第12話

 表札にも厳めしい字で『玄武』って刻んであるわ。

「あのぉ、杏さん? 私たち手ぶらですよ、まずいんじゃないですか?」

「お、お見舞いじゃないんだし?」

 私も杏さんも学校の制服で、放課後の寄り道くらいの感覚だったのに。インターホンの前で譲りあい、もとい押しつけあいになってしまう。

「杏さん、お願いします! 先輩なんですから、お手本を見せてください」

「わ、わたしが? でもこういうのは、ほら、後輩が率先して……」

 結局、ジャンケンで決めることに。私のチョキが一撃で杏さんのパーをくだす。

 杏さんの人差し指が恐る恐るインターホンに触れた。

『玄武でございます』

「あっ、あの、VCプロの明松屋と申します。ほ、本日はその」

『はい、伺っております。どうぞ、お入りくださいませ』

 門が中央から自動で開き、私たちを迎え入れる。……って、自動ドアぁ? 

 私たちはアイコンタクトを交わし、がちがちになりながら、玄武邸の敷地に踏み込む。オペラ歌手の杏さんでも、こういう場所は緊張するみたい。

 庭は枯山水の様相で、ししおどしが清流を奏でていた。このままでも時代劇のセットに使えそう。私も杏さんも罠を警戒するように慎重な足取りで、少しずつ進む。

「ここ、開けちゃっていいんですよね? 杏さん」

「だ、だと思うわ。玄関でしょうし……?」

 正面の扉を開けていいものか、決めあぐねていると、庭のほうから声を掛けられた。

「結依、杏~! こっちこっち!」

 時代劇風の縁側から飛び出してきたのは、ロンTとスパッツのリカちゃん。まるで現代からタイムスリップしてきた女の子みたいになっている。

「お妙さーん!」

「大声出さなくても聞こえてますよ、お嬢様」

 玄関のほうでも扉が開いて、そっちからは着物姿の女中さんが出てきた。

 リカちゃんが、お嬢様?

 私と杏さんが固まってると、リカちゃんが首を傾げる。

「どしたの? 遊びに来たんでしょ?」

 先日は『もう帰る』というメールで終わっちゃったにもかかわらず、リカちゃんは全然気にしてない様子だった。いつものご機嫌な表情で、けろっとしてる。

「あの、玄武さん……この間の、文化祭のことだけど」

 杏さんが神妙に切り出しても、あっけらかんと笑い飛ばされた。

「あーごめん、ごめん。あたし、沸点低くてさぁ、すぐ怒ったりしちゃうの。でも冷めるのも早いっぽいから、許して」

 私たちの第一の目的は、リカちゃんに謝ることだったんだけど、もう済んじゃった。

 女中さんにも促され、玄武邸にお邪魔する。

「お嬢様のご友人がいらっしゃるなんて、初めてのことでございまして。よろしければ、お夕飯も召しあがっていってくださいな」

「い、いえ、迎えも来ますし……」

 案内された先は、囲炉裏つきの座敷だった。縁側からさっきの枯山水を見渡せる。

 ししおどしの跳ね返る音が、静かな空気に響いた。

 囲炉裏の手前、私と杏さんはおもむろに正座で腰を降ろす。

(杏さん! 私、作法とか知らないんですけど!)

(わ、わたしもよ。とりあえず座りましょう)

 同じ心境の今なら、杏さんとアイコンタクトひとつで会話だってできた。

「どうぞ、ごゆっくり」

 女中さんが正座で一礼し、音もなく襖を閉ざす。料亭にでも来ちゃったみたいだわ。

「リカちゃんの家って、お芸事とかしてるの?」

「ん、日本舞踊。この時間はね、あっちのほうで弟が稽古してんの、多分」

「……多分?」

向かい側に座ったリカちゃんは、あっさり足を崩しちゃう。

「あっちのほうは女人禁制でさぁ。あたしは入っちゃいけないことになってんの」

「へえ……伝統あるご実家なのね」

 杏さんも私と同じく落ち着かない様子で、きょろきょろしていた。

 玄武っていう厳めしい苗字も、昔からのものなんだろうなあ。弟さんっていうのがおそらく跡継ぎで、今も稽古に励んでるのね。

 ちょうど私が考えてたことを、杏さんが問いただす。

「ご実家がこうだと、色々厳しかったりするんでしょう? 玄武さん、芸能活動に反対とか、されなかったの?」

「そうでもなかったわよ。パパも、お前は女なんだから好きにしろ、って」

 リカちゃんは唇をへの字に曲げ、杏さんに念を押した。

「そんなことより、杏? あたしのこと『玄武』って呼ぶのはやめて。堅いのヤなの」

「わ、わかったわ。じゃあリカでいいのね」

 それから私たちと同じ正座の姿勢になって、茶器に手を伸ばす。

「テキトーに寛いでて。あててあげる」

「あて、る?」

 私と杏さんは戸惑いつつ、意識的に背筋を伸ばした。

 ロンTとスパッツというラフな恰好なのに、リカちゃんの仕草のひとつひとつが、妙にたおやかに思えてくる。それこそ着物でも着ているかのような艶やかさで。

 その手はほとんど音を鳴らすことなく、静かにお茶を立てていた。囲炉裏に火がついたことに、私はあとから気付く。

 そんな手際のよさに見惚れてるうち、お椀がやってきた。

「はい、飲んでみて」

 中には薄い緑色のお茶が入ってて、渋い香りがする。

「え? えっと……どうすればいいの?」

「まず左手で取って。お椀の柄が自分のほう向いてるでしょ? それをまわして、あたしのほうに向けたら、口をつけるの」

 教わるままに、私は慎重にお椀をまわしてみた。思ってたより重い。

「こうかな? じ、じゃあ、いただきます……」

 リカちゃんが愉快そうににやついた。

 これは確信犯に違いない。お茶は舌が痺れるほどの苦さで、涙腺にも染みてきた。

「にがぁい! 何、これぇ?」

「あっはっは、やっぱり? 別に紅茶を立てたっていいんだけどね」

 同じように杏さんのもとにもお茶椀がまわってきた。

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