知らないけど)。
そんな雑念に駆られるせいか、作曲は遅々と進まなかった。
「はあ……」
作詞のほうも行き詰まってるわ。思うままに書いたら、あたしにとって生々しいものになってしまって……。
眩しい街の中 ひとり佇む
ショーウインドウに 泣き顔が映った
これをロックでガンガン弾けるほど、あたしの神経は図太くない。
そのうえ、今のあたしには高すぎる音程を修正するうち、曲は当初の構想を離れ、陳腐なものになってしまったの。
いつまでもこんな調子じゃ、だめだわ……。
そうとわかっていても、どうにもできない。自慢の美声を失ってからというもの、あたしにとっての音楽はむしろ『苦痛』そのものだった。
こんな思いをしてまで、どうして音楽を続けてるの? あたしは。
玄武リカのように諦めてしまうほうが賢明かもしれない。
結局、その日もほとんど進展しないまま、時間だけが無為に過ぎていった。あたしは大して弾くことのなかったギターを背負って、スタジオを出る。
ところが駅で鞄を開けて、気付いたのよ。楽譜を忘れてるってことに。
「ほんと……何やってんだか」
自分の曲を忘れるなんて、昔のあたしじゃ考えられない失敗だわ。万が一盗まれでもしたら、死活問題になるのに。
実際、芸能学校ではそんな事件も起こってた。オーディションでまったく同じ曲が出てきた、なんて珍事も聞いたことあるもの。
電車は無視して、大急ぎでさっきのスタジオへ。
練習場まで戻ると、綺麗なピアノの音色が聞こえてきた。
「……あれ? この曲……」
その旋律にどことなく聞き覚えがあって、あたしは反射的に足を止める。
それはあたしのと、まったく同じ曲のようで、まったく違ってた。
あたしが作ったのはロックよ。鼓動のビートを引き出す、音の奔流。でも聴こえてくるのは、夜の波が引くかのような、澄んだ音色のバラードだった。
ピアノのせい?
それだけじゃないわ。この奏者はあたしの曲をバラードに改変……ううん、バラードでこそ弾くべきだって『解釈』したのよ。
一体、誰が? あたしのロックをバラードに?
不安と、ほんの少しの興味を胸に抱きながら、あたしはスタジオを覗き込む。
ピアノを弾いていたのは、先月の『あの子』だった。一緒に観音玲美子のコンサートを見に行った、美園伊緒。
鍵盤を鳴らす手つきは、まるで踊るみたいに躍動的で。
ピアノの調べは音色も豊かに、あたしの密かな気持ちを代弁していた。このバラードに滲んでるのは、あたしの孤独感――かもしれない。
「なんでバラードにしたの?」
気付いた時には、あたしは前のめりになって、伊緒を問い詰めてしまっていた。
「えぇと……なんとなく、そっちのほうが雰囲気に合うかな、って……」
脅かしちゃったみたいで悪いけど、あたしだって余裕はない。
なんとなく――ね。あたしの音楽を根底からひっくり返しちゃったくせに、簡単に言ってくれるじゃないの。
あたしのロックにないものを、この子は持ってるんだわ。そして、それはきっと、あたしの独りよがりな音楽を変えてくれる。
マリのキーボードを初めて聴いた時は、スキルの有無しか考えなかったのにね。自分のほかにも『天才』がいたんだってことを、今は不思議と素直に受け入れられた。
それだけ、あたしは彼女の演奏に魅了されたわけ。
だったら次の言葉は決まってるでしょ。
「どう? あたしとバンド、組んでみない?」
あたし、初めて伊緒の目を見た。
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