第38話

『いくよ! ワン、ツー、スリー、Rising Dance!』

 音の波が一斉にステージへと打ち寄せる。

 イントロが流れるとともに、足が自然にリズムを踏んだ。鼓動がビートを奏でる。

 高らかな歌声が響き渡った。


   冷えきった闇の中で 私のパトスが飢えていた


私のソロで始まったのを、杏さんが受け、ダンスの流れで前に出る。


   身体じゅうを巡る 生きてる証


 杏さんの美声は存在感を一際強め、メロディの抑揚を引き立てた。生き生きとした感情の機微が、歌詞という形を成しつつ、みんなに伝わっていく。


   その熱さを伝えたくて 暗闇をかき分けた


 あとから俄かに込みあげてきたのは、リカちゃんの切なさだった。指の先まで使って、全身に熱がまわるのを描く。

 さらに杏さんとリカちゃんの歌声が合わさって、旋律に弾みをつけた。


   目が眩むような光の波 私は飲まれてひとつになる


私も声をあげ、ふたりと情熱を溶け合わせる。

 間奏に入ると、スポットライトがメビウスの輪を描いた。いつしか観客席はサイリウムで埋め尽くされ、七色の光を波打たせてる。

 もう練習通りになんてできなかった。羽目を外して宙返りを決めたのは、私。


   いくらだって踊るわ 月よりも綺麗に、偉そうに


 杏さんは息継ぎなしに歌声を響かせて。

リカちゃんは演技じゃないかもしれない嗚咽を、歌声に織り込む。

 私たちも、お客さんも、全員でボルテージを高めた。興奮は最高潮に達し、ちゃんと息ができてるかどうかもわからない。

 光、音、熱。そのすべてが、ひとつの曲となって拍動した。

 みんなが叫ぶ。

   Rising Dance!

 杏さんが叫ぶ。

   Rising Dance!

 リカちゃんが叫ぶ。

   Rising Dance!

 そして私が全力で叫ぶ。

   Rising Dance!

 サビを連発しながら、私たちのコンサートは夜空まで響いた。ドライアイスを噴き出すくらいじゃ、この熱気は鎮まらない。がむしゃらに歌って、踊って、夢中になる。 

 肺の中の空気を出し尽くして、やっとメロディが終わった。私も、杏さんも、リカちゃんも、一緒に息を切らせつつ、笑みを浮かべる。

 会場で一斉に声援があがった。大音量の拍手が巻き起こる。

「はあっ、はあ……杏さん! リカちゃん!」

「舞台の上よ、ふうっ、結依」

「いきなり飛ばしすぎたかも……でも、サイコー!」

 私を中心にして、杏さんとリカちゃんも手を振り、熱い声援に応えた。リカちゃんが得意げにピースを決めると、杏さんも恥ずかしそうにピースしちゃう。

 私の瞳にじわりと涙が滲んだ。

 ついに、やったんだもの。たった一曲だけど、最後まで歌って、踊りきった。

 みんなの興奮も冷めやらず、アンコールの声があがってる。

 アンコール! アンコール! アンコール!

 勝気な笑みを弾ませながら、私たちはひとりずつマイクを握った。

 ところが……ここから先の段取りは、決まってない。

『ほらほら、リーダー。挨拶しなきゃ』

『あっ、私? えーと……あ、杏さん! お願いしますっ!』

『ちょっと、ちょっと! 混乱しないでったら』

 出だしからグダってしまった。

 さっき全力で歌いきったせいか、気が抜けちゃって。頭の中が真っ白。それでも杏さんやリカちゃんのフォローのおかげで、繋いでいられる。

『前から思ってたんだけど、結依、わたしに敬語はいらないでしょう?』

『えええっ? 杏さん、今ここで言うことですか?』

『杏だけ年上で、仲間外れだもんねー。結依、可哀相だからさぁ』

 まだまだ私、舞台に慣れてない。


                  ☆


 コンサートは大盛況のうちに幕を閉じた。まさか私の紹介で、玲美子さんのライブの未公開映像が流されちゃうとは思わなかったけど……うん、私が転んだやつ。

 ライブの直後に先行販売された『Rising Dance』のシングルは、綺麗に完売してくれた。スタッフは片付け作業に入ってる。

 私たちはステージ衣装のまま、楽屋でひと休みすることに。せっかくのステージ衣装を着替えるのが、何だかもったいなくて。

「いつまでぼーっとしてんの? 聞こえてる? 終わったんだってば」

「へ? ……あ、うん。終わっちゃったんだっけ……」

 リカちゃんに正面で手を振られ、私はうわごとのように呟いた。

 ステージを降りてから、放心しちゃって、ずっとこんな調子なの。それだけ達成感に酔いしれてるんだと思う。

 よくステージで立ってられたなあ、私……。

 熱めのお茶を飲んで、やっと気持ちが落ち着いてきた。

「途中で電池切れちゃったみたいで、ごめんね」

「いいって。あたしもミス多かったし。杏はさすが、安定してたけど」

ポジティブなリカちゃんが笑い飛ばす。

 杏さんは苦そうにはにかんだ。

「安定だなんて……結依とリカが引っ張ってくれたおかげだし」

「ううん。『湖の瑠璃』のソロパートとか、すごくよかったですよ、杏さん」

 談笑していると、井上さんが楽屋に入ってくる。

 井上さんは興奮気味に私たちを労ってくれた。

「お疲れ様! 本当によくやったわ、あなたたち。見事にコンサートを支配したわね」

 支配だなんて、大袈裟だわ。ただ、確かに最初の一曲で主導権を掴めた。

 リカちゃんが人差し指を向け、井上さんを挑発する。

「だからさぁ、社長、デマなんか気にしないで、やっちゃえばよかったんだって」

「まったくだわ。最初からあなたたちの実力を信じていれば……」

 杏さんは安堵の息をついた。

「あの空気で陳腐なダンス披露してたら、盗作って認めるようなものでしたし。井上さんが尻込みするのも、仕方なかったと思います」

 藤堂さんが作曲し、怜美子さんが作詞してくれた『Rising Dance』は、私たちのためのもの。それを実力で証明できたのが嬉しい。

 けど、ひとつ気がかりなことも残ってた。

「あの……井上さん、Gガールズは?」

「そっちは矢内たちが見つけてくれたわ。一応、反省はしてるみたいね」

 井上さんがやれやれと肩を竦める。

「まぁ大きな損害が出たわけじゃないし、マーベラスと揉めるつもりもないから。あとはマーベラスがペナルティを課すなり、やるでしょう」

 私たちNOAHの三人は、複雑な表情で視線を交わした。

バックダンサーも一緒にステージに立てなかったのが、心残りで……。

「あなたたちが気にすることじゃないわよ。さて、ドラマも二期が決まったし、これから忙しくなるんだから。そろそろ着替えなさい」

 井上さんは踵を返し、楽屋を出て行った。

「待ってください、井上さん」

 聞きたいことがあって、私はひとりで追いかける。

「なあに? 結依」

「前から気になってたんですけど……怜美子さんのライブに井上さんがいて、私を勧誘してくれたの、どうしてなんですか?」

「いきなりね」

 井上さんは振り向き、廊下の壁際にもたれた。

「前から杏とリカのユニットは決めてたのよ。でも、ダンスの上手い子も入れたいって構想に諦めがつかなくて……怜美子のコネで、舞台裏を覗かせてもらっていたわけ」

「それで私、ですか?」

「ええ。すごく面白い子が出てきたんだもの」

 私に『面白い』自覚はないんだけど。

 井上さんがほくそ笑む。

「普通の子なら固まっちゃうような場面なのに、平然と踊ってるのには驚いたわ。バックダンサーの遅刻ひとつでバタバタしてる時は、帰ろうかと思ったけどね」

 あの日、いくつかの偶然が重なって、私は井上さんの目に留まった。私は無所属の素人だったから、勧誘しやすかったんだろうな。

 おかげで御前結依は今、ここにいて、ステージに立つ快感を噛み締めてる。

「……っと、仕事しなくちゃ。また明日、事務所でね」

「はいっ! よろしくお願いします」

 多忙な井上さんに一礼してから、私は駆け足で楽屋に戻った。

 杏さんとリカちゃんは何やら楽しそうな雰囲気で、今後の活動を話しあってる。

「あたしも持ち歌欲しいな~。結依も杏も、ずーるーいー」

「次はリカの番でしょうね。社長のことだし、もう進めてるんじゃないかしら」

「やっぱし? コンサート終わってんのに、なんか漲ってきたかも」

 きっと未来のオペラ歌手と、映画女優。

目標は違っていても、私も今は同じものを見ているつもり。

「杏さん、リカちゃん、これからもよろしくね」

 私が微笑みかけると、ふたりの顔にも笑みが弾んだ。

「もちろんよ。今日のコンサートは、NOAHのスタートに過ぎないもの」

「あたしにとってもスタートかな。子役時代とは違うってとこ、見せてかないと」

 杏さんもリカちゃんも意気込みに満ちてる。

今日の記念を形にしたくなった。記念撮影しなきゃ、でしょ?

「着替える前に写真、撮りませんか?」

「いいわね。どこで撮る? 外は寒いでしょうし……」

「矢内さん呼ぼ。誰かに撮ってもらわないとさぁ」

 ありがとう、杏さん。

 ありがとう、リカちゃん。

 これからも一緒に頑張ろうね!

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