第百五話 《天斬刀アメノハバキリ》

「ヘイダル……貴様!」


 マルティが呻く。

 彼の肘に、ヘイダルの《九界突き》の最初の一撃が掠めた。


 浅く見えるが、あれでいいのだ。

 ヘイダルの《九界突き》は、相手の身体の芯を捉える技ではない。

 人間が本能的に察知できない、身体の節々の弱点、闘気の流れを削ることで致命打を与えることのできる技なのだ。


 プリアと共闘していたときは俺達を殺すつもりだったはずだ。

 その理由はわかっている。

 パルムガルト近くにマルティがいると、知っていたからだ。

 裏切って俺達の側についても、俺達がマルティを出し抜いてパルムガルトに行くことはできないと、そう判断したのだ。


 だが、戦いの中でヘイダルの考え方が変わったのだ。

 俺達ならばマルティを殺せるかもしれないと、そう判断したのだろう。


 恐らくは俺と剣を交わし、エッダと剣を交わした後に、だ。

 あのときの戦いではエッダが大活躍した。


 しかしあの戦いで、俺も少し気に掛かっていたことがあった。

 エッダが本気のヘイダルを相手取りながら、一方的にあれだけ一般兵の数を減らせていたのが疑問だったのだ。


 プリア相手ならばエッダの速度で優位が取れていてもおかしくはない。

 プリアの本分は、《硬絶》と体術による自身の隙を晒さない守りの姿勢だ。

 プリアに攻撃を与え、周囲の一般兵を減らすこともできただろう。


 だが、ヘイダルの本分は《予言する短剣ギャラルホルン》の未来視を用いた精巧な剣技にある。

 俺もレベルが上がり、なまじ彼と打ち合えるようになったからこそ、ヘイダルの強さはよくわかった。

 エッダの速さを活かしても、ヘイダルと同時に複数の一般兵を相手取るのは困難だったはずだ。


 恐らくヘイダルは、不自然でない程度に、エッダ相手に手を抜いていたのだ。

 そして《九界突き》でエッダを攻撃し、その様子を部下に見せつけた。

 それによって俺達へマルティを裏切ることを伝え、同時にマルティの油断を誘ったのだ。


 だが、ヘイダルの不意打ちも、エッダが戦力になることで突ける意表も、この瞬間だけのアドバンテージでしかない。

 今、マルティは魔導器も構えていない。

 この絶好の機会で倒し切るしかないのだ。


 俺とエッダは、マルティ目掛けて同時に剣を放った。

 何かに俺の刃が弾かれた。


「それが貴様の答えだな。残念だ、ヘイダル魔導尉殿よ。俺のいい部下になってくれると思ったのだがな」


 マルティの、右腕だった。

 肘で俺の刃を弾き、指でエッダの刃を受け止めている。

 左手では、ヘイダルの刃を掴んでいた。


 指から血は流れているが、どう見ても軽傷だった。


「こ、こんなの、絶対にあり得ない。素手、なんて……」


 《硬絶》で対応したのだ。

 それはわかる。

 だが、魔導器の補正のない状態の闘気だけで、肉弾で刃を防げるだと、さすがにあり得ないことだった。

 闘気が桁外れにも程がある。


 強い危機感を覚えた。

 脳が警鐘を鳴らしている。

 こいつと戦ってはいけないと、今更過ぎることを騒がしく俺に教えてくれていた。


「本当に残念でならない。ヘイダル、貴様を殺さねばならんことがな」


 キィンと、激しく金属音が響く。

 マルティが左右で掴んでいた刃を引き、ヘイダルの刃とエッダの刃を衝突させたのだ。

 二人の体勢が崩れる。


 今動けるのは、俺だけだ。

 剣を構え、マルティの首許へと《剛絶》で突き刺そうとした。

 そのときだった。


「全員伏せろォッ! マニちゃんと、セリアちゃんもだぁ!」


 ヘイダルが悲鳴に近い声を上げた。


 マルティが、剣の鞘に手を触れた。

 身体の奥から汗が噴き出してくる。


「《絶空刃》」


 マルティが鞘から刃を引き抜いた。

 だが、速すぎてその動きがまともに目で追い切れなかった。


 俺はとにかく、ヘイダルの言葉通りに頭を下げた。

 髪が数本、はらりと舞った。


「何が……!」


 ザッと、音が鳴った。速すぎたためか、音が遅れて響いたかのようにさえ錯覚させられた。

 マルティを中心に、円を描くように土に斬撃が走り、木に大きな傷がついていた。


 終わってから気が付いた。

 俺のすぐ上を、超射程の斬撃が走ったのだ。

 速い上に射程が長く、威力まで恐ろしく高い。

 木の傷は、マルティから五メートル以上の距離があった。


「全員に避けられるとは残念だ。俺も鈍ったものだな。一つ聞かせてはもらえないか、ヘイダルよ。貴様の目では、何人死んでいたのだ?」


 マルティが残虐な笑みを浮かべながら、そう口にした。

 ヘイダルの顔は蒼白になっていた。

 ヘイダルは未来視で《絶空刃》を見たからこそ、俺達に警告を放ったのだ。


 ……俺は、きっと反応できなかった。

 唯一動ける俺がマルティに攻撃するべきだと、そればかり考えていた。

 あの技も危険さも、全てが終わってからようやく気が付いたくらいだ。


 マニとセリアにも警告を出していた以上、彼女達も巻き込まれていただろう。

 少なくとも三人は今の技で死んでいたはずだ。


 だが、マルティの一撃を凌げたといっても、俺達が最大の好機である初撃を逃したことに変わりはない。

 素手の相手に騙し討ちを仕掛けて、それでもまともに攻撃を入れることができなかったのだ。


 俺はちらりとヘイダルへ目をやった。


「二発は、当たった。だが、それだけだった。多少は削ぎ闘気を落とせたはずだが、できれば最低でも六発は入れたかった。それだけ連続で入れれば、闘気を半分は落とせていたはずだからな」


 二発、か……。

 ヘイダルは命を賭して、俺達が都市ロマブルクをマルティの支配から解放する方に懸けてくれた。

 だが、ヘイダルと俺達の命懸けの策は、さほど大きな効果を示さなかった。


 わかっていたことだが、マルティが化け物過ぎる。

 まさか俺とエッダ、そしてヘイダルから囲まれて、素手で刃を捌き切れるとは思っていなかった。

 そして……今、奴の手には、魔導剣がある。


 恐らくはB級の代物だ。

 闘気はさっき以上に跳ね上がっているだろう。

 それに、気を抜けばその瞬間に、あの《絶空刃》が飛んでくる。

 俺達には瞬きする間も許されない。


「《天斬刀アメノハバキリ》、速度と威力に特化した魔導剣だ。単純が故に強力で、使いやすい。だから俺も、数ある手持ちの魔導器の中で、常にこいつをすぐ構えられるように携帯している」


 マルティが魔導剣を構える。

 それだけで俺達の間に、強い緊張が走った。


「綺麗な刀身だろう? これから貴様らを殺す剣だ」

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