第6話
私の立場で無理強いなんてできない。杏さんのほうが遥かにキャリアがあって、音楽とも真剣に取り組んでるから。
それこそ私なんて、ダンスの練習を一ヶ月ほどこなしただけ。
私は席を立ち、せめて杏さんに頭を下げた。
「私のほうこそ、なんだか邪魔しちゃってごめんなさい。でも私、その……杏さんはすぐ歌えるようになるって思います。根拠とか、思いつかないんですけど」
「ありがとう。気休めでも嬉しいわ」
杏さんには気休めにもなってないんだわ。
勇み足でこのひとを追いかけてきたことを、後悔してしまう。
「また会うこともあるでしょ。発声練習でよければ、いつでも付き合うから」
「はい。その時はよろしくお願いします」
私は一足先にスタジオを抜け、無人の階段を少しずつ降りていった。
きっと、バスケでゴールに入らないっていうのより、深刻なんだろうな。
バスケットボールのプレイヤーとしては小柄な私の強みは、小まわりの利く俊敏さと、パスやシュートの正確さ。ところが、急に得点が決まらなくなった時期があったの。
自分でも何が原因なのか、わからない。練習に気合を入れたつもりでも、ボールは全然ゴールに入ってくれなかった。
でも、いつの間にか普段通りのプレイができるようになった。
その体験を杏さんにも伝えたかったんだけど、我ながら語彙力のなさが恨めしい。
ダンスレッスンのほうは井上さんがキャンセルを掛けたらしく、練習できなかった。私は着替えを済ませて、ビルの玄関先から夕空を仰ぐ。
午後の五時を少し過ぎたくらいね。まだ夏の気配が残ってて、空は明るい。
この時間帯は電車に乗りたくなかった。帰宅ラッシュですごく混雑するんだもの。
「そういえば、リカちゃ……玄武さんが、ゲーセンがどうとか……」
時間を潰したい時はゲームセンターに寄っていくのが、私の習慣だった。友達と一緒ならプリントごっこで、ひとりならリズムゲームで、十分ないし二十分は遊べる。
もしかしたら運よくリカちゃんに会えるかもしれない。
そんな私の楽観的な考えは、あっさりと現実のものになってくれた。ふと通り掛かったゲームセンターの店先では、地元の中学生らが賑やかに集まっていて。
「次はこの曲ぅ! ねえ、誰が対戦する?」
そこではゲーム好きの美少女がイベントを開催してたの。人垣の後ろから背伸びで覗き込むと、玄武リカちゃん、見っけ。
リカちゃんは店頭のリズムゲームを独占し、挑戦者を募ってる。
「あの子、高校生かな?」
「お前、メアド聞いてこいよ」
挑戦者はほとんど男子だけど、女子も楽しそうに観戦してた。
ゲームは流行のリズムゲーム。さまざまな曲に合わせて、画面に表示されるアイコンの順に矢印を踏んでいくの。ルールはシンプル、でも面白い。
「ごめん、ちょっと通して」
彼女のことが気になって、私は前へと割り込んだ。
リカちゃんは無邪気な子どもみたいに、ゲームに夢中になってる。その身体は抜群のリズム感を発揮し、難なく勝利を数えあげた。
「まだまだっ! もーちょっとでハイスコア……くう~!」
けれどもハイスコアにはあと一歩のところで届かない。悔しそうに唸って、次のコインを投入すると、準備運動ついでに挑戦者を待つ。
「やっぱ対戦してないと点数が……あれ? あんた、確かさっきの」
リカちゃんのあどけない瞳が、最前列にいる私を見つけた。
「えーとほら、ミサキだっけ?」
「そっちは苗字です。結依でいいです」
思ってた通り、また名前を間違えられちゃう。
「ゴメンゴメン! 結依、ね? 今度こそ憶えたから」
私たちのやり取りに、ギャラリーは首を傾げてた。リカちゃんはまだしも、私は注目されることに慣れてなくて、四肢が強張りそうになる。
リカちゃんは腰に両手を当て、対戦前から勝者の風格を漂わせていた。
「結依、あたしと対戦しない? ゲームしにきたんでしょ」
「私が? じゃあ、ちょっとだけ」
ゲームセンターに寄った以上、私だって遊ぶ気は満々。しかも同い年の名子役として名を馳せた、あの玄武リカちゃんと遊べるんだから、モチベーションが違ってくる。
ギャラリーが見守る中、私は鞄をカゴに放り込んで、筐体へと上がった。リカちゃんと隣り合わせとなって、一緒に曲を選ぶ。
「どれでもいいですよ、私」
「そお? そんじゃ、まだ今日やってないやつ……コレでいこ!」
運よく私の十八番に当たってくれた。イントロが始まった時点で、パネルの指示が自然と頭に浮かぶ。
「みねみーの新曲ですね。あたし、上手いかもしれませんよ」
「そうこなくっちゃ! とっ、とと!」
いきなりハイペースで流れるサインの通りに、私もリカちゃんもパネルを踏む。
脚だけでなく全身でリズムに乗って。曲に合わせて弾むうち、緊張も解け、プレイに白熱してきた。サビではギャラリーの手拍子も入って、ますますヒートアップ。
つい調子に乗って、私は隠し技も披露しちゃった。
「玄武さん、こーいうのもアリですよねっ!」
まわれ右して画面を見ず、前後左右を逆にしても、軽やかにダンス。
その妙技にリカちゃんが驚いて、目を見開く。
「うっそ! それでできちゃうわけ?」
「サビなら憶えてますから」
ギャラリーのボルテージも高まっていく。
「逆にすればいいんでしょ? それくらい……っと、ムリ! ムリムリ!」
リカちゃんは真似ようとしたけど、すぐ画面に向きなおって、復帰に焦った。その一瞬が私たちの勝敗を決める。
ゲームのスコアは私の勝利となって、拍手が巻き起こった。
「どうですか? 玄武さん。勝っちゃいましたよ」
「結依ってば、サイコー! もう一曲!」
負けちゃったリカちゃんも、けらけらと笑う。
ここまで来たらゲームの勝ち負けじゃなくって、楽しんだ者が勝ち、でしょ。
以降は私の苦手な曲もあって、今日のところは引き分けとなった。私たちが筐体を離れると、さっきまでのギャラリーがこぞって次のゲームを始める。
リカちゃんは猫みたいに懐っこい仕草で、私の肩に手をまわした。
「んもうっ、最初から付き合ってくれればよかったのに~。あのハイスコアってミサ……じゃない、もしかして結依のやつ?」
「違いますよ。さすがにあんな点数は出したことないですし」
「ふぅん。あっ、お腹空いてない? ちょっと寄ってこ」
明松屋杏さんとは正反対に、こちらの玄武リカちゃんは、自分のペースで強引に相手を引っ張っていくタイプみたい。
「じゃあ、駅前でどうですか? 私、電車だから」
「オッケ。先にレンタルも寄らせて! 借りたいのが出てんのよねー」
私たちのお腹もほどよく減ってた。
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