第八十七話 《饕餮牙グルイーター》

 その刃を前に、俺は息を呑んだ。

 これまでの《魔喰剣ベルゼラ》にはなかった威容があった。


 ベルゼビュート本来の力の片鱗が、緋緋廣金ヒヒイロカネ王獣魔蝦蟇ベヒモスロッガーによって色濃く出ているのだ。

 魔界オーゴルの元支配者は伊達ではないと、俺は再確認させられた。


「これは……?」


 俺はマニに尋ねる。


「《饕餮牙とうてつがグルイーター》さ。大急ぎで来たから性能の確認はできていないけれど、期待外れの出来にはなっていないはずだよ」


『勿論、そうであっては困る! フフ、それに、妾はとても調子がよい! マニはよい仕事をしたぞ、誇ってよい!』


 俺はマニより、《饕餮牙とうてつがグルイーター》を受け取った。

 手を触れて闘気を流した瞬間……魔導剣の魔力を一層強く感じ、同時に身体の闘気が、一気に増幅されるのがわかった。


 これは凄い……。

 《魔喰剣ベルゼラ》は、ランクでいえばD級下位といったところだ。

 だが、《饕餮牙とうてつがグルイーター》はB級だ。

 魔導剣としての格が、二回り、いや三回りは異なる。


 だが、かなり強引に闘気の出力を底上げされている感覚がある。

 俺のオドが追い付ききっていない。

 俺のレベルでは、恐らく《饕餮牙とうてつがグルイーター》の適正レベルにはまだ到達していないのだ。


 油断すれば、すぐに自分のオドが使い物にならなくなってしまいかねない。

 だが、そのくらいで丁度いい。

 それくらいの無理をしなければ、魔導尉達には敵わない。


「……相手が増えましたよぉ、ジルド魔導尉殿。本当に、そろそろお終いにしましょう」


 チェルシーの言葉に、ジルドが苛立ったように口許を歪める。


「雑魚が群れたところで変わりはせん。が、フフ……いいところに現れてくれた。女の方から殺してやろう! 我ら軍に楯突いた者は全てを失うと、そのことを教えてやるぞディーン!」


 チェルシーとジルドが迫ってくる。


「くっ、来るよ、ディーン!」


 マニも《悪鬼の戦槌ガドラス》を構えた。

 彼女の目許には、濃い隈ができている。

 無理もない、《饕餮牙とうてつがグルイーター》を打っていたため、まともに睡眠が取れていないのだ。

 まともに戦える状態だとは思えなかった。


「……大丈夫だ。任せてくれ、マニ。この魔導剣、本当にありがとう」


 俺は腕に力を込める。

 《剛絶》である。

 《饕餮牙とうてつがグルイーター》による闘気の補正があるため、その効果も跳ね上がっていた。


「間に合わせの魔導剣であれだけ戦えていたんだから、正面からやるには危険そうねえ」


 チェルシーは華麗な足捌きで、俺の右側から左側へと瞬時に移った。

 同時に、剣を持つ手の上下を入れ替え、右手を上に、左手を下にした。


 剣は下の手で振るい、上の手で支えるのが基本だ。

 逆転すれば、それだけ剣筋が変わる。

 足の立ち位置も合わせて変えている。


 持ち方を変え、自身の剣筋を読まれないようにするためだろう。

 そういえば単純なようだが、得意とする構えを大きく崩すのは、よほど別の構えでも修練を積んでいなければできることではない。

 戦いの中で切り替えれば、自分だけ相手の剣筋を覚えられた状態になる上に、相手の戦闘勘を狂わせることもできる。


「魔導尉殿には悪いけれど、これで終わりにさせてもらうわあ! さようなら、お兄さん」


 チェルシーの剣の反応に、僅かに遅れることになった。

 相手の剣を、不利な形勢で受けることになった。


 だが、いける。


『押し切れ、ディーン!』


 ベルゼビュートが叫ぶ。


 さっきまでとは違う。

 俺の膂力も速度も、跳ね上がっている。


「嘘……こんな……!」


 チェルシーの笑みが歪む。

 直後、彼女の魔導剣の刃に罅が入り、砕け散った。


 《饕餮牙とうてつがグルイーター》の刃が、チェルシーの胸部を斬った。

 鮮血が噴き出す。

 チェルシーはよろめいた後、魔導剣の、折れた刃の先を俺へと向ける。

 だが、すぐに白眼を剥き、地面へ倒れた。

 それか初めて、彼女の手から魔導剣が落ちる。


「チェッ、チェルシー……!」


 ジルドが叫ぶ。

 大きく口を開け、呆気に取られた顔をしていた。

 まさか、チェルシーが俺に敗れるとは、思っていなかったようだ。

 実際、《剣士の墓場》に入るまでの俺では、逆立ちしたって敵わないような相手だった。


「決着をつけるぞ、ジルド!」


 俺が叫ぶと、ジルドは呆けたような表情を険しく引き締める。


「ほざけ小僧! チェルシーに勝ったからと図に乗らぬことだ! 私は魔導佐様より力を認められ、魔導尉の地位と、この《猟剣ウッドルーン》を授かった身……! 貴様のような奴に、負ける道理などあるものか!」


 ジルドが隻眼を大きく見開く。

 こめかみと額に、びっしりと血管が浮かび上がる。


 《視絶》は代償が大きいはずだ。

 ジルドは《視絶》によって生じる頭痛を誤魔化すために、よくこめかみを小突いていた。

 しかし、あれほど負荷を掛けているのは初めて見た。


 これまでジルドは、俺相手に本気を出す必要もない、という姿勢を徹底して取ってきていた。

 彼のプライドの高さが、三流冒険者と見下していた俺と対等に戦うことをよしとはしなかったのだろう。

 以前の戦いで単身で飛び込んできたのも、確実に追いつくためというより、そういった意味合いが大きかったのかもしれない。


 だが、ついにジルドが、完全に本気になった。

 最早狩りではない、殺し合いだと。

 俺をようやく『逃げ回る獲物』ではなく、『敵』として認識したのだ。

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