第13話

 杏さんも作法に倣って、味見程度に口をつける。

「……言うほど苦いってことも、ないんじゃないかしら」

 私の手前、無理して見得を切ってるんだと思う。リカちゃんも見抜いてた。

「もう一杯、淹れたげよっか?」

「け、結構よ」

 杏さんが茶碗を置き、ハンカチで口元を拭う。

「そうそう、飲んだら『結構なお手前です』って言うのよ」

「御粗末さまでした、じゃなくて?」

 お茶が入ったのを見計らったようなタイミングで、さっきの女中さんがお茶菓子を差し入れてくれた。お団子を用意してくれてたらしい。

「お菓子食べてたら、お茶の味も変わってくもんよ。ほんと、ほんと」

 いの一番にお団子に手を伸ばしたのは、リカちゃんだった。

 杏さんはなかなかお茶請けに手を出せない一方で、私はそれを口に放り込む。

「ちょっと、結依? こういうのは少し遠慮してから」

「でも美味しいですよ」

 いつまでもリカちゃんのペースに乗せられてるわけにもいかないでしょ。

 それからしばらくの間、リカ先生による茶道の講習が続いた。試しに私もお茶をあててみることになって、杏さんも肩に力が入っちゃう。

 次第に虚栄を張ってもいられなくなった杏さんが、降参するようにうなだれた。

「びっくりしたわ。あなたって、こう……今時な子っていう印象だったし」

「まっ、家がこんなだし?」

 渋めのお茶を、リカちゃんだけは美味しそうに味わってる。

「あ、楽にしてよ。作法とかいいから」

「じゃあお言葉に甘えて……うぅ、足が~」

 リカちゃんに続いて私も正座を崩して、スカート越しに脚を按摩した。杏さんはまだ正座を維持してるけど、足の甲を組み替える動きが怪しい。

「っと、今日はお茶をしに来たわけじゃないのよ、わたしたち。ユニットの件でね」

 本題に入ると、リカちゃんは言い渋るふうに含みを込めた。

「あたしはまあ、反対ってわけじゃないんだけどさぁ」

 そもそもこの三人が一堂に会するのは、初顔合わせの時以来よ。私と杏さん、私とリカちゃんにはそれなりに交流があっても、杏さんとリカちゃんは赤の他人も同然。

「別にどっちでもいいかな~って。何ならさ、結依と杏のデュオでもいいんじゃない?」

「井上社長の決定よ。わたしも今は前向きに考えてるし……」

 ふたりの意見が食い違いつつあることに、私は戸惑う。

 杏さんが顔を引き締め、打ち明けた。

「わたしね、オペラ歌手を目指してるの。でも実力が足りないし、経験だって足りない。だから、あなたたちとのユニットを通して、もっと高みに行きたいのよ」

 その瞳は真剣にリカちゃんを見詰めてる。

 杏さん、本気なんだわ。歌以外のことだってある今後の活動に、積極的になってる。

「あなたにも目標はあるんでしょう? でないと、まだ残ってたりしないわ」

 杏さんの実直な言葉は、掴みどころのないなリカちゃんにも届いた。

 リカちゃんがそっぽを向いて照れつつ、小声で呟く。

「そりゃ、あたしだって……目標がないこともないけど?」

「映画でしょ、リカちゃんは」

 確信があった私は、考えるより先に代弁してた。

 初めて会った日、リカちゃん、たくさん映画の話してくれたもんね。レンタルショップで『あ行』から全部見てるくらい、映画に情熱を注いでる。

「そ、そーよっ。ちょっとだけ、映画女優になりたいな、って……」

 言い切ることはしなかったけど、リカちゃんの映画に対する想いは感じられた。

 ドラマで大人気の子役だったんだから、チャンスはあったんだと思う。それを活かせなかったことの後悔なのかな。それとも、未練?

「で? 結依はどうなのよ」

「わっ、私?」

 不意に話を振られて、ぎくりとした。

 私なんて、つい先月に業界入りしたばかり。まだ高校卒業後の進路だって漠然としてるのに、将来のビジョンとか、具体的に出来上がってるわけがない。

 それこそ、杏さんやリカちゃんと競えるような目標なんて。

「私は……その、レベル低いことかもしんないけど……」

けれども、きっかけはあった。深呼吸を挟んでから、私は本音を明かす。

「ステージに立ちたいの」

 あの衝撃が忘れられなかった。観音怜美子のコンサートで、ステージに立って。突風のような声援と、洪水のような光を全身に浴びながら、ほんの一瞬でも踊ったこと。

 杏さんが切れ長の瞳を瞬かせた。

「ステージって? あなた、舞台経験あったの?」

「実はその、みねみーのライブで……二十秒くらい、バックダンサーを」

 リカちゃんが目を点にして、仰天しちゃう。

「ええええっ? 社長が言ってた飛び込みのシロートって、あれ、結依だったの?」

 ふたりの大先輩は『なるほど』『だから』と相槌を打った。

「結依って面白いじゃん! あたし、なんか興味出てきちゃったかも」

「すごい度胸よね。観音怜美子のライブで」

 ど、どこをどう評価されてるんだろ?

 リカちゃんはうんうんと頷き、囲炉裏に手をかざした。

「しょーがないから、あたしもやろっかな。ユニットってやつ」

「決まりね。有意義な活動になるよう、頑張りましょ」

 杏さんも手を伸ばし、リカちゃんと合わせる。

「ほら、結依も。あなたも一緒にやるんでしょ、わたしたちと」

 最後に私も手を重ねた。

「は、はいっ。杏さん、リカちゃん。……これからよろしくお願いします!」

 三人一緒に力を込めて、景気よくスタートを切る。

「じゃあ早速、ユニット名を決めましょうか。いくつか候補があるのよ」

「松竹梅女子……じゃ、ないですよね?」

「ところでさぁ、センターは誰にすんの? デビュー曲は?」

 お茶が冷めちゃうまで、私たちはユニットの今後を相談していた。


                  ☆


 VCプロの新ユニット『NOAH』の初仕事は、遊園地の野外ステージで、ヒーローショーのお手伝い。子ども相手のイベントは勉強になるらしい。

 司会と進行を務めるのは、三人の中で一番場慣れしているリカちゃん。

『みんなー! 今日はありがとねー!』

 子どもたちに風船を配り終えたヒーローは、舞台の裏でやっと仮面を外せた。

「はあ、はあ……デパートの着ぐるみも、きつかったけど……」

 事務所から『アクションもできます!』と紹介されちゃったせいで、私がヒーローを演じてたの。スーツの中は蒸れてるものだから、早くシャワーを浴びたい。

「ちょっとぎこちない感じだったけど、よかったほうじゃない? ヒーローさん」

「そお? ありがと、リカちゃん」

 感想ついでにリカちゃんが缶ジュースをよこしてくれた。

 一服してると、よろよろと怪人も戻ってくる。その着ぐるみから頭を出して、杏さんはぜえぜえと息を切らせた。

「子どもって、はぁ、パワフルね……も~だめっ」

 ヒーローの私は子どもたちと記念撮影くらいで済む。けれども怪人は子どもたちに引っ張られるわ、蹴られるわで、大変そうだった。

「リカ、次の時間は交代しない?」

 杏さんが不満そうにむくれる。

「大体、どうしてわたしが怪人なのよ? イメージと違うでしょ?」

 そんな不服の申し立てを、リカちゃんは一笑に伏した。

「杏の演技がヘタッピだからじゃない。進行できるほど愛想もよくないしさ」

 私も内心、納得してしまう。確かに杏さん、愛想はちょっとないかもね。

「杏さんも休んでください。コーラでいいですか?」

「あ、炭酸はやめて。咽は大事にしたいから」

「相変わらず真面目ねー、杏って。めんどくなんないのぉ?」

 私たちは輪になって、それぞれジュースを飲み干した。体温が上がりきった身体に、冷たいジュースが染み渡る。

「ぷはあ~っ!」

 アイドルユニットにしてはささやかなものかもしれない。それでも私は、杏さんやリカちゃんと一緒に、確かな一歩を踏み出していた。

 NOAHのメンバー、御前結依として。

 それは私の新しい生活の始まりで、挑戦の連続で、きっと楽しい日々。

 だったらいいなと思いつつ、今日の私はまたヒーローに変身する。

「リカちゃん、さっき間違えたとこ、練習付き合ってよ」

「オッケ。結依はとりあえず、歩数で位置を把握できるようにならないとね」

「わたしは休ませてもらうわ……」

 願わくは、怪獣の役はまわってきませんように。

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