第14話
人間には『相性』ってのがある。食べ物の嗜好がその典型で、目玉焼きに醤油をかけるひとがいれば、ソースをかけるひとや、ケチャップをかけるひともいるでしょ。
普段はいいのよ。マヨネーズだろーと、ケチャップだろーと。
でも、目玉焼きがひとつしかないとしたら? 嗜好の違いは摩擦となって、時には不毛な争いだって起こり得た。
そんなことを、近頃はよく考え込んでしまう。
「今日もサボって、どこ行ってたのよ! メールもしたでしょう!」
「充電切れてたし~。てゆーか、練習なんて意味なくない?」
NOAH結成から早一週間、事務所では杏さんがリカちゃんを叱りつけるのが、恒例になっていた。ふたりの相性がすこぶる悪いの。
明松屋杏は根っからの努力家で、勤勉だし、時間にも正確。
一方で玄武リカは遊び好きでサボリ魔、おまけに時間にもルーズだった。
今日もリカちゃんはレッスンに顔を出さず、私と杏さんが事務所に戻ってきたら、客間のソファで寝息を立てていたの。
誰が悪いというなら当然、リカちゃんが悪い。
「本番で一発成功させたら、済む話じゃない。んー、お腹空いたな~」
けれども本人に悪びれた様子はなかったし、私の立場からでは強く言えなかった。リカちゃんは三人の中で一番キャリアがあるけど、私はまだ素人と変わらないもん。
それにNOAHは奇数のメンバーで成り立ってる。つまり私が杏さんに味方すると、リカちゃんは人数差で不利になっちゃう。
「まだデビュー曲だって決まってないしさぁ。それからでもいいでしょ?」
「だから、今のうちから発声練習で合わせておく必要があるの!」
客間で騒いでいると、井上さんが割り込んできた。
「はいはい、喧嘩はそこまで! 話があるから座りなさい」
しかし説教を始める気配もなく、私たちに着席を促す。
ソファでは中央の私を挟んで、右に杏さん、左にリカちゃんが座った。ふたりとも反対の方向を向いて、目を合わせようとしない。
うぅ、気まずい……。
それでも井上さんは意に介さず、テーブルに今回の企画書を広げた。
「観音怜美子が主演のドラマ、知ってるでしょう? 『お嬢様は庶民の金銭感覚を身に着けているつもりです』ってやつ」
「あ、オジョキンですね。毎週見てました」
「結依が言うと、オジョキンって略称に説得力あるわね」
確か少女漫画が原作なんだっけ。観音怜美子がヒロインを演じ、高視聴率を記録したことは私の記憶にも新しい。新シリーズを期待する声も大きかった。
「友達が『漫画と違いすぎる』って言ってました」
「そのあたりはどうしても、ね。少女漫画の場合は、割と受け入れてもらえるものなんだけど……っと、でね、その特別編を、前後編に分けて放送することになったの」
井上さんが背後のカレンダーに親指を向ける。
「チョイ役とエキストラ、もぎ取ってきたから。明後日から撮影に行ってきなさい」
「あっ、明後日ぇ?」
唐突にもほどがある指示に、私だけでなく杏さんも前のめりになった。
「社長……スケジュールはもっと早く出してくださいって、いつも言ってるじゃないですか。わたしたちにだって都合があるんです」
前髪をかきあげ、困ったふうに額を押さえる。
こういう井上さんの無茶ぶりは、一度や二度じゃなかった。お仕事が午前中で終わったと思いきや、その場で午後からのお仕事が追加される、なんてことも。
「役者が急に体調崩したらしいのよ。あなたたちにとってはチャンスなんだから、素直に喜びなさい。天気のほうは多分、大丈夫だと思うわ」
残念ながら井上さんを論破できる仲間はいない。
反抗する気もなさそうなリカちゃんは、あっさり折れた。
「撮影って、どこ?」
「涼しくなってきてアレだけど、避暑地としてはいいところよ。今の時期なら湖で釣りができるんじゃなかったかしら」
「釣り? はいはーい、あたし、行く!」
仕事ついでに遊べるとなれば、リカちゃんのモチベーションも上がる。
「リカちゃん、釣りとかできるの?」
「やったことないから、やってみたいの。マグロ釣ろ~っと!」
「……はあ。体長3メートルもあるマグロが、釣れるわけないでしょう」
ところが杏さんの呆れた一言が、リカちゃんのテンションに水を差してしまった。
またもやふたりが火花を散らす。
「釣る前にほーりゅーしとくやつ、あるじゃん」
「放流って、稚魚を放すことを言うのよ。第一、マグロは海水魚なんだから、淡水の湖なんかに放したら、すぐに死んじゃうわ」
「だ、だったら海でやるもん」
ふたりとも相手に対抗して、強引に舌をまわす。
どっちにも味方できない私は、嵐が過ぎるのをじっと待った。
「あなたたちの出番はそう多くはないけど、少し長くなるでしょうね。三、四泊くらいは覚悟しておいてちょうだい」
「三泊って……泊まるんですか?」
「そういうこと。異論でも?」
もちろん異論ありまくり。私は人差し指を捏ねつつ、正当な理由を述べた。
「行けるなら行きたいんですけど、学校を休むのは難しいような……」
文化祭の一件で、私は生活指導の先生に睨まれちゃってる。芸能活動については井上さんが話をつけてくれた、といっても、居づらさはあった。
友達は応援してくれるんだけどね。
「その心配なら無用よ。欠席した分は補習でクリアって話で、落ち着いたでしょう」
井上さんは私たち三人を一瞥し、肩を竦めた。
「結依は当然としても、杏とリカもまだまだよ。この機会に、第一線のプロに徹底的に扱いてもらってきなさい」
企画書のコピーだけ置いて、定位置のデスクに戻っていく。
杏さんがやるせない溜息を漏らした。
「仕方ないわね、これも大事な仕事だし。結依はスケジュール取れそう?」
「うーん……お母さんが納得してくれるか、どうか」
「だいじょぶだって。あたしん家に泊まるってことにしちゃえば」
私の頭の上を杏さんとリカちゃんの言葉が、弾丸みたいに飛び交う。
「そういう嘘はよくないの! ご家族に理解してもらうのは、大切なことだわ」
「スタッフもいるんだから、父兄同伴みたいなもんじゃない。結依、あたしらでパジャマパーティーしよーねっ」
「遊びに行くんじゃないのよ? そんな軽い気持ちで……」
私と杏さん、私とリカちゃんなら平和なのに、杏さんとリカちゃんだと一触即発。
このメンバーで三泊だなんて、いよいよやばいかも。
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