第15話
お母さんの許可は意外にも簡単に降りた。何せ、観音怜美子の大ファンだから。サインとかはもらえないよって説明したのに、色紙を持たされるはめに。
私たちの一行はバスで山道を進むこと、三十分。だんだんと山間の景色が開けて、綺麗な瑠璃色の湖が見えてくる。
「すごーい! 夏なら泳げるのにな~」
トンネルを抜けてからというもの、リカちゃんは窓際にべったり。
さすがに泳ぐのは無理よね。そろそろ寒さが例年並みになってきた頃合いで、天気予報でも雪のマークが見られるようになっていた。
「ちょっとリカ? 寒いんだから、閉めなさいってば」
「も~、せっかく楽しんでるのに」
杏さんとリカちゃんは今日も、朝からけん制しあってた。
中立地帯の私はひやひやしっ放し。
学校のように同世代が大勢いるんなら、わざわざ敵同士で隣接することもない。しかしユニット活動は四六時中一緒のため、せめて間に緩衝材を挟むしかなかった。
「現地に着いたら、まずは先発隊の方々に挨拶ね」
「早く湖見に行きたいから、あたしはパ~ス。そだ、あたしの分も挨拶しといてよ」
「そうはいかないでしょう! 何日もお世話になるんだから」
緩衝材の私は気苦労が絶えない。
どっちにも挨拶させちゃだめな気がする……杏さんも不機嫌そうだし。
やがてロケ地となるペンションに到着した。私は一足先にバスを降り、NOAHの代表として挨拶を済ませていく。
「あの、おはようございます。VCプロダクションのNOAHです」
「ノア? あー、VCさんとこの。キミは確か、ゴゼン……なんだっけ?」
「みさきって読みます。御前結依です」
これから最短でも三泊の予定だった。天候次第では延びる可能性もあるのよ。
プロ中のプロだと、雲の形まで気になっちゃうらしいけど……。
外の空気に触れて、杏さんも少しは気が晴れたみたい。心地よさそうに背伸びする。
「ん~っ! ここまで来ると、空気も美味しいわね」
湖は瑠璃色の水面が波打ち、光の潤沢を揺らめかせていた。
「冬ならスケートもできるんじゃない?」
「実際、やってるみたいですよ。ちょっと惜しいですね」
観光地としても百点満点だわ。シーズンオフでもなければ、こんなに条件のいい場所を貸し切りにはできないはず。
リカちゃんが指でフレームを作った先は、小高い丘になっていた。
「ふぅ~ん。これだけ段差が多いと、カメラも角度つけやすそうじゃん」
すでに撮影を前提にしてる言葉に、私は少し不安になる。
「ドラマの撮影って、すごく難しそう……私でも大丈夫かな? 経験ゼロなのに」
「気を引き締めないといけないわね。肩にしっかりと力を入れて」
「肩の力抜いて、気楽に演ればいいのよ。簡単、簡単」
杏さんとリカちゃん、アドバイスが逆……。
ふたりが視線をかちあわせて、苛々を募らせる。そして同時にそっぽ向く。
これ、どんどん仲悪くなってってない?
「──大切なのはバランスよ。肩に力を入れつつ、力を抜くの」
はらはらしていると、ひとりの女性がフォローに入ってくれた。見覚えのあるその端正な顔つきに、私は跳びあがるくらいに驚いてしまう。
声を掛けてきたのは人気絶頂の清純派女優、観音怜美子ご本人だったの。
「みみみ、みねみーっ? じゃなくて、えぇと、その!」
杏さんとリカちゃんも喧嘩をやめ、慌てて私の両サイドに並んだ。
「は、初めまして。NOAHの明松屋杏です。今日からよろしくお願いします」
「え、えーと、玄武リカでぇす」
怜美子さんがたおやかに腕組みして、くすっと微笑む。
「明松屋さんに玄武さんね。で、あなたは……?」
その瞳が私の顔を見据えた。
「はいっ! NOAHの御前結依です!」
さっきは動揺しちゃったから、改めてはきはきと挨拶する。
それでも心臓はばっくんばっくんと暴れてた。痛くなるくらい背筋を伸ばす。
だって、みねみー、すっごい可愛いんだもの!
スレンダーなプロポーションもファッションセンスも、完璧でしょ。優美な物腰で、ロングヘアを靡かせるだけでも、自然と絵になる。
小顔には張りがあって、眉や睫毛の手入れも巧みだった。
正面から目を合わせていると、宝石のような瞳に吸い込まれそうになる。
「へえ、あなたがあの時の……」
怜美子さんはしげしげと私を眺めていた。
その人差し指が不意打ちで、私のオデコをぴんと弾く。
「わたしのライブに飛び込みで入って、派手に転んでくれたそうじゃない。あとで編集がボヤいてたわよ? 『邪魔だなあ、この子』って」
「……え?」
大物女優の唇が意地悪そうにひん曲がった。
「たったあれだけのことで感化されちゃって、芸能界入り? ぷっ……単純ね」
踵を返し、さらさらの質感を見せつけるように髪を波打たせる。
「せいぜい頑張って、芸能界ごっこ楽しんでってね。エキストラさん」
何が起こったのか、私はしばらく理解できずにいた。思考回路が停止しちゃってる。
呆然自失とするしかない私の肩を、杏さんが揺すった。
「ゆ、結依……大丈夫? わたしの声、ちゃんと聞こえてる?」
「あーあ。結依、やっぱ難癖つけられちゃったか」
リカちゃんがやれやれと両手をひっくり返す。
清純派女優・観音怜美子のイメージはがらがらと崩れていった。私は悲鳴のような声をあげ、直視してしまった現実に絶望する。
「いっ、今のほんとに、みねみーだったんですかっ? 偽者じゃなくて?」
観音怜美子っていったら、穏やかなお姫様キャラじゃなかったの?
さっきの、まるで女王様だったんだけど?
リカちゃんが私の頭をぽんと叩く。
「現実よ、ゲンジツ。勉強になったでしょ、エキストラさん」
「うそぉ……わ、私、ライブだって行ったのに……」
ショックのあまり、私は地べたで四つん這いになってしまった。
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