第3話

 海にも行かないうちに、夏休みは終わってしまった。

 彼女(仮)との最後のお出かけで、可愛い水着を選んであげたのに……。当初の約束通り『ごっこ』は終わり、後輩は受験勉強に本腰を入れることになった。

 釈然としないものを感じながら、私、御前結依も高校最初の二学期へ。二学期デビューのつもりだったポニーテールには、誰もコメントしてくれない。

「だめだめ、オバケ屋敷は隣がやるって」

「わたし、クラブのほうも出なきゃなんないんだけどー」

 高校では文化祭に向け、動きが始まりつつあった。

しかし放課後は立て込んでいる私は、文化祭の相談もほどほどに、席を立つ。

「ねえ、結依。何のバイト始めたの?」

「ビラ配りとか、そういうのだってば。じゃあね」

 友達にはバイトと誤魔化しているそれを、いつまで続けるのか、自分でもわからない。だけど放課後の時間を無為に過ごさなくていいことには、助かってた。

 やっぱバスケ、続けてたほうがよかったかな?

 帰りの電車は途中で降りて、繁華街の一角へと急ぐ。そこに私の務め先こと、ビジュアルコンテンツプロダクション、通称『VCプロ』があった。

 外から見る分には十階超の高層ビルだけど、VCプロが使ってるのは、その五階にある一フロアだけ。大部屋はパーテーションで区切られ、単純な迷路みたいになってる。

「おはようございまーす!」

 私はここの新入りで日も浅いから、雑用は率先してやるようにしていた。コピー機のゴミを片付けるとか、客間の掃除をしておくとか。

下っ端だってこと、自覚あるし。

 でも実は私、VCプロが抱えるタレントのひとりだったりもする。

 アイドルってほどじゃないけど……。観音怜美子のコンサートで井上さんに誘われて、タレントとしてささやかに活動を始めてるの。

 でも、まだお仕事らしいお仕事はしたことがなかった。事務所に顔を出したら、すぐに近くのレッスン場に移って、ダンスの稽古をつけてもらう日々。

 お仕事といえば、デパートの屋上で着ぐるみを着たくらいかなあ。

 あとは『オーディション』っていうのを五つ受け、五つとも落ちた。バックダンサーの応募とかね。

もちろん、私と同い年でも、すでに何年も経験積んでる子が大勢いるわけで……。この御前結依なんかが通る道理はないと思う。

 とはいえ井上さんは、オーディション全滅という結果を気にしてない。

 とりあえず私の第一希望はダンスとか、そういう方面なんだけど、デビューの輪郭さえ見えてこないのが現状だった。

 まあダンスの練習は楽しいし、いっか。

 それくらいの気持ちで、私はVCプロに足しげく通ってる。

「さて、と……それじゃ私、レッスンに……」

「待ちなさい、結依。話があるの」

 ところが今日は井上さんに呼びとめられた。

 私だって薄々勘付いてる。オーディションは落選してばかりだし、目立った才能があるわけでもない。試しに採用してみたけどやっぱり……くらいは予想してる。

「こっちで話すわ」

 井上さんは資料を抱え、先に客間に入っていった。

 土足禁止の部屋だから、靴が見える。

 ……女の子がふたり、かな?

 片方はきっちりと揃えられているのに、もう片方は脱ぎっ放し。私はその真中で靴を脱ぎ、スリッパに履き替える。

 ほかにも面子がいるってことは、解雇の話……じゃないみたい。

「ふたりとも、待たせたわね」

 客間のソファには、私と同い年くらいの女の子が、中央を空けて座ってた。

「いいえ、時間通りですから、問題ありません」

 右の子は背筋を伸ばし、井上さんを待っている。私にはちらっと視線を引っ掛けただけで、おそらく気にも留めてない。

「ふあ~あ……」

 対照的に左の子はソファにもたれ、だらけちゃってる。

 ふたりとも、どっかで見たことあるような?

 事務所に常駐してない私が憶えてないだけで、もしかしたら同じ所属なのかも。でも歳の近い同僚がいたら、こっちから声を掛けてるはず……よね。

「結依、あなたもそっちに座りなさい」

「は、はい。えっと……失礼します」

 私はふたりの間に割り込んで、ソファには浅めに座った。向かい側で井上さんも腰を降ろし、御膳のようなテーブルに企画書を広げる。

「今日集まってもらったのは、ほかでもないわ。あなたたちでユニットを結成することにしたの。これがその企画」

 突拍子もない話に、私は思わず声をあげた。

「ええええっ? ユ、ユニットって?」

「聞いてません、社長! 勝手に決めないでください!」

「え~? ユニット組むのぉ~?」

 驚きと、苛立ちと、気だるげな声が一緒に響く。

 私は目を瞬かせ、ほかのふたりと顔を見合わせた。三人とも初耳みたいね。

 それを井上さんは意に介さず、強引に進めようとする。

「今日が顔合わせよ、自己紹介しなさい。そうね、まずは杏から」

「そんな、まだ何も……」

「質問なら、あとでまとめて受けつけるわ。あなた、練習に行きたいんでしょう?」

私の右に座ってる女の子が、渋々といった顔つきで切りだした。胸元に左手を添える仕草が、どことなくお嬢様らしい。

「……明松屋杏(かがりやあんず)です。十七歳の高校二年生です」

 その名前に私、はっとした。明松屋杏っていったら、有名な音楽家夫妻の娘で、次世代を担うと噂のオペラ歌手じゃなかった?

 彼女の歌声には驚異的な音域があって、楽器の音色まで再現できるとか。

「救急車のひと?」

 考えなしに私は漏らしてしまった。いつぞやのテレビ番組で、この子が救急車の音真似してたのを憶えてたの。ピーポーピーポーって。

 明松屋さんは不愉快そうに眉を顰めた。

「ええ、そうよ。わたしのこと、ご存知のようで光栄だわ」

 オペラ歌手に向かって『救急車のひと』は失礼だったに違いない。オペラの曲目なんかが思いつけば、よかったんだけど。

 明松屋杏ほどの大物が私の同僚だなんて、俄かには信じ難い。

 容姿端麗でいて気丈な雰囲気が、女の私さえ緊張させる。一時期はアイドルに転向って噂もあったっけ。

 私の左にいる子が、やけに間延びした声で話す。

「ねえ、救急車って何のことぉ?」

「じゃあ、次はリカね。自己紹介しなさい」

「え~? ……まあいっか」

 ソファにもたれることで、そのプロポーションが弓なりにのけぞった。

「玄武(げんぶ)リカでーす。芸能学校に通ってて……えぇと、高校一年になるんだっけ?」

 私は三度目を丸くして、玄武リカちゃんを見詰める。

 以前は子役として活躍していたのが、この玄武リカちゃん。私と同い年のせいか、初めて会うのに妙な親近感があった。よくお母さんが『この子は結依と歳が同じなんだって』とか言ってたし。

 ビジュアル面はもちろん、その演技力はとても評価が高い。子役時代は数々のドラマを成功に導いたと言われていて、私もテレビで見てた。でも最近は監督と喧嘩したとか、無断で髪を染めちゃったとか、暗い噂もつきまとってる。

 明松屋杏に続いて、玄武リカまで。

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