第八十九話 《アグニアグリ》

 俺は息を整え、ジルドへと目を下ろす。

 彼のオドが、自分に入ってくるのがわかる。


 俺は勝ったのだ……。

 絶対に敵わないと思っていた魔導尉相手に、一対一で、いや、一対二で勝つことができたのだ。

 《暴食の刃》が効果的に機能したことと、相性の問題もあったが、それでも魔導尉相手に単騎で勝てたことの意味は大きい。


「ディーン……やったんだね!」


 マニが駆け寄ってきた。


「ありがとう、マニ。本当に、この剣は強いよ」


『無論であろう。この妾が強いのでな!』


 だが、まだ戦いは終わってはいない。

 まだ、カンヴィアとその部下が残っている。


「マニは、今は休んでいてくれ。すぐに終わらせるよ」


 俺はカンヴィアの許へと駆けた。

 エッダは五人を相手に、防戦一方であった。

 半ば逃げ回るように戦っているが、細かい手傷を負っている。


「エッダ!」


 俺が声を掛けると、エッダは不敵に笑った。


「来るのが遅いぞ。何のために、弱ったジルドを任せたと思っている」


「ほう……?」


 カンヴィアは部下前線に立たせてニヤニヤ笑っていたが、俺を見て意外そうな様子であった。


「戦いを引っ張って、消耗したジルドを殺すつもりだったが……貴様の方が残ったか」


「……仲間じゃなかったのか?」


「仲間? ククク、甘ちゃんだなあ。魔導佐様に黙って、貴様のその魔導剣を回収するのには、ジルドが邪魔になる。感謝するぞ、奴の部下を全滅させ……ばかりか、奴まで殺しておいてくれたことを。いや、手間が省けた。犯罪者を処理するより、ずっと面倒な仕事だった」


「外道め」


 カンヴィアには、これまで散々辛酸を舐めさせられてきた。

 だが、それらの全ても、ここでお終いだ。


 カンヴィアは呪痕魔法カース使いだが、搦め手なしで、自己強化してパワーで相手を圧倒する戦闘スタイルだ。

 ジルド相手より、ずっと厳しい戦いになることが予想できた。

 だが、今はエッダもいる。


「決着をつけるぞ、カンヴィア!」


「勝手に熱くなるなよ、ブァカめが。男の方は、魔導剣にしか興味はない。おい貴様ら、適当に殺してやれ」


 エッダと交戦していたカンヴィアの部下の二人が、俺へと向かってきた。


「ジルド殿と遊んで、お疲れのはずだ。丁重にもてなしてやれ」


 二人の男が左右に分かれ、各々に斬りかかってくる。

 俺はジルドより奪った《視絶・中》で、目を強化した。


 一人の剣を剣で受ける。

 逆側から片割れが斬りかかってくる。

 だが、俺の隙を急いで突こうとしているため、むしろ隙だらけだった。


 俺は地面を蹴って跳び、男の身体を深く斬った。

 剣を引き抜く隙を晒さないため亡骸を蹴り飛ばし、《闇足》で素早く体勢を立て直す。


「なんだと……?」


 カンヴィアが鼻を膨らませる。


「《クイック》」


 同じタイミングで、エッダが支援魔法パワードを発動した。

 エッダの身体を中心に魔法陣が展開され、その光が彼女の中へと入り込んでいく。


 エッダが左右へ舞う。

 恐らく《クイック》だけでなく《瞬絶》も併用している。

 彼女と戦っていた一般兵の二人は、全くエッダの動きを追い切れなくなっていた。


 困惑気に剣を掲げた二人が、鮮血と共に地面へ崩れ落ちる。


「これ以上、猫を被っている必要はなさそうだな」


 エッダはあっさりとそう口にした。

 

 元々、エッダが防戦に徹していたのは、カンヴィアを本気にさせないためだった。

 自分が圧倒的に優位にあると思わせ、俺が援護に出てくるまで待っていたのだ。

 カンヴィアの部下四人が相手でも、敵の数を減らすことなどエッダにとっては難しくなかったはずだ。

 増してや、たかだか二人相手など、《剣士の墓場》でのレベル上げを終えた今のエッダにとっては、温い相手だっただろう。


「カンヴィア、貴様はここまでだ」


 エッダはカンヴィアへと魔導剣を向ける。

 生き残ったカンヴィアの最後の部下が、大きくカンヴィアの許へと下がる。


「カ、カンヴィア魔導尉殿、少し、分が悪いのでは……?」


 カンヴィアが不機嫌そうに顔を顰める。


「まさか、あの時の二人組がここまでになるとは。こうなるなら、もっとジルドの奴と連携するべきだったか」


 カンヴィアが、彼の魔導剣である《呪顔のゲールマール》を構える。

 柄の装飾の不気味な顔が、まるでこちらを見ているようだった。


「遊びは止めだ。少々、本気でやる必要がありそうだな。いいだろう……呪痕魔法カース使いの真髄というものを、甘っちょろい貴様らに教えてやる」


 カンヴィアはそう言ってから、確認するように周囲を見る。


「生き残りは一人か、だらしない。だが、丁度いいわい」


「す、すいません……。ですが、丁度いい、とは?」


「貴様が謝ることではない。死んでいった愚図が悪い。戦力が厳しい、俺の支援魔法パワードを掛けてやる。だが、射程が狭いのでな。もう少し寄れ」


 カンヴィアは言いながら、魔法陣を展開する。


「は、はい! 魔導尉殿!」


 俺は慌てて、カンヴィアへと駆けた。

 エッダと俺なら、今は俺の方が近い。

 易々と支援魔法パワードを使わせるわけにはいかない。


『止まれディーン! 危険である! あれは支援魔法パワードではない!』


 ベルゼビュートの叫び声に、俺は咄嗟に足を止めた。


「《アグニアグリ》!」


 黒い光が、一般兵の男を呑み込んでいく。

 魔法陣を構成していた術式が、虫のように彼の身体中を這い回る。


「カッ、カンヴィア殿、熱い……苦し、これハ、コれは……!」


 身体が赤黒く変色し、眼球や手足が、出鱈目に膨張を始める。

 不自然に急成長した身体のせいか、骨が肉を突き破って露出している部位もあった。

 皮膚が裂け、筋肉繊維が露になる。


「オオ、オオオオオオ……!」


 俺もエッダも、その姿の前に思わず足を止めてしまった。

 まるで膨れ上がった水死体のような不気味な姿だった。


「ブワハハハハ! 俺様のとっておきの呪痕魔法カースだ! 安易に近づいてくれば、貴様に標的を移してやれたのだがなァ?」


 寒気が走った。

 俺は唇を噛み、恐怖を押し殺す。


『臆するでない、ディーン! 一応止めたが、ハッタリに決まっておる。あの手の呪痕魔法カースは、魔力で対抗すればまともに利きはせん。奴は、奴の部下の信用を利用した外道に過ぎんのだ。気圧されるでないぞ!』

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