第16話
準備が整ったら、急ピッチで撮影スタート。天気がいいうちに、屋外や昼間のシーンを優先して撮ってしまいたいらしいわ。
経験の浅い私には決まった役もなし。一応はエキストラ出演の体だけど、出番も少ないから、雑用にまわってる。
ちょっと物足りないけど、自信もないしね。
初めてのエキストラ出演も、後ろのほうで座っているだけだったわ。監督さん私には関心がないみたいで、何もコメントしない。
「うーん……急な依頼だったから、こっちもある程度は妥協するけどねえ。もうちょっと形にならないかなあ? リカちゃんみたくさ」
むしろ新人の私より怒られているのは、意外にも杏さんだった。
「すみません。何度でもやりなおしますから、お願いします」
「キミだけのシーンならそうするけどね……まあ、向こうで休んでおいで」
杏さんは食いさがるものの、監督さんに拒否される。
ほかの役者さんたちは卒なく演技をこなし、監督の要望に応えてた。杏さんひとりのために撮りなおし、というわけにはいかないのね。
でも杏さん、前ほど落ち込んでいる様子もなかった。ベンチに腰掛けて、ゆっくりと深呼吸し、前向きに気持ちを切り替えようとしてる。
そんな杏さんに私は談話がてら、アップルジュースを持っていった。
「どうぞ、炭酸じゃありませんし」
「ありがとう、結依」
杏さんが苦笑しつつ、ジュースで喉を潤す。
「カッコ悪いとこ見られちゃったかしら。……大根役者なのよ、わたし」
演技がなってない理由も、自己分析できてるんじゃないかな。
私も似たようなレベルだから、親近感が沸いてくる。
「台詞はばっちり憶えてるじゃないですか」
「そっちはね。はあ……演技もだけど、カメラが難しくって」
杏さんのぼやきに、私も『そうですね』と相槌を打った。隣に座り、ほかのスタッフには聞こえないよう、ボリュームを落とす。
「わかんないですよね。枠がどうとか、パースがどうとか」
「理屈はわかるのよ? 理屈は。でもねえ……」
今も現場では数台のカメラが三次元的に動いていた。さまざまなアングルから、ズームやアップといった手法も駆使して、映像に効果的な演出を与える。
私も杏さんもスタジオで少し練習した程度よ。小高い丘なんて坂道になると、カメラが傾いちゃって、映像の想像がまったくつかない。
そんな環境の中で、リカちゃんは平然と妹役をこなしてた。
「お姉さん! 忘れ物よ」
「あら? ありがと。助かったわ」
観音怜美子と違和感なく並び、ドラマの世界を如実に作りあげてしまってる。
「大事なものなら、忘れちゃだめでしょ。ふふっ!」
私や杏さんが台本通りにやったら、あんなふうに上手には笑えないわ。ひらがなまんまで『うふふ』になってしまうのが関の山だもの。
監督さんも覗き込むような姿勢で、満足そうに頷いてる。
すごいなあ……リカちゃんの演技って。
私と杏さんもしばらくリカちゃんの妹ぶりに見入っていた。監督さんの合図が割って入ったところで、撮影していたことにはっとする。
「オーケー! いい絵が撮れたよ」
リカちゃんのアドリブに、スタッフさんたちは賛否両論の様相だった。
「いいんですか? 監督。リカちゃん、台本より動きすぎてる感じでしたけど」
「面白い絵になってるから構わんさ。主役を立てるアピールだしな」
さっき杏さんが怒られていた時とは、空気が違う。リカちゃんの実力を正当に評価したうえで、クオリティをどこまで追求するのか、真剣に話しあってた。
私の隣で、杏さんが羨ましそうに呟く。
「カメラアピールとか、演技のイロハとか、本当はリカに教えて欲しいのよ。なのにあの子ったら、レッスンに来ないから」
もしリカちゃんの才能が凡人のレベルだったら、杏さんはとっくに関係を切ってた。今なおリカちゃんにこだわるのは、私たち『NOAH』の完成度を追及してるから。
杏さんには特に、演技力や表現力が欠けているの。
「私だって、もっとリカちゃんに教えてもらわないと……」
「結依は度胸があるから、いいじゃない。ヒーローショーもよかったし」
「本番に強いだけですってば。バカなんですよ、私――」
おしゃべりに興じていると、主演女優から私だけ呼ばれてしまった。
「ちょっとぉ、結依ちゃん! 遊んでないで、お茶の入れ替えしといてくれるー?」
観音怜美子もとい、女王様の命令には逆らえない。
「あっ、はい! すぐやります!」
「あと紙コップ片づけといて。それくらいの雑用、素人でもできるでしょ」
そして、これは始まりに過ぎなかった。
「まだ衣装の準備してるの? 時間押してるんだから、要領よく進めなさいったら」
「やーね、わたし、オレンジはキライなのに。誰よ? これ持ってきたのー」
「結依ちゃーん! 手が空いてるなら、椅子運んでぇー!」
私への指示はすべて怜美子さんから。
いわゆる新人イビリってやつ? もちろんスタッフは助けてくれない。
「明日は湖の傍で撮るのよね。今のうちにゴミ拾いでも、しといてもらおうかしら……」
怜美子さんの視界から外れたところで、私はコブシを握り締めた。
……ほんとーに、イヤなひとっ!
でも相手が大物女優じゃ、言い返せるはずもない。
ゴミ拾いに勤しむ私とすれ違ったリカちゃんは、他人事みたいに笑ってた。
「大変そうね、結依。頑張ってー」
「ひどい! リカちゃんまで?」
可哀相な私の瞳が、悔し涙を滲ませる。
陽が暮れたところで本日は撮影終了となった。スタッフが宿泊施設に入ってく。
ただっ広い湖畔でゴミ拾いを終えた私は、立ちあがる気力もなく、芝生の上でごろ寝していた。体力は人一倍のつもりだったけど、も~へとへと!
「つ、疲れたぁ……雑用だけで……」
しかも明日は朝イチで起きて、草むしりをすることまで決まってる。
哀れなシンデレラを、女王様が悠々と見下ろしてきた。
「辞めるなら早いほうがいいわよ、結依ちゃん。学校休んで来てるんでしょう? 勉強についていけなくなったら、大変だものねえ」
私のこめかみには間違いなく青筋が立ってた。自分でもよく我慢したほうだと思う。
怜美子さんが去ったのを見計らってから、リカちゃんが起こしに来てくれた。
「おっつかれー。見てる分には面白かったわよ、結依」
「ふんだ、リカちゃんってば……怜美子さんと仲良くしちゃって」
わざとらしく拗ねながら、私はリカちゃんの手に掴まる。
「今回は運がなかったくらいに思いなって。結依、エキストラは悪くなかったんだし」
「エキストラにいいも悪いもあるの?」
スカートの土をぱんぱんと払う私の傍らでは、杏さんが真っ青になってた。
「ちょっと……明日はわたし、怜美子さんとカラミあるのよ? NG食らったりしたら、メチャクチャ怒られそうじゃない」
私はにこやかに親指を立て、杏さんにエールを送る。
「頑張ってくださいね、杏さん! 私、応援してますから!」
「リカみたいに言わないでよ! はあ……」
私たちもペンションに戻って、夕食をいただくことに。
食堂はすでにスタッフさんたちで賑わっていた。私たちNOAHは端っこのテーブルに着いて、質素だけど栄養価は高そうな、民宿のお夕飯を前にする。
「いっただっきまーす!」
私とリカちゃんは大口開いて、向かいの杏さんはしとやかに箸を進めた。
「もぐもぐ……んあっ? リカひゃん、かふぁあげほらないれ」
「落ち着いて食べなさいよ、ふたりとも」
そんな私たちのテーブルに、矢内さんが移ってくる。杏さんの専属マネージャーだった矢内さんには今、NOAHのスケジュールも管理してもらっていた。
「三人とも、お疲れ様。まあ初日はあんなものだよ」
「買い出し行っててくれたんですよね、矢内さん。ありがとうございます」
「車だからさ。必要なものがあったら買ってくるから、言ってね」
我らが井上社長の無茶ぶりに悶える私たちを慰めてくれる、親切なひとでもある。
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