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美々ちゃんと初めて喋ったのは一ヶ月前のこと。その日僕は弁当を忘れ、財布も忘れて昼食を食べられず、あまりの空腹に下校途中の路上で倒れた。死ぬんだ、と思った。
その時、霞む視界の中に差し出された手のひら。
「大丈夫? これ、よかったらどうぞ。スズメの餌と間違えて持ってきちゃったの」
そこにはカラフルな星。よく見れば、金平糖。
「スズメたちにいつもここで餌をあげてるの。見て、鳥文字!『お腹空いたよー』だって!」
美々ちゃんの指さす空には、スズメが大群になって飛び交っていた。どうやらそうやって鳥文字なるメッセージを発信しているらしいのだけど、僕にはさっぱりわからなかった。
「『この前は間違えてビーズ持ってきてたじゃん、美々ちゃんおっちょこちょいすぎー!』だって! はーいごめんなさーい!」
死の中に落ちかけた僕は、スズメの大群に向かって大きな声でお喋りする美々ちゃんの姿を見て、いつの間にか一緒になって笑っていた。
「よかった、元気になったね!」
僕を振り返り、美々ちゃんが言った。夕日を浴びて、オレンジに輝く笑顔で。
僕がその眩しさに面食らってふらりとすると、慌てた美々ちゃんが「そうだ!」と言って鞄の中からマラカスを取り出し、僕に自信満々の顔で差し出した。
「水分補給した方がいいかも! 人間の100%は水だから! きっと今君は60%とかに落ちてるんだよ!」
僕はマラカスを受け取ってしばらく考えてから、それがペットボトルと間違えて持ってきたものなんだということに思い至る。でもどういうわけか、間違っているのだということを伝えてしまいたくなかった。それは楽しい夢から目覚めたくない時の気持ちに似ていて、だから僕は、マラカスをシャカシャカ振って踊ることにした。それを見た美々ちゃんは、
「わー超元気になった!」
と言って、とても嬉しそうに笑った。
そう、僕は元気になった。とてもとても元気になった。それは甘い金平糖のおかげでもあったけれど、美々ちゃんから受け取った、柔らかくてあたたかい優しさのおかげだった。
それはそのまま僕の力になった。体の中心に、今まで感じたことのないエネルギーが湧き上がった。真っ暗闇の夜の中に太陽がまるごと投げ込まれたみたいに、僕は完全なる大復活を遂げると共に、新しい僕に生まれ変わった。
溢れてくるエネルギーに、僕はただただ「わああああああ!」となった。体が熱くて、でも軽くて、今なら光を置き去りにするくらい速く走れるし、ブラックホールを振り切れるくらい高く飛べると思った。だからその気持ちのまま「わああああああ!」と走ったらすごい速度が出て、気付いたら僕は飛んでいた。街が足元にあって、風になったんだとわかった。
それは美々ちゃんがくれた力だった。つまり僕は、美々ちゃんを好きになったのだ。とても、すごく、好きになったのだ。
それから僕はいろんなものに形を変えて、美々ちゃんの毎日をそっと見守ることにした。美々ちゃんはあまりにもおっちょこちょいで、とてもとても危なっかしいから。でも僕は僕の差し出すその手を、美々ちゃんには気付かれないようにしないといけない。
美々ちゃんの目には、どうやら僕とは違う世界が見えているらしいのだ。僕に鳥文字は読めないし、花が笑うのも、雲が手を振るのも見えない。美々ちゃんが見ているのは、僕が見ているよりもずっと綺麗な世界なのだ。
美々ちゃんの毎日がそのまま、美しいまま続いていくように、僕は世界の一部に溶け込んだまま、美々ちゃんを見守っていこうと決めた。
だから僕は今日も外壁になるし、電線になるし、アスファルトになる。
ガードレールの表面が、僕が進行する速度で波打っていることにも、僕がそこにいて、どうやって美々ちゃんのおっちょこちょいを回収しようか考えていることにも、美々ちゃんはまったく気が付かない。僕の移動速度は、いつでも美々ちゃんの動体視力を上回っているから。とは言え美々ちゃんのおっちょこちょいも、いつも僕の想像を超えているんだけど。
そうして見守られているとも知らずに、美々ちゃんはただ美しい朝の中を走り抜け、無事登校を果たすのだ。
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