第2話

 そこでは私と同じ恰好の女の子たちが待機していた。……いや、あたしが彼女たちと同じ格好をしてるんだっけ?

 混乱する私の顔を見て、彼女らが首を傾げる。

「ねえ、あなた……誰?」

 と聞かれそうになったタイミングで、歓声が一気に沸きあがった。

 み・ね・みー! み・ね・みー!

 音という音が氾濫し、私たちの言葉はかき消される。

 舞台が暗転すると、スタッフがバックダンサー(私を含む)にGOを指示した。

 ほかの子たちは戸惑いつつ、ステージにあがっていく。駆けださなかった私は、スタッフに背中をばしんと叩かれてしまった。

 ステージに上がっちゃったら、大声で『違うんです』とも言えない。真っ暗なステージの上で、バックダンサーらと等間隔に距離を取り、端っこに立つ。

 次の曲を期待してか、闇の向こうで客席が静まり返った。

 隣の子が私に手を振る。

「――あなた、聞こえてる? こっちでタイミング作るから、上手く降りて」

「え? あ……うん。ごめんなさい」

 散々慌てふためいてたスタッフよりも、彼女らのほうが冷静だわ。なるべくステージの端に寄っておき、いつでも動けるように重心を浮かせておく。

 どっ、どうしよう……? 

 ついさっきまで、私は気前のいい自販機くんと、サイダーの爽やかさについて語りあってたはずなのよ。ところが今はステージの上で、喉が渇いてしょうがない。

 観客席は真っ暗で、サイリウムの灯が点々としていた。イントロが流れ始めると、それが全面で一挙に数を増やし、あたかも海面のごとく光を波打たせる。

 ワアアアアアッ!

 満場の声援が空気を震わせた。咄嗟に竦んだ私の身体も震えて、鳥肌が立つ。

 もう自分が息をしているかどうかも、わからない。

 頭上でスポットライトがメビウスの輪を描いて、舞台に熱い光を溜め込む。ステージが輝かしく浮かびあがると、観客のボルテージは最高潮に達した。

 サイリウムの振りが大きくなって、七色の光を無限に混ぜあわせる。ステージの角で煙がシューッと噴きだした。

 私の全身が、光と音の洪水に飲まれていくの。

声援を受けてるのは私じゃないってこと、わかってる。ステージの中央に立つ観音怜美子が手を振るだけで、サイリウムの水面に喜びの波紋が広がった。

「みんなーっ! いっくわよー!」

 全員が熱狂するステージの上には、私もいる。今、その一部になってる。

 緊張もしたし、恐怖だってあった。まだ心の半分以上は戸惑ってる。でも、ステージの上で、少なからず興奮している私もいた。

 胸が高鳴る。楽器に使えそうなくらいの鼓動が、リズムをつける。

 ステージの後方で、バックダンサーが一様に同じポーズをスライドさせた。私が気付いた時には遅く、躍動的なダンスが始まってしまう。

「えっ? え?」

 私も見様見真似で手足を振ってみたけど、まったくついていけなかった。ぎこちなくステップを踏んでは、遅れてバンザイする。隣の子のスロー再生にすらなってない。

 そんなちぐはぐのダンスを見て、やっとスタッフは状況を把握したみたい。舞台の袖に集まって、『え?』とか『まさか』と囁きあってる。

 だけど、もう遅い。

スポットライトが届かないぎりぎりの位置で、私は踊ってる。

 それから隣の子に腕を引かれるまで、私の稚拙なダンスは続いた。何とか舞台の脇に抜けるや、身体が勝手にへたり込む。

 今さら腰が抜けたのかも。

 疲労感とともに妙な達成感も込みあげ、私はしばらく呆然としていた。


 ステージを離れても、一向に落ち着かない。私はステージ衣装のまま、控え室のほうで休ませてもらうことになった。

 本当にさっきまで、私、ステージで踊ってたんだっけ……?

 次に目を開けたら朝が来るんじゃないかと思って、試しに目を瞑ってみる。だけど目はとっくに覚めていて、夢を見てるはずもなかった。背中はべっとりと汗をかいてる。

 やっぱりスタッフは私を、遅刻してきたバックダンサーと間違えていた。おかしいと思ったスタッフもいたらしいけど、それ以上に焦ってた、って。

 立ち入り禁止の場所だったうえ、すでにライブは始まっていたから、自販機の前にいるのは関係者と思い込んだわけね。

 それでも、どこかで誰かが気付きそうなものだけど。

 控え室でサイズ違いのブーツを脱ぎ、スリッパに履き替えていると、スーツ姿の女性が入ってきた。ほかのスタッフは大忙しなのに、そのひとは時間を持て余してるみたい。多分、えーと、ディレクターとか……そういう立場のひとなのかな。

 私は立ちあがり、頭をさげた。

「あっあの、勝手に混ざったりしてすみませんでした!」

「ちょっと変わったバックダンサーがいただけのことよ。映像もカットできるから、気にしないでちょうだい」

 それを彼女は、あっけらかんと笑って済ませる。

「一服するといいわ。お茶でよかった?」

「じ、じゃあ、いただきます……」

 勧められたお茶を、私はおずおずと受け取った。パイプ椅子に座りなおしてから、震えがちな指で缶を開ける。今になって緊張しちゃってるみたい。

 渇ききった喉に、冷たいお茶がじんわりと染みた。

「ふう……あ、ありがとうございます。えぇと」

「井上よ。そういえば名前も聞いていなかったわね、あなたは?」

「はい、御前結依っていいます」

 井上さんもパイプ椅子に腰掛け、コーヒーの缶を開ける。

「悪いけど、今日のこと、ほかのひとには内緒にしてね。結構な大問題だから」

「そ、そうですよね」

 井上さんの言葉に納得しつつ、私はお茶で気持ちを鎮めた。

 お客さんを間違えてステージに上げちゃった、なんて世間に知られたら、大騒ぎになるわよね。私もおかしな面倒事に巻き込まれたくない。

 ふと井上さんが溜息を漏らした。

「現場っていうのは混乱するものだけど、今回みたいな件は聞いたことがないわ。遅刻なら遅刻で、人数を減らして出すとか、やりようはあったでしょうに」

「どうしてそうしなかったんですか?」

 今回のスタッフの行動は、素人の私から見てもわからない。

 バスケットボールの試合だったら、遅刻なんて欠席扱いにするものだし。そもそも全員揃って現地入りしていない時点で、論外だわ。

「まあ……ね。観音怜美子のライブは色々厄介なのよ」

 井上さんの物言いには何やら含みがあった。でも私が聞いていいことでもないし、聞いてもわからないことは想像がついた。

「あの、私はもう大丈夫ですし……井上さんも忙しいんじゃないんですか?」

「ん? あー、いいのよ。私は事務所も違うし」

 芸能界に疎い私には、事務所というだけでも何が何やら。

 井上さんが缶コーヒーの縁を指でなぞる。

「……みさきゆい、ねえ。みさきって、海辺の岬?」

「いえ、ゴゼンって書いて『みさき』です」

「あぁ、そっちの。ふぅん……声なんかも悪くはないわね」

 首を傾げるあたしに、井上さんはさらに一枚の名刺を差し出してきた。名刺には『ビジュアルコンテンツプロダクション』の社長、『井上亜沙子』ってある。

「社長ってことは、会社なんですか?」

「そりゃそうよ。何も知らないのね……でも、高校生だとそんなものかしら」

「高校一年です」

「高一? な、る、ほ、ど……」

 井上さんは納得するふうに頷いた。質問はまだまだ続く。

「今日は怜美子目当てで来たの? ひとりで?」

「中学の後輩と……その子の友達が行けなくなったとかで、チケット貰っちゃって」

 ライブに興味がないような言いまわしになってしまった。私はかぶりを振って、社長さんの手前、修正しておく。

「あっ、でも、みねみーは好きです! 今日はCDも買いますから!」

「ふふっ、ありがと。私も怜美子が好きだわ」

 井上さんはそう呟くと、肩を竦めた。天下のアイドルを『怜美子』と平然と呼び捨てにするあたり、観音怜美子よりも立場が上なのかもしれない。

 ビジネスルックのスーツも、プロの芸能ディレクターらしく決まってる。

「どう? 御前さん。今度、うちに話だけでも聞きに来ない?」

「……はい?」

 私はきょとんとして、瞳をぱちくりさせた。

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