第11話
職員室に飛び込んで、資料室を開けてもらったのが十分ほど前。
私と杏さんは状況を静観できるくらいには落ち着き、嵐が過ぎるのを待っていた。
「ごめんなさい、結依。迂闊だったわ」
「杏さんのせいじゃないですよ。気にしないでください」
野外ステージのほうにはまだリカちゃんがいるみたい。おかげで私たちは逃げおおせ、資料室に隠れていられる。
平凡な高校の文化祭に、芸能人がふたりも現れたんだもの。しかも生徒の三分の一は、名子役として名を馳せた玄武リカと、同い年なわけで。
校内放送では生徒に『落ち着きなさい』と注意を促してる。
あとで怒られるんだろーなあ、私……。
だけど、これ以上はないってくらいの成果もあったわ。歌えないことでずっと悩んでた杏さんが、ちゃんと歌えたんだから。
「杏さんはもう大丈夫ですか?」
「ええ。でも……どうして急に歌えたのかしら」
ハンカチを頬に当てながら、杏さんは一息に肩を竦めた。
「きっと結依のおかげね」
「そんなことありませんよ。私は何も……」
杏さんを救ったのは、決して私のお節介じゃない。
あれは多分、ステージの力だった。私も観音怜美子のコンサートで体験した、あの不思議な力よ。素人の私さえ熱くなって、何でもできるって自惚れそうになるほどの。
「あんなふうにお客さんと一緒に歌ったの、初めてで。自然と声が出たのよ」
「でも杏さん、お客さんの前で歌ったこと、ありましたよね?」
「だから、そういうのじゃなくて……今まではほら、お客さんって、静かに聴いてくれるのが普通だったから?」
クラシックの方面で活動する杏さんにとっては、単にポップスのノリが新鮮だったのかも。杏さんが窓際に寄って、カーテン越しに青空を眺める。
「さっきあなたが言ってたこと、ステージで思い出してたわ。ボールがゴールに入らないのが、また入るようになったっていう」
「関係ないと思いますよ、多分」
「そう……ね。だけどわたし、今、すごく納得してるのよ。なんとなく」
うーん、そうかなあ?
けど、私なんかでも杏さんのお手伝いができたんなら、いいことよね。杏さんの顔には勝気な自信が満ちていて、私も嬉しくなってきた。
「ありがとう、結依」
気恥ずかしくもなってくる。
私は照れ隠しに携帯電話を開けた。
「え、えーと! ちょっとリカちゃんに連絡しますね」
未読のメールがいくつかあって、差出人はクラスメートとリカちゃん。友達からは『明松屋杏を連れてきたってマジ?』という類の質問ばかり届いてる。
そしてリカちゃんからの最後のメールには、一言だけ『もー帰る』とあった。
「……あ」
無意識に私はそんな声を漏らす。
「どうしたの? 結依……あ」
杏さんも遠慮がちにメールを覗き込んで、察してくれた。
気分屋のリカちゃんを怒らせちゃったみたい。さっきもお客さんの相手を押しつけちゃったし……。杏さんが責任を感じたように呟く。
「わたしのせいだわ。謝らないと」
「それをいうなら、私ですよ。リカちゃんも時間、間違えてたけど……」
しかし相談を始める間もなく、私たちのもとに生活指導の先生がやってきた。その厳かな形相からして、お説教にいらっしゃったのがわかる。
「少しいいか? 御前」
「……ハイ。説明させていただきます」
杏さんの前で私は頭を垂れた。
☆
翌週、私は杏さんと一緒にリカちゃんの実家を目指した。
車の運転は杏さんのマネージャーの、矢内さんにお任せ。杏さんは助手席に、私は後部座席の左寄りに座って、前方の街並みを眺める。
矢内さんは気さくな男性で、私にも気軽に話しかけてくれた。
「大変だったでしょ、学校。怒られたりした?」
「あはは……たっぷりと。連れてくるなら前もって言っとけ、って」
ここ数日は疲れっ放しの私は、溜息をつく。
学校の先生には散々怒られたし、友達には質問責めにされるし。芸能事務所で活動していることも、みんなにばれてしまった。
VCプロからは井上さんが弁明のため、学校まで出向くことに。
もちろん、そのあとは井上さんにも怒られてしまった。
矢内さんがハンドルを切りつつ、苦笑する。
「まあしょうがないね。パニックになって、事故になることだってあるし。イベントでもサプライズ演出って気を遣うからさ」
「すみません……」
「いいって、いいって。これから勉強していくんでしょ?」
同じことを井上さんにも言われたっけ。今回は事なきを得たけど、暴動みたいになって収拾がつかなくなった事例もあるらしいわ。
とはいえ先生の全員が全員、否定的ってわけでもなかった。校長先生なんて、ちゃっかり明松屋杏のサインもらって、校長室に飾っちゃってるくらいだもん。
要は事前に段取りを決めておけばよかったわけ。
それに杏さんのスランプを解消できたことで、井上さんから一応の評価はもらった。昨日の練習では杏さんの歌が聴けて、スタッフも喜んでくれたしね。
あとはリカちゃんとの溝を埋めるだけ。ここに来て、私たちのユニット結成は現実味を帯びつつあった。
「杏ちゃんがユニット組むなんてねえ。あんなに乗り気じゃなかったのに」
「そのつもりよ。歌えるようになったのは、結依のおかげでもあるし……今までは歌の練習ばかり固執してたけど、色々やってみよう、って思うの」
杏さんが柔らかな笑みを浮かべる。
「そういうわけだから、結依にも頑張ってもらうわよ」
「は、はいっ!」
やがて車は車道を離れ、路地に入った。
「まずは玄武さんを説得しないと。社長はトリオでプロデュースする戦略でしょうし」
勉強不足の私には、専門用語からして疑問の対象だったりする。
「あの、すごい初歩的な質問でアレですけど……ディレクターとかプロデューサーって、何がどう違うんですか?」
初心者にもわかりやすいように、杏さんが噛み砕いて教えてくれた。
「作品の方向を決めるのがディレクターで、商品の売り方を決めるのがプロデューサーというところかしら。略してDとかPともいうわね」
「へえ~。じゃあ井上さんって、私たちのプロデューサーになるんですか?」
杏さんの説明に矢内さんが付け足す。
「活動が軌道に乗ったら、改めて人員を決めるんだと思うよ。それまでは社長が面倒見るつもりみたいだね。業界じゃ、あのひと、現場好きで有名だから」
しばらく進んだ先で、車が止まった。杏さんに続いて、私も車を降りる。
「この道をまっすぐ行ったら、着くはずだよ」
「ありがと、矢内さん。二時間したら、迎えに来て」
矢内さんは手を振ってから、車とともに走り去っていった。
私と杏さんで、リカちゃんの実家らしい建物を探す。地図で見る分には随分と大きな物件らしいけど……。
「……えーと。こ、ここでいいのかな?」
私たちは呆然として、神社仏閣のような木造の門構えを見上げた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。