第百一話 離脱

「私は、私は、こんなところで負けるわけには、いかない……!」


 エッダは地面に倒れながら、必死に魔導剣へと腕を伸ばす。

 腕は弱々しく震えている。

 普段のエッダにある力強さが、今は一切感じられなかった。


「無駄だ。お前はもう、魔導剣を持っても、何の意味もない。《九界突き》を全部受けたんだ。一週間は、【Lv:1】程度の闘気しか発せない」


 ヘイダルの無慈悲な宣告に、エッダが目を見開く。

 

「ヘ、ヘイダル魔導尉殿、その女のトドメを……!」


 倒れている一般兵が、ヘイダルへと呼び掛ける。


 ヘイダルは呼吸を整え、エッダを見下ろして《予言する短剣ギャラルホルン》を掲げる。

 一瞬目を瞑り、深く息を吐き出す。

 それから《予言する短剣ギャラルホルン》をエッダへと振り下ろした。


「止めろおおおっ!」


 俺は吠えながらヘイダルへと駆けた。

 出血も痛みも、全てを忘れ、ただヘイダルへと走った。


 間に合わない。

 俺は無意識に闘気を発し、身体に雷を纏っていた。

 完全に尽きていたはずの闘気が、オドから絞り出される。


 それは、苦痛や限界を超えていた。

 明らかに命を削る闘気の発し方だった。

 だが、ここでエッダを助けるためなら、これによって寿命が半分になったって構わない。


 爆発的に発された雷の闘気が、俺の速度を引き上げる。

 しかし、それでもなお、間に合わなかった。

 ヘイダルの刃の方が早い。


「止めてください! エッダさんを、殺さないで!」


 マニの身体を支えていたセリアが、ヘイダルの前に分け入った。

 ヘイダルが突然現れたセリアを前に、動きを止める。


 軍の目的は元々セリアだ。

 しかし、突然滑り込むように現れた幼い標的を前に、ヘイダルに明らかに迷いが生じていた。


 それから一瞬遅れ、ヘイダルが俺に気が付いた。

 驚いた顔で俺を見ていた。


 この距離なら、このまま《雷光閃》当てられる。

 今のヘイダルは未来視も使っていない。

 意識も思考も完全にセリアに向いていたため、俺への反応が大きく遅れていた。

 セリアをパルムガルトへ送るための最後の障害……ヘイダル魔導尉を殺せる。


 そう考えた瞬間、脳裏にこれまでのヘイダルの様子が映った。


 ヘイダルは……俺の、理想の冒険者像だった。

 弱気を助け、強気を挫く。

 都市ロマブルクで間違いなく最上位の実力を誇りながら、決してそれを奢る様子もなかった。

 格下の俺を本気で頼ってくれて、ブラッドや《灰色教団》の一件からは、俺なんかによく親しげに接してくれていた。

 俺の背を叩いたり、髪をくしゃっと撫でたり、満足げな笑顔を浮かべているヘイダルが脳裏を過ぎる。


 だが、俺もヘイダルも、敵として立っている。

 いや、俺だけじゃない。エッダとマニ、そしてセリアも、だ。

 ここで躊躇うのは仲間の懸けた命を無駄にする行為だ。


 俺は刃を勢いよく振るう。

 ヘイダルは大きく腰を引いて跳び、《雷光閃》を避けようとした。


 俺は身体がふらつき、魔導剣を地面に突いて支える。


 視界が、眩む。

 外したのだ。

 最後の最後……死力を振り絞って発した闘気の一撃が、外れた。

 ヘイダルの対応が早かったのか、俺の身体の限界が響いていたのか、《雷光閃》は隙だらけのヘイダルに届かなかった。

 いや……違う、俺に、迷いがあったからだ。


 ヘイダルが体勢を崩し、その場に膝を突いた。

 彼の腹部には、黒い線が走っていた。

 軍服が焼き切れている。

 《雷光閃》は、完全には外れていなかった。


「ヘイダル魔導尉殿!」


 部下の生き残りがヘイダルの名前を呼ぶ。


「掠り傷だ。だが……俺も、限界だな」


 ヘイダルは目を閉じ、首を振った。


「撤退だ。これ以上は、無理だ」


「撤退ですか!? しかし、魔導佐様がお許しになるとは……」


「あの方は合理主義者だ。ここで俺が無理をするより、ちゃんと情報を持ってくる方が喜ぶだろうよ」


 ヘイダルはゆらりと立ち上がり、俺達を警戒しながら距離を取った。


 俺はヘイダルを睨んだ。

 引いてくれと、そう念じながら睨んだ。

 これ以上の戦いは無理だ。

 マニは倒れているし、エッダも戦える状態には見えない。

 そして俺も、もう立っているのが本当に限界だった。

 この瞬間、次の瞬間には地面に倒れてしまいそうだった。


「しかし、これだけの被害を出して、一人も倒せなかったなど……!」


「一人はやったさ。とんでもない嬢ちゃんだったが、もう終わりだ。一対一なら、間違いなく俺が負けてただろうな」


 ヘイダルは、茫然と地面に伏しているエッダへ目を向ける。


「全部しっかり当たった感触があった。あれなら、もう一週間は闘気が出せねぇ。戦力としては死んだも同然だ。そして、あっちの娘は、戦力としては大きく劣る」


 ヘイダルは座り込んでいる部下の腕を掴んで立たせ、俺達に背を向けた。

 俺はヘイダルが気を変えて襲い掛かって来ないように、彼の背を必死に睨み続けた。


「とっととパルムガルトへ行って、あの御方と合流するぞ。それから連中を確実に叩けばいい」


 ヘイダルは部下と共に、二人で俺達の前から去っていく。

 大きく離れたところで、豪雨の中で小さくこちらを振り返り、ぽつりと言葉を漏らした。


「まさか、ここまで強くなってたとはな」


 最後にそう言って、ヘイダルは俺達の前から姿を消した。

 俺は立っていられなくなり、その場に崩れて倒れ込んだ。

 身体にまるで力が入らない。


「ディ、ディーンさん!」


 セリアが顔を蒼褪めさせて、俺を振り返る。

 マニに続きエッダが、そして俺まで倒れたのだ。


 俺だけでも起きていてあげたかった。

 しかし、本当に身体が限界を超えていた。

 口さえまともに動かせそうにない。

 ヘイダルが去るまではハッタリが利いていたようでよかった。


 ヘイダルとの決着は一先ず先延ばしになった。

 わざわざ立ち去ったのだから、オドが回復するまではヘイダルもこちらに接触して来ないはずだと思いたかった。


 ヘイダルを倒す。

 それさえできれば、俺達はパルムガルトのシルヴァス魔導将と会うことができるはずだった。


 ……しかし、ヘイダルは去る前に、誰かと接触するようなことを言っていた。

 この付近に別の魔導尉がいるのだろうか。

 それに、エッダは……。


 そこまで考えたところで、ぷつりと俺の意識が途切れた。

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