第百話 痛み分け

 俺はプリアの死体を地面へと寝かせた。

 俺の身体は、プリアの自分の血で真っ赤になっていた。


 プリアの目を閉じさせ、ぼんやりと彼女の顔を眺めていた。

 しかし、そんな余裕はないのだとすぐに思い返し、首を振った。

 怪我のせいで意識が眩んでいた。 


 土の壁に手を突き、壁に凭れ掛かるような姿勢でゆっくりと立ち上がった。

 腹の横を《串刺し公ヴラド》で抉られたせいで、出血が激しい。

 《硬絶》で肉を固めて強引に止血し、《自己再生》でどうにか補おうとしているが、オドの疲弊が激しすぎて、闘術が安定しない。


 止血さえ終われば、戦闘の補佐に入れると思っていた。

 だが、さすがに今の状態では戦えそうにない。

 

 俺の目の前に、ベルゼビュートと戦っていた一般兵が倒れた。

 顔を上げれば、姿が薄れていくベルゼビュートが見えた。


「どうにか、《プチデモルディ》が尽きる前に終わらせることができたか……。だが、妾は、ディーンのオドは、ここまでであるようだな。後は、エッダとマニ頼み、というわけか」


 ベルゼビュートの姿がふっと消える。


「そうだ、マニ、エッダ……」


 俺は彼女達の名前を呼び、周囲へ目を走らせた。

 《視絶》を乱用したためか、目の奥から響くような頭痛があった。

 視界も霞む。


 人影が見えるが、上手く見えない。

 エッダは、ヘイダルに勝ったのだろうか?


 目を擦る。

 マニが、地面に倒れているのが見えた。

 セリアが屈み、不安げにマニへと顔を近づけている。


「マ、マニ……!」


 俺が呼び掛けると、セリアが俺を見て、小さく頷く。

『マニさんは生きているから心配しないでください』とでもいうような素振りであった。


 一般兵達も皆、力尽きて地面の上に転がっている。

 一人、まだ息のある者もいたが、壁を背に座り込み、苦しげに目を開いていた。


 戦場に唯一立つのは、エッダとヘイダルだった。

 二人共怪我だらけで、さすがのエッダも肩で息をしていた。


 ヘイダルは、無表情で立っていた。

 身体こそ生傷だらけだが、オドの疲弊がどれほどのものかは、佇まいからは推し量れない。

 目の周囲は未来視の反動か、血の痕だらけになっていたが、それくらいだ。


 自身の限界を悟らせまいとする姿勢が見て取れた。

 だが、極限の戦地の中で、それが如何に難しいか、俺にはよくわかる。

 ヘイダルはやはり、一流の冒険者だ。


 しかし、俺と戦った時もかなり未来視を使っていたはずだ。

 俺よりずっと近接戦に長けているエッダと戦って、疲弊していないわけがない。

 人数に差はあったが、それでもとっくにエッダが勝っていたっておかしくはないと思っていたくらいだ。


 ヘイダルはここに至っても、なお武器を下ろさない。

 プリアが死ねば、俺達に手を貸してくれるかもしれないと、俺はまだ心のどこかでそんな甘いことを考えていた。

 だが、そうはならなかった。

 ヘイダルはここまできても、まだ魔導尉として戦おうとしている。


 ヘイダルがそうするというのならば、俺達は、全力を以てヘイダルを殺さなければならない。


「エッダ……勝ってくれ……!」


 俺は祈るように、そう呟いた。

 今の瀕死の俺では、エッダとヘイダルの決着に割り込むことはできない。

 満足に身体を動かすこともできないのだ。


 エッダとヘイダルはなかなか動かなかった。

 互いに魔導剣の先端を相手に向けたまま固まっている。


 ヘイダルには未来視がある。

 体力的に追い込まれたエッダは、恐らくヘイダルのカウンターに、今の状態で対応できる自信がないのだ。

 ヘイダルもまた、未来視を用いて相手の飛び込みを利用し、有利な展開を作ろうとしている。

 故に、二人はその場に凍り付いている。


 ゆらり、ヘイダルの剣先が挑発するように揺れた。

 その瞬間にエッダは飛び出した。

 ヘイダルの圧に、エッダが耐えきれなくなったのだ。


 ヘイダルが目を見開く。

 瞳に細かく血管が走り、血が滲んでいく。

 《予言する短剣ギャラルホルン》が輝きを帯びた。


 あれだけ目に負荷を掛けているということは、ヘイダルの得意技が飛んでくる!


「《九界突き》!」


 ヘイダルが声を上げる。


 ここで勝負を掛けに来た。

 あの技は闘気をそれなりに消耗するはずだ。

 ここさえ凌げば、さすがにヘイダルも闘気が空になるのではないだろうか。


「行ける……エッダなら、エッダなら、避けられる……!」


 《九界突き》は身体の中心部ではなく、外側を狙う技だ。

 故に対応が難しいが、一発一発が当たっても重症になることはない。

 代わりに、受ければ受けるほど、身体に流れる闘気の流れを抉られる。


 しかし、俺は二発受けたが、普通にその後も戦うことができていた。

 《灰色教団》のブラッドは四発受けていたが、その後に魔法を使った逃走を企てるくらいには動くことができていた。


 《九界突き》は九度の刺突。

 九度全て当てれば闘気を完全に途絶えさせられると、ブラッドを相手にしたときはそう零していた。

 しかし、その内の二回までなら、いや、三回までならば、ヘイダルを殺せる余力がエッダに残るはずだ。


 一撃目は、避けられなかった。

 完全にエッダの動きに合わせられていた。

 エッダも素早く動きの軌道を変えて対応しようとしたが、間に合わなかった。

 飛んできた刃を、右肩に掠めるように受けていた。


 一撃目は仕方ない……。

 先に圧に負けて動いたのは、エッダの方だった。

 だが、残りの斬撃を八回中六回躱せば、まだエッダの勝機は残る。


 二撃目、三撃目の突きは、エッダの腹部、太腿の体表を、浅く抉るように当たった。


 エッダは避けられなかったのだ。

 エッダが悪かったわけではない。

 元々、複数人の一般兵がいた以上、エッダの方が疲弊が激しいのは当然だったのだ。


 だというのに、ヘイダルの剣筋の切れは、むしろ勢いを増している。

 いや、それは当然だ。ヘイダルは余力を全てこの《九界突き》に費やしているのだ。


 エッダの身体から力が抜けるのが、見て分かった。

 彼女の両膝が、地へと落ちていく。


 これ以上は、もう無理だ。

 今の限界近くまで疲弊していたエッダのオドでは、三度の《九界突き》にも耐えられなかったのだ。


 俺は身体を引き摺るように、とにかく前へと跳び出した。

 今の俺じゃ戦えないだとか、そんなことを言っている場合ではない。

 エッダは、ヘイダルに敗れた。

 すぐにでも戦いを止めなければ、エッダが殺される。


 俺の身体はまともに前へ進めず、膝が地面を叩いた。 


「止めてくれ……止めろ、ヘイダルッ!」


 俺は声を振り絞り、そう叫んだ。


 エッダが力なく魔導剣を構える。

 だが、明らかにもう、まともに闘気を感じられない。

 エッダの構えた刃の横を抜け、彼女の肘、首の外側を、ヘイダルの刺突が走った。


 エッダは、ヘイダルの《九界突き》を全て受けた。

 エッダの手が震え、彼女は地面の上へと倒れた。


 魔導剣が、エッダの手から離れていた。

 俺は目を疑った。

 エッダの魔導剣は、ナルク部族の宝だと聞いていた。


 戦闘中、如何なる場面でもエッダは魔導剣を放さない。

 放せば闘気の補正が受けられなくなるため、どんな攻撃を受けても魔導剣を離さないのが戦いの定石だ。

 そして、それ以上に、エッダは部族の宝である魔導剣を戦闘中に手放すことを、恥だと考えている節があった。

 きっと死んでも放さないのだろうと、俺はそう思っていた。


 そのエッダが、魔導剣を手放した。

 本当に、手にもう一切の力が入らないのだ。



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【お知らせ】

「王国の最終兵器、劣等生として騎士学院へ」、第一章完結いたしました!

 こちらも読んでいただけると嬉しいです!

https://kakuyomu.jp/works/1177354054921038339(2020/9/18)

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