第39話
VCプロのいつもの客間で、私は二次関数の難問に苦戦してた。
「えーと……ここに線を引くの?」
「それをX軸と交差するまで、伸ばして」
名門女子高の杏さんがいなかったら、途方に暮れてたに違いない。今度の学年末試験に向け、勉強を教えてもらってる。
何しろコンサートの練習に没頭してて、学業から遠ざかっていたもので……。しかも先生が『年度中に教科書の最後まで』と急いだせいで、試験範囲は膨大だった。
「やっと解けた……っと、杏さんは試験勉強、いいんですか?」
一問解くごとに辟易して、話題を変えたくもなる。
「わたしは問題ないわ。できるだけ授業中に消化してるし」
「ずるいですよ、そんなの!」
「ずるいって言われても……ねぇ」
優等生の余裕が羨ましい。
アイドルになったら学業どころじゃないなんて、単なる都市伝説だったわ。私、御前結依は先月のコンサートで芸能界デビューを果たしたものの、高校生活に変わりなし。
でも学校が柔軟に対応してくれるようになって、助かってる。
「うぅ~。まだ数学の範囲がこんなに……」
「休憩にしましょうか。結依、今日もハードだったんでしょう?」
私の集中力が切れ掛かっているのを察し、杏さんが手を止めてくれた。
ハードも、ハード。オーディションの結果、怜美子さんの次のコンサートで、正式にバックダンサーに加わることになって。放課後になったら、マーベラス芸能プロダクションに直行し、ダンスの猛特訓なんだもの。
「マーベラスの子たちとは、上手くやってるの? 大丈夫?」
「友達もできましたよ。こないだの件で、毒気の強い子は抜けたみたいで」
件のボイコット班は前々から空気を悪くしてたらしい。今では風通しもよくなり、また訳あって、私は歓迎されていた。
怜美子さん、最優先で私をターゲットにするから。
「いっちばん毒気が強いひとは、ずっといるんですけどね。はあ……」
「気に入られちゃったみたいね。まあ、胸を借りると思って」
どたどたと駆け足が近づいてきた。
「じゃーん! 結依、杏! 見て見て~!」
リカちゃんが勢いよく扉を開け、突風みたいに舞い込んでくる。
いつもはファッショナブルなリカちゃんが、今日はセーラー服をまとってた。上機嫌にターンして、清楚なコバルトブルーを見せびらかす。
「やっと制服、届いたの。スカート丈って、こんくらいでいいかなぁ」
「リカちゃん……どうしてうちの高校の制服、着てるの?」
リカちゃんが目を点にした。
「あれ、言ってなかった? あたし、二年からそっちに編入するんだってば」
私と杏さんは驚いて、ほとんど同時に立ちあがる。
「あ、あれって本気だったの?」
「社長の許可は取ったんでしょうね?」
リカちゃんはしれっと髪をかきあげ、井上さんの口調を真似た。
「社長なら『あなたの好きにしていいわよ』って」
春から私と同じ高校に通う気、満々。
私としては大歓迎! リカちゃんと一緒なら、ますます楽しくなりそう。
「まったくもう……学校は勉強しに行くところなのよ?」
杏さんは諦め顔になって、溜息をつく。
だけど、ひとつ疑問があった。だって、リカちゃんが勉強してるところって……。
「……リカちゃん、編入試験は?」
「試験? 全然わかんなかったけど、おっきくサインしたら、通ったー」
答えはけろっと返ってきた。
優等生を地で行く杏さんが、憤慨して机を叩く。
「ちょっと! それって、裏口入学みたいなものじゃないの!」
「でも勉強とか、めんどいだけだし~」
「学校に行く以上、勉強しなさい! 聞いてるの?」
だけどお説教が始まったところで、リカちゃんはあくびを噛むだけ。
「結依~、一緒に修学旅行で遊ぼーねっ」
「こら! 待ちなさいったら!」
ぎゃあぎゃあと喚きつつ、リカちゃんに続いて、杏さんも部屋を出てった。
「杏さ~ん! リカちゃ~ん! ……はあ、行っちゃったか」
試験勉強中だった私は置いてきぼり。
センターの私は杏さんほど成績がよくないし、かといって、リカちゃんほど大胆に割りきることもできなかった。糖分の足らないノーミソで、数学の続きに挑む。
「栄養補給ぅ……そだ、ちょっとだけ」
手の届くところには、NOAH宛てのファンレターが積んであった。エネルギーを充填したくて、期待を胸に、一枚ずつ広げていく。
『杏ちゃんの歌声って、すごくキレイ! 学校でも家でも聴いてます』
『リカちゃんと同じ髪型にしちゃいました! 可愛いって評判!』
けれども内訳は、杏、リカ、杏、リカ、リカ、杏、リカ、杏、リカ、杏、杏、杏、リカ、リカ、リカ……あ、あれ? 私宛てのは、どこ?
NOAHってデュオだっけ?
いやいや、結依ちゃん宛ても……あった、あった!
ペンネーム『MiMi』さんからのお手紙に、ちゃんと書いてある。
『いつセンター変わるの? 結依ちゃ~ん』
女王様の一言に、私の心がダウン。
糖分もエネルギーも尽き果てた。私は数式に埋もれ、ぐうっとお腹を鳴らす。
「……お腹空いた~。肉まんとかタイヤキ食べたい。あんこのやつ~!」
御前結依のファンクラブ、地道に会員募集中。
ご愛読ありがとうございました。
続きまして、第40話からは『お節介なFriend』が始まります。
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