第26話
マーベラスプロの候補生はみんな、覚悟をもって芸能界に臨んでいるの。
それに比べたら私なんて、温室で育てられてるようなもの。
私、頑張ってるって言えるのかな……。
怜美子さんは肉まんを頬張りながら、私を挑発した。
「もぐもぐ。少しは身の丈ってのが、わかったでしょう?」
けれども芸能界の厳しさと、先輩からの後輩イビリは別よ。私は眉を吊りあげ、肉まんのようでピザまんだったのを平らげる。
「なんで怜美子さんって、んぐっ、あたしのこと苛めるんですか?」
「ストレス解消」
女王様の微笑みは清々しいほど、小憎らしい。
「……って、いくつ食べるんですか? さっきスタジオで、藤堂さんとご飯に行くとか、言ってたじゃないですか」
「食べたい時には好きなだけ食べる主義なの、わたし」
可憐な外見に似合わず、怜美子さんは大食いのポテンシャルを発揮してた。もうみっつかよっつは食べてるはず。清純派の女優が、肉まんをガツガツだなんて……。
「残りはあげるわ。ピザまん嫌いだし」
「嫌いなら買わないでくださいよぅ」
いつまでも借り物のジャージで休んでもいられない。更衣室の隅っこで着替えを済ませてから、私は借りたジャージを抱え、怜美子さんのところへと戻った。
「怜美子さん、洗って返したほうがいいですよね? これ」
「せっかく結依ちゃんのにおいが残ってるのに?」
怜美子さんが意味深ににやつく。
私はジャージごと我が身をかき抱いて、怜美子さんを睨み返した。
「洗って返しますっ。もう帰っていいですよね、私。定期試験も近いんです」
「え~? 勉強なんていいじゃないの。お姉さんと遊ばない?」
「遊びませんってば」
タイミングを逃したら、夜中まで付き合わされちゃいそう。
残りの肉まんを受け取って、すみやかにまわれ右する。
「これ、ありがとうございます。井上さんも好きですし。それじゃあ……」
以前は怜美子さんも井上さんにプロデュースされていたこと、聞きたくなった。だけど苦手な怜美子さんから情報を聞きだすのは、おそらく難しいわね。
まあ、井上さんに聞けばいい話だし。
ところが怜美子さん、一度だけ私を呼び止めた。
「あ、待って? 言い忘れてたわ。アキラが結依ちゃんに用事を頼みたいとかで。一階のフロントで待ってると思うから」
「藤堂さんが? わかりました、探してみます」
「いなかったら、帰っちゃっていいわよ。またね、結依ちゃん」
私はレッスン場をあとにして、エレベーターに乗り込む。
やっと怜美子さんから解放され、無意識のうちに胸を撫でおろしてた。決して悪いひとじゃないんだろうけど、やっぱり苦手……。
うろ覚えなりに一階のロビーまで戻ったら、藤堂さんを探す。
藤堂さんは手頃なソファで横になり、ヘッドフォンを両耳に当てていた。
「あのぉ、藤堂さん?」
正面から近づくと、その手がヘッドフォンを首元に落とす。
「すまないね、御前くん。怜美子くんには散々遊ばれたんだろう?」
多分、私の顔には疲労がありありと浮かんでた。
「ひどいんですよ? 怜美子さん、ストレス解消とか言って」
「はははっ! まあそう、気を悪くしないで。ところでキミに、これをね……」
藤堂さんが立ちあがって、私のほうに向きなおる。
そして一枚のCDを差し出してきた。
「これを井上さんに渡しておいてくれるかい?」
「はい、わかりました」
お使いくらい、お安い御用だわ。受け取ったCDを鞄に仕舞っておく。
「明松屋くんや玄武くんにも聴いて欲しい曲でね。もちろん御前くん、キミにも」
「じゃあ、みんなで聴かせてもらいますね」
藤堂さんのオススメなのかな?
藤堂さんは爽やかな笑みを浮かべ、先に歩きだした。
「そこまで送っていこうか。おいで」
私もあとを追いかけ、マーベラス芸能プロダクションを出る。
冬の空は夕暮れも過ぎ、薄暗くなっていた。冷たい夜風が身に染みる。
「大きい事務所ですよね」
「そうだね。井上さんもよく『無駄にでかい』ってぼやいてたよ」
また『井上さん』かあ……。
藤堂さんになら、さほど遠慮なく聞けそうだった。聞いちゃいけないことだったら、適度にぼかしてくれると思うし。私を勧誘したひとのこと、やっぱり気になる。
「……あの、井上さんって、どうして辞めちゃったんですか?」
長身の藤堂さんを、私は背伸びするように見上げた。
「簡単だよ。前から『独立したい』と言ってたからね」
「でも独立しなくても……マーベラスプロじゃだめだったんですか?」
「だめってことはないよ。まあ、重役に就いて動きづらくなるより、現場で動いていたいんだろうね。井上さん、現場主義だし」
藤堂さんは大手プロダクションのビルを見上げ、片手で仰ぐ。
「マーベラスプロと揉めたりしませんでした?」
「ははは、それなりにね。だけど、そのあたりはスッキリさせてから出て行ったよ」
私の中で、納得しようという波紋が広がる。
芸能界のことがわからなくても、藤堂さんの話は大体くらいに飲み込めた。
「井上さんには直接聞きづらいのかな? なら今度、昔話でも聞かせてあげるよ。明松屋くんと玄武くんも一緒にね」
「あ、はい……ありがとうございます」
怜美子さんも一緒だったらどうしよう、と不安になりつつ、私は頭をさげる。
正門を出そうになったところで、藤堂さんが親指を駐車場に向けた。
「乗っていくかい? VCプロまで、送っていってあげるよ」
「え? でもそれじゃ、CDを預かった意味が……」
「それもそうか。ふっ、僕としたことが、まわりくどかったかな」
寒さのせいか、藤堂さんの吐息が白くなる。
「僕はね、キミに少し興味があるんだよ、御前結依くん」
その人差し指が私の顔をくいっと上向きにさせた。
美男子顔負けの麗人に迫られてるのかと思って、私は反射的に構えてしまう。
「私に……ですか?」
だけど藤堂さんの振る舞いに、女の子をかどわかすような色気はなかった。藤堂さんに比べれば小柄な私をじっと見詰め、何だか考え込んでる。
急に強い風が吹き、芸能プロダクションのチラシが足元を転がった。
藤堂さんのまなざしが私の真顔に鋭く切り込む。
「キミは誰なんだい?」
質問の意味がわからなかった。
きょとんとするだけの私に、疑問が投げかけられる。
「明松屋杏くんも玄武リカくんも、すでに名が売れている。そこにまったくの新人であるキミを組ませる……というのが不思議でね」
これ、私も疑問に思ってることだ。
「キミこそが井上さんの隠し玉なんじゃないかと、僕は睨んでるんだ。例えば、本当は有名な大物タレントの娘さんで、大きなシナリオが動いてるんじゃないのかい?」
「あ、あの、違います。私、ほんとに普通の高校生で……」
私は普通の高校に通って、普通の生活を送ってる。お父さんもお母さんも、芸能界にコネクションなんて持ってるわけなかった。
ただあの日、観音怜美子のコンサートで、バックダンサーに加わっただけ。
「私は……ほんとに普通で」
普段は考えないようにしてる劣等感を、口にするのはつらかった。
「果たしてどうかな?」
しかし藤堂さんの追及は続く。
「キミは知ってるかい? うちの新人アイドルがデビューする時、お客さんはどれくらい来てくれるのかを。当ててごらん?」
「え、えっと……」
まだNOAHで一回もライブをしてないから、想像がつかなかった。ヒーローショーは五十人くらいだったから、それよりは多いんだろうけど。
「じゃあ、千人くらい……?」
「ばかを言っちゃいけないよ、小鹿ちゃん」
藤堂さんは失笑し、正解を明かした。
「十人来るか来ないか、だよ。しかしキミたちのデビューコンサートは、二千人の動員が想定されている。……おっと、これはまだ話しちゃいけないことだったかな」
その言葉のひとつひとつが、私にプレッシャーを与えてくる。
さっきレッスン場で猛練習していた子たちでさえ、最初に呼べるお客さんは、たったの十人。なのに私には、二千人なんていう大きなステージが用意されているらしかった。
杏さんとリカちゃんがいるから、二千人のお客さんを呼べる。
でも私は、その二千人のうちで、十人を呼べるかどうかもわからない。
足を引っ張ってるだけなんじゃないの?
明松屋杏と玄武リカのデュオでいい。わざわざ素人を加えてトリオにすることに、メリットがあるとは思えなかった。
「いや、すまない。余計な詮索だったかもしれないね」
本当に私が単なる高校生だと察してくれたのか、藤堂さんの口調が柔らかくなる。
「……はい。それじゃあ失礼します。今日はありがとう……ございました」
私は俯き、ずっと視線を落としていた。
怜美子さんにもらった肉まんを抱え、ひとりで帰路につく。
やっていけるのかな、私?
振り返った時には、藤堂さんの姿はもうなかった。マーベラス芸能プロダクションのビルが、大きな壁のように思えてきて、立ち竦みそうになる。
杏さんやリカちゃんがいなかったら、私はここに入ったりできた?
入ろうとさえ思わなかったよね、きっと。
風が吹くと、冬の寒さが瞳に染みた。
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