第百四話 マルティ魔導佐

 ヘイダルとの戦いから三日が経過した。

 皆、既に戦いで失った体力を取り戻しつつあった。


「ついに僕達は、シルヴァス魔導将の管轄下の地にまで来ることができた。ここまでくれば、もうパルムガルトへは、明日、明後日には着くだろうと思う」


 マニはセリアと地図を見ながら、そう口にした。

 だが、その声音は暗い。

 どれだけパルムガルトへ近づこうとも、最後の難関が待ち構えていることを知っているからだ。


 マルティ魔導佐。

 都市ロマブルクを中心に、その周辺の地を治めている軍人だ。

 魔導佐の中でも頭一つ抜けてレベルが高く、冷徹で残忍、自身が権力を手にするためには手段を選ばない男だ。


 国内最上位クラスの魔導器使いであり、とても俺達なんかが敵うような相手ではない。

 魔導尉とは比にならない強さを持っているはずだ。

 ヘイダルが口にしていた言葉から、俺達を迎え討つためにパルムガルトで待ち構えているのは明らかであった。


 速さも、膂力も、魔力も、頑丈さも、きっと俺達がこれまで対峙してきた、どの敵よりも遥かに高い。


「大丈夫さ、ディーン。マルティ相手でも、勝てる目はあるはずなんだ。前、言っただろう?」


「あ、ああ、実際、マニの言う通りになった。だが……」


「これまでだって、随分と無茶をやって来たじゃないか。大丈夫だよ、僕達なら、きっと勝てるはずだ」


 長引けば勝ち目がない、とはマニの言葉だった。

 俺もそう思うし、エッダもそれには同意した。


 闘気も手札の数も、あちらの方が遥かに上なのは間違いなかった。

 こちらは少ない手札を十全に使い切り、そして使い回す必要が出る前に仕留めきる。

 出し惜しみして戦いが長引けば、それだけ俺達は不利になる。

 戦いは一瞬で終わらせる。そうでなければ、きっとマルティには勝てない。


 マルティは闘気が高いので、倒し切るのもかなり苦労するはずだ。

 耐久力でさえ王獣魔蝦蟇ベヒモスロッガーを大きく上回ることを覚悟しておかなければならない。

 生半可な攻撃では、掠り傷にしかならないだろう。


 だが、そんなマルティに、戦いの開始と同時に決定打を与える方法がある。

 マニが先日、考案してくれた策であった。

 それは策というよりは、彼女が自嘲したように、妄想に近いものだった。

 しかし、実際、彼女が予期していた、ある現象が起きたのだ。


 確かに彼女の言う通りに事が進めば、マルティ相手でも倒し切れるはずだった。


「マルティと遭遇せずに済めば、それが一番いいんだけどな……。ここはシルヴァス魔導将の管轄領地のはずなんだし、助け船を送ってくれたって……」


「できるなら、とっくにやってにくれているさ。でも、この件に関して、情報を一番持っているのはマルティだからね。下手したら魔導将は、僕達がセリアちゃんを連れていることさえ掴めていないかもしれないよ。そうでなくても、魔導将がロマブルクにスパイを送っていたなんて大っぴらにはできないだろうし、公には僕らは、軍人殺しの冒険者でしかないんだ。こっちから乗り込んで、魔導将の前にセリアちゃんを連れて行くしかない」


「まあ、そうだよな……」


 マニのもっともな意見に、俺は溜め息を吐く。

 頭では俺達でどうにかするしかないことはわかっている。

 だが、乗り越えても乗り越えても大きく姿を変えて立ち憚る壁の前に、俺もいい加減に嫌気が差していた。


「甘えた希望は捨てることだ。むしろ、わかりやすくていいではないか。私達がマルティを殺せば、私達の勝ちだ。軍だの組織だの建前だのとごちゃごちゃした戦いが、私は気に喰わんかった。ようやく敵が、姿を晒してくれるというのだ」


 の、脳筋め……。

 エッダの言葉に、俺は顔を歪めた。

 だが、すぐに噴き出してしまった。


「何がおかしい?」


「いや……そうだな。前に進むしかないんだから、全力でやるしかないよな。今まで通りに」


 皆が前向きなのだ。

 俺ばかりが、うだうだとあれこれ考えてはいられない。


『この旅を乗り切ったら、これまでの分、妾にも散々馳走を振る舞ってもらうつもりであるからな! こんなところで敗れるではないぞ!』


「わかってるよ、ベルゼビュート」


 俺は《饕餮牙とうてつがグルイーター》の柄を撫でた。

 そう、この旅路の中、あまりベルゼビュートにまともに料理を振る舞ってやれる機会がなかった。

 しかし、俺もこの旅で大きくレベルが上がった。

 集めた闘気の総額もそれなりのものになっている。

 生活にはかなり余裕ができるはずだ。

 これが終わったら、ベルゼビュートに色んな料理を作ってやろう。


 そのとき、前方より強いオドを感じた。

 俺の《オド感知・底》が反応したのだ。


 自然、手が震えていた。

 足が動かない。

 マルティは強いと、そのことは散々わかっていたつもりでいた。

 しかし、俺達もかなり大幅にレベルが上がった。

 喰らいつける目はあるのではないかと、そう思っていた。


 甘かったのだと、本能的にそう感じ取った。


「ディーン? どうしたんだい?」


 マニが俺に声を掛ける。


「遠くから、人が……」


 セリアがそう口にする。

 俺も顔を上げ、草原の先に目をやった。


 二人の男がこちらに向かってきていた。

 片方はヘイダルだ。


 もう一人は、くすんだ金髪の、やや顎髭の濃いの男だった。

 長身のヘイダルが、やや低く見えるほどの大柄であった。

 明らかに俺の感知したオドは、その男から放たれていたものだった。


 濃紺色の軍服が、彼の正体を教えてくれた。

 マルティ魔導佐……。

 長く都市ロマブルクを苦しめてきた男であり、俺の親の仇でもあり、ガロックの仇でもあり、俺達を犯罪者としてロマブルクから追い出した人物でもある。


 兵の生き残りはもう一人いたはずだが、この場には連れてきていないようだった。

 マルティが出る以上、連れてきても邪魔になると、そう考えたのかもしれない。


「その茶髪に、特徴的な魔導剣……お前が、そうか」


 マルティは低い声で口にした。

 俺は無言で《饕餮牙とうてつがグルイーター》を構えた。


「何が……」


「会いたかったぞ、ディーン・ディズマァ!」


 マルティは歯茎を見せて目を見開き、笑った。

 これまでマルティに抱いていた、狡猾で計算高く、卑劣な軍人というイメージが崩壊した。

 この男は、獣だ。

 人の振りをした魔獣だ。


「俺は強い人間の闘骨を集めるのが好きでな。ディーン・ディズマ、お前も俺の蒐集物にしてやろう! お前の全てを俺に見せ、その上で、俺に奪わせろ! ヘイダル、お前は逃げる奴から殺せ! ディーン・ディズマは、俺がやる。手を出すな!」


『ディーン……気圧されるでないぞ』


「……ああ、わかってるさ」


 俺は地面を蹴り、前に出た。

 同時にエッダが地面を蹴り、俺の横に並ぶ。

 それを見たマルティが、額に皴を寄せる。


「ふむ? ヘイダル魔導尉殿よ、あの小娘は、《九界突き》で闘気が途絶えているのではなかったのか?」


 マルティは横のヘイダルへと顔を向け、目を見開いた。

 ヘイダルは《予言する短剣ギャラルホルン》を抜き、マルティへと刃を向けていた。


 ここまでマニの予測していた流れだった。

 ヘイダルは、エッダに完全には《九界突き》を当てていなかったのだ。

 それはヘイダルの、俺達の方に寝返るというサインに他ならなかった。


 どれだけ頑強な肉体を持っていようと、力があろうと、レベルが高かかろうと、ヘイダルの《九界突き》ならば、九発入れた時点で、相手の闘気を封じることができる。

 ここで、終わらせる。終わらせなければいけない。

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