第百十二話 最後の二撃

「ヘイダルがくたばれば、さすがに呆気なかったか。万策尽きて、正面から近づいてくるとはな。いや、ここまでこの俺相手に、よく戦えていたものだと評価するべきか」


『ディーン、せめて妾を出せ! 奴相手に正面からはさすがに無謀である!』


 無謀は百も承知だった。

 だが、《プチデモルディ》ではマルティに対する決定打にはならないのだ。

 今形勢を維持することを優先しても、それではマルティには絶対に勝てない。

 こちらの魔力が先に尽きる。


 放たれた魔導籠手の鉤爪を、屈んで避ける。

 最初から攻めるつもりはなく、目前まで向かって避けることに意識を集中させていた。

 それさえも、マルティの意識がほとんどエッダに向いていなければ、成功しなかっただろう。


 エッダがマルティの魔導籠手を蹴り、彼の上へと跳んだ。

 左右で駄目なら、上下から仕掛ける。

 それがエッダの狙いらしい。


 破れかぶれではあるが、悪い策ではないはずだ。

 目や手が左右に付いているのは広範囲に意識を向けるためだが、その点でいえば、人間は上下から同時に攻められることを想定していないのだ。

 これなら行けるかもしれない。


 俺も一気にマルティに肉薄して剣を振るう。

 どれだけ分が悪くとも、少しでも勝算のあるところに全力を尽くさなければ、勝ち筋が完全に途絶えてしまう。


「大した剣士だ。称賛に値する」


 俺の剣が、左の魔導籠手に遮られる。


「だが、これが貴様らの限界だ」


 マルティは、エッダが頭上から放った刃を、右の魔導籠手で綺麗に掴んでいた。


「この……!」


 エッダは逆立ちの姿勢のまま身体を回し、蹴りを放とうとする。

 それが到達するよりも遥かに速く、マルティはエッダの剣ごと地面へと振り落とした。

 エッダは辛うじて首を丸めて頭を守ったが、肩から派手に地面に叩きつけられた。


 マルティはエッダを叩き落としてから、俺と競り合っていた左の魔導籠手に一気に力が込めてきた。

 俺は《剛絶》と《硬絶》で腕を強化し、マルティの剛力を耐える。

 腕に引き千切れるような激痛が走った。


「はぁっ!」

「ぐっ!」


 突き飛ばされて後退する。


 どうにか弾き飛ばされるだけで済んだ。

 受け方を誤っていれば、魔導剣越しに《星落としゴリアテ》の鉤爪に裂かれていたか、地面に叩きつけられていたかのどちらかだった。

 マルティの前では、ただ一瞬を生き延びるだけでせいいっぱいだ。


「死ぬがいい。《グラビスタンプ》」


 素早く追撃に重力魔法グランテを放ってきた。

 重い身体を引き摺り、どうにか範囲から逃れる。


「ぐぁぁあっ!」


 エッダが悲鳴を上げる。

 目をやれば、《グラビスタンプ》の範囲から逃れきれなかったエッダが、左足が巻き込まれて血塗れになっていた。


「エッダ……!」


 普段のエッダなら、起き上がって回避できていただろう。

 《瞬絶》を乱用しての強引な攻めで、身体がもう悲鳴を上げていたのだ。

 さっきのマルティの一撃で頭にもダメージが入っていた。


「後は貴様だけ……手こずらせてくれたが、もう終しまいだ。他者の力を奪う、貴様の魔導器……なんと素晴らしい! このような魔導器が世界に存在したとは! それはこの俺にこそ相応しいものだ! それさえあれば、百、二百……いや、この世界の全ての闘術と魔法を身に付けることができる! 俺はこの国の……いや、この世界の、絶対的な力、そのものとなる! たかだか冒険者の貴様には勿体ない、過ぎた魔導器だ!」


 マルティと正面から向かい合う。

 俺は《饕餮牙とうてつがグルイーター》を静かに構えた。


「《グラビグローブ》!」


 マルティの右の魔導籠手に、黒い光が宿る。

 これまで以上に魔力を練り込んでいる……。

 魔力の圧だけで、大気が震えているようだった。


 次の一撃で確実に俺を葬るつもりだ。


「俺のものだ……俺に、この世界の全てを奪わせろ!」


 だが、エッダの奮戦のお陰で、俺は最後の賭けに出るための準備が整っていた。

 俺は手に魔力を込め、腕を大きく下げた。

 同時に《剛絶》で地面を全力で蹴って後方へと跳んだ。


 マルティの魔導籠手の一撃が地面を砕き、土の飛沫を上げる。


 本当に、人間一人の攻撃だとはとても思えない、馬鹿げた力だ。

 だが、その土飛沫が煙幕として機能してくれた。


「消えた……どこへ?」


 《マリオネット》……造霊魔法トゥルパの糸を手繰り寄せた俺は、マルティの造り出した大岩の上へと乗っていた。


 魔導剣を投擲した際に使った《マリオネット》の魔力の糸を、俺は魔力を掛けて温存していたのだ。

 そして、《トリックドーブ》を放ったときに大岩の上部へと付着させておいた。

 《マリオネット》の魔力の糸は、伸縮も張力も、魔力一つで自在に操ることができる。


 まさかマルティも、この土壇場で俺が頭上へと唐突に跳んだとは思わないだろう。


 意図をマルティに悟られないように、霊獣鳩トゥルパ・ドーブの数を強引に増やし、全て出鱈目な軌道で飛ばしていたのだ。

 あくまでも、大岩へは間違って飛んで行ったかのように見せかけるために。

 霊獣鳩トゥルパ・ドーブが不発だったのも、付着させた糸を爆風で剥がさないためである。

 魔力の節約や制御ミスのためではない。


 これが最後のチャンスだ。


 俺は岩の上で、自身の身体の奥、闘骨に意識を向ける。

 黒い瘴気が俺の身体から溢れ始めた。

 ブラッドから奪った《邪蝕闘気》だ。

 オドを急速に消耗するが、自身の膂力を底上げしてくれる。


 《雷光閃》でさえマルティを殺し切るためには威力不足だ。

 ならば、どれだけ隙が大きく、反動や消耗が激しくても、この闘術に頼るしかなかった。


 俺は《邪蝕闘気》の力を活かし、もう一つの魔力の糸を引きながら、大岩を蹴ってマルティへと飛ぶ。


 この糸は、マルティの魔導籠手に付けてあるものだ。

 先程競り合いになったときに付けたものだ。

 このためにマルティ相手に無茶な近距離戦闘を挑んだ。

 本当は霊獣鳩トゥルパ・ドーブで仕掛けたかったのだが、そちらは回避で対応されたために上手く行かなかった。


 マルティの魔導籠手が、糸に引かれて微かに持ち上がる。


造霊魔法トゥルパの糸……いつの間に!」


 遅れてマルティは、向かって来る俺へと気が付く。

 そのまま魔導籠手を俺へと掲げた。


「だが、無防備になる空中から仕掛けたのは失策だったな! グラビグラッ……」


 重力魔法グランテでの拘束を試みたのだろうが、それは叶わなかった。

 マルティは大きく魔導籠手を下げ、足許から放たれたエッダの刃を受け止めた。


「ナルクの戦士を舐めるなよ。足が砕かれれば這って戦え、腕が砕かれれば噛み殺せと育てられてきた。魔導器を放してさえいなかったのだから、油断するべきではなかったな……!」


「死に損ないめ……!」


 俺は宙で《饕餮牙とうてつがグルイーター》を振るった。


「《絶空刃》!」


 黒い斬撃がマルティを襲う。


「ぐぅっ!」


 マルティは片方の魔導籠手で身を守ろうとしたが、防ぎきれてはいなかった。

 籠手の甲に亀裂が走り、腕が大きく後ろへ弾かれる。

 軍服が裂け、胸部に傷が走った。


 これでも、まだ立っている。

 本当にタフなんてものじゃない。


 急速にオドが磨り減る感覚。

 頭が真っ白になっていく。

 俺は唇を噛み、その痛みで気を留める。


「《雷光閃》!」


 俺の構える刃に、黒い雷が走る。

 これが俺の最後の一撃だ。

 もし受けきられれば、これ以上はもう、本当に何もできない。


 マルティの馬鹿力に、エッダが振り飛ばされる。

 エッダはもう、それに抗う気力さえ残っていなかった。

 軽々と宙を飛ばされ、地面を転がっていく。


「来るがいい、ディーン・ディズマァ!」


 マルティが両の魔導籠手を構える。


 やれるのか……?

 《絶空刃》をぶつけた時点で、もう少し大きな隙を作れると思っていた。

 マルティがここまで頑丈なのは予想外だ。


 もう、さすがにエッダは何もできない。

 俺もこの攻撃を外せば、歩くことだって難しくなる。


 マルティも先の一撃は決して軽くなかったはずだが、充分動き回れるだけの気力は残っているように見える。

 マルティの構えている両の魔導籠手を抜けて奴を斬れなければ、俺達の負けだ。


 俺は腕を組み変えるべく動かす。

 宙で上段から下段に移行すれば、少しは奴の意表を突けるかもしれない。


 だが、その途中で、ヘイダルの声が聞こえてきた。


「そのまま行け……ディーン……!」


 俺は腕を戻し、上段から《雷光閃》を放った。


 だが、途中で気が付いた。

 この軌道では、確実に右の魔導籠手に遮られる……!


 籠手越しでもダメージは入るだろうが、一撃与えた後にマルティが立ち上がれるようならば、それは俺達の負けなのだ。

 ひとりひとり《星落としゴリアテ》で殴り殺されてお終いだ。


「俺の勝ちだ……! 俺にその魔導器さえあれば、シルヴァス魔導将など敵ではない! いや、この国そのものを我が手中に……!」


 右の魔導籠手に、黒い雷が激突する。

 魔導籠手の先の《絶空刀》で入っていた亀裂が広がり、砕け散った。


「馬鹿な、こんな……!」


 《星落としゴリアテ》は、右と左で一組の魔導器だ。

 片方が砕けた時点で、双方がその力を失う。


 マルティは魔導器による闘気の強化なしに、黒い《雷光閃》を受けることになった。

 ヘイダルが見た未来はこれだったのだ。

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