第百二話 決戦目前

 目を覚ますと、目の前にマニの顔があった。


「おっと!」


 俺は上体を起こす。

 身体の上に、毛布代わりの外套が掛けられていた。


 周囲を見る。

 既に雨は止んでいるようだった。

 周囲が、思いの外に明るい。

 今は、朝……?


「よかった……ようやく、目を覚ましたんだね」


 マニが安堵の息を吐く。


 俺は身体に目を落とす。

 《串刺し公ヴラド》にやられた腹部が、包帯でぐるぐる巻きにされていた。

 かなりしつこく巻かれている。恐らく、血が止まらなかったのだろう。


「つっ、うぐ……」


 眼球が、奥から腫れ上がるように痛い。

 俺はこめかみを押さえた。

 《視絶》が響いている。


 俺は腹部を押さえ、《自己再生》を用いて治していく。

 傷が塞がっていくのを感じた。


「ありがとう……。思ったより、オドが回復しているよ」


「一日半ほど眠っていたからね」


「いっ、一日半!? この非常時に、そんなに」


「とにかく食事を摂るべきだよ。空腹だと、回復するものもしないからさ」


 俺は荷物より、保存食用の乾燥パンを食べる。

 寝ている間何も食べられていなかったため空腹状態であった。


「よかった、ディーンさん! 目を覚ましたんですね!」


 水入れを抱えたセリアが走ってきた。

 川に汲みに行っていたようだ。

 俺はセリアから水入れを受け取り、一気に水を飲んだ。

 生き返るような気持ちだった。


「ありがとう、セリアちゃん……。二人共、無事でよかったよ」


 言ってから、はっと気が付いた。


「そうだ! エッダは無事なのか! あいつは……」


 俺の言葉に、マニとセリアが口を閉ざし、目を合わせる。


「まさか……!」


「いや、身体は無事だよ。怪我も、ディーンほど大きなものはなかった」


「そうか、良かった……。じゃあ、何をそんなに気にしているんだ?」


 マニとセリアに連れられ、谷底近くの川へと向かった。

 そこでエッダは小さな石にすわり、がっくりと肩を落とし、流れる水面を見つめていた。


 普段のエッダなら、止めたって重傷で素振りや剣舞をやっているのに。


「ど、どうしたんだエッダ?」


「ああ、ディーン……。無事に、起き上がってくれたのだな」


 俺を振り返り、そう弱々しく口にした。

 普段のエッダなら軽口でも飛ばしてきそうなものだったのに、やはり明らかに調子がおかしかった。


 エッダの座っている石にの下に、魔導剣が置き去りになっていた。

 彼女は普段、身から離さず持っている。


「エッダ、魔導剣……」


 エッダがゆっくりと石から降り、魔導剣を片手で拾い上げようとする。

 魔導剣は、刃が地に落ちたままだった。

 そしてそれ以上の高さは、持ち上がらない。


 エッダは両手でゆっくりと、地の上に魔導剣を戻した。


「闘気が全く出ない。オドに蓋をされているような感覚だ。私は、役立たずだ。意気揚々とヘイダルに挑んでおいて、あのザマだとはな」


 俺は息を呑んだ。

 《九界突き》だ。


 九つ全て受けたエッダは、一週間は闘気をまともに練れないと、ヘイダルはそう口にしていた。

 これから一週間前後、エッダはロクに戦闘を熟すことはできない。

 エッダに頼らず、パルムガルトを目指さなくてはならない。


 一週間もパルムガルト周囲で潜伏しているわけにはいかない。

 あっという間に魔導尉が集まってくる。

 そうなれば、絶対にもうパルムガルトへ行くことは叶わない。

 正直、一日半も寝たきりだった現状も、かなり危ないのだ。


「あれはエッダのせいじゃない。仕方なかった……いや、俺のせいだ。一般兵を全然倒せなかったし、それに俺も、一度ヘイダルに負けている。助けてくれたのはエッダ、お前だ。あの戦いで一番活躍したのは、間違いなくエッダだ」


 慰めではなく、これはただの事実だ。

 エッダは一人で一般兵の大半を片付けている。

 序盤はプリアを相手取り、彼女のオドを消耗させると同時に、プリアの部下を壊滅させた。


 その後はヘイダルに負けそうになっていた俺を庇い、戦う相手を互いに入れ替えた。

 そこからはヘイダルの部下を減らし、ヘイダルを追い込むことに成功していた。

 だが、さすがにオドが持たず、ヘイダルの《九界突き》をまともに受けることになったのだ。


「……置いて行ってくれ。私は、お前の足手纏いになどなりたくない」


「馬鹿なことを言うな! 闘気もまともに練れない状態のお前を、外に放り出しておけるわけないだろ! ここはシルヴァス魔導将とマルティの管轄領の境の僻地で、魔獣が出たっておかしくない場所なのに!」


 俺はエッダの肩を掴み、顔を近づけてそう口にした。


 おまけに今のエッダは都市部に入れないのだ。

 一人残していけば、野垂れ死ぬのは明らかだった。


「俺の命に代えたって、絶対見殺しにはしない。仮にお前が望んだって、絶対にしてやらない。わかったな?」


 絶対に、四人でパルムガルトへ行くんだ。

 誰かが欠けるなんて有り得なかった。


 エッダは俺の顔を見上げていたが、小さく頷いた。


「……すまない、ありがとう」


 エッダがあまりに素直で、俺は不安になった。

 普段はカッとなってどうでもいいようなことが発端で皮肉の応酬に発展してしまうのに、いざエッダにしおらしくなられたら、俺は何を言えばいいのかわからなくなってしまう。


「ディーンの目も覚めたことだし、昼前には出発しようと思う。まだ万全ではないだろうけれど、後は移動しながらどうにか回復してもらうしかない」


 マニの提案に俺は頷いた。

 俺がぐっと拳を握る。

 エッダが動けない以上、俺がヘイダルと決着をつけるしかないんだ。


「……ディーン、恐らく次の敵は、ヘイダルさんだけじゃないんだ」


 マニが言い辛そうに、そう口にした。


「それはどういう意味だ?」


「ヘイダルさんは、パルムガルトであの御方に会いに行くと、そう零していたんだ。他の言葉からも推察するに……その相手は、マルティ魔導佐だ」


 俺は息を呑んだ。


「ど、どうしてマルティが、パルムガルトに?」


「それはわからないけれど、そうとしか考えられないんだよ。何かパルムガルトに用事があったのかもしれないし、元々、最悪を見越してパルムガルトに控えていたのかもしれない。だとしたら……本当に病的に警戒心が強いとしか言いようがないね。きっと、部下を誰一人として信じていないのだろう」


「だったら、ここで休息を摂ってる場合なんかじゃなかったんじゃないのか! ヘイダルさんだけでも手いっぱいなんだ。マルティが動くのを呑気に待ってたら、俺達に勝ち目なんかない……」


「ヘイダルさんは、戦闘直後に休息を挟まずに移動できるだけの体力があった。あちらが行動を起こす前に僕達がパルムガルトに着くのは不可能だったんだ。マルティと合流して、彼を引き連れてこっちに来るのに、そう時間は掛からない。僕も君が倒れている間に考えたけれど……どれだけ無謀でも、戦うしかないんだよ、ディーン。そもそもね、マルティは、僕達を軽視してはくれなかったんだ。その時点で、もう戦闘は避けられない。マルティはパルムガルトに先回りして控えていた。この時点で、仮にヘイダルが合流しなくたって、必ず僕達の前に姿を現していただろう」


 俺は頭を抱えた。

 突然マルティと戦えなんて言われたって、心の整理ができない。

 ただの魔導尉とはワケが違う。


 マルティの戦闘能力について詳しく知っているわけじゃない。

 だが、あのレベルの魔導器使いは最早人間の域を超越していると、そんな話をよく耳にする。


 マルティーは都市ロマブルクだけじゃない。

 リューズ王国軍の全体で見ても、上から指の数で数えられる程の実力者だという話だ。

 俺達では、はっきり言って格が違う。

 

 ここまで希望を捨てず、前だけを見て走ってきた。

 だが、頼みのエッダはヘイダルの《九界突き》で闘気を失い、相手は人類最強格のマルティ魔導佐だ。

 あまりに残酷な展開だった。


 エッダもこれだけしおらしくなっているわけだ。

 俺だって、生きている限りは絶対に諦めないと、そのつもりだった。

 だが、しかし、マルティが動いたとなれば、最早まともな戦いになるかも怪しい。


「どうしてマニは、そんなに冷静にいられるんだ……」


 俺は思わず、そんな情けない言葉を吐いてしまった。

 マニがごくりと息を呑む。


「実は、凄くか細い道だけど……勝機があるんだ。策でも何でもない、ただの妄想のようなものかもしれないけれど」


「勝機……?」


 俺が聞き返すとマニは大きく頷き、エッダへと目を向けた。


「僕の考えが当たっているかどうかは、マルティとの接触前にわかると思う。もし、僕の考えている通りになれば、例え人類最強格のマルティが相手だって、チャンスがあるかもしれない」


 エッダはマニの視線を受け、不思議そうに顔を上げた。

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