第八十六話 苦戦

 ジルドの顔から血が舞う。


「おっ、おおっ、ぐおおおっ!」


 ジルドが派手に叫び、顔を押さえながら下がった。

 俺は追撃を放つために距離を詰めた。


「ジルド魔導尉殿っ!」


 素早く、間にチェルシーが分け入ってくる。

 刃がぶつかり合い、俺は背後へ下がった。

 チェルシーも下がり、傍のジルドへと再び声を掛ける。


「大丈夫ですかあ、ジルド魔導尉殿。だから、油断して掛かっていい相手じゃないって……」


「あり得ん、こんな……馬鹿な、ただの三流冒険者に……」


 ジルドが声を震わせながら、自身の顔から手を退ける。

 額から顎に掛けて刃傷ができていた。

 さほど深くはない。大したダメージにはならない。


 絶好の機会を逃した。

 あと少し押し込んでいれば、まともなダメージが通ったはずだったのに。


「たかだかボロ切れを持った冒険者相手に、この私が、圧されたというのか……? 認められん……こんな、ことが……」


 ジルドが唇を噛む。

 

 正直、今俺が攻勢に出て、ジルドから一撃取れそうだったのは、奇跡に近い。

 持てる手札を使い尽くし、その上で運が俺に味方していた。

 《刃流し》も、攻撃を誘導した上であんなに上手く決められるとは思っていなかった。

 俺でさえそう思っているのだ。プライドの高いジルドには、とても今圧し負けたのが認められなかったらしい。


「ジルド魔導尉殿……さすがに、いいですよねぇ。前衛、任せてもらっても」


「あり得ない、今のは偶然だ……。もう一度、いや、後百回打ち合っても、私が勝つ!」


 チェルシーの提案をジルドが蹴った。


「最優先事項は、ラゴールの娘の回収ですよぉ? こんなのに、これ以上時間を掛けてる場合じゃありません。あっちも、どうにか出し抜かなきゃいけないんですから」


 チェルシーがちらりと、カンヴィア達へ目をやる。

 カンヴィアは部下に攻めさせ、苦戦するエッダを眺めて笑っていた。


 だが、俺にはわかる。

 エッダは敢えて手を抜き、カンヴィア達が本気にならないようにしているのだ。

 カンヴィア達の部下は連携が怪しい。

 本気になれば、《瞬絶》で一人、二人斬るのは、エッダには難しくないはずだ。


「フー……そうだな、私が、こんな溝鼠如きに熱くなっていてはならん。一人で狩ろうが、二人で狩ろうが、どうでもよいこと。最初から、対等ではないのだから。わかった、前衛は任せる」


 ジルドはカンヴィアへ目を向けた後、自身のこめかみをコツコツと小突き、チェルシーへそう命令を出した。

 それから目の周囲に、一層強く血管を浮かばせる。


「だが、殺すな。こいつは、弄んで殺す。私の怒りを買ったのだ。そのことに変わりはない」


「わかりましたよぉ。私も、そういうのは嫌いじゃないですからぁっ!」


 チェルシーが真っすぐ飛んでくる。

 俺は魔導剣を構えた。


 チェルシーも、ガロックを追い込んだ強者だ。

 普通の一般兵とは明らかに格が違う。

 レベルこそ俺が上回っていると思いたいが、所詮は付け焼刃だ。

 戦闘経験ならチェルシーの方が上だろう。


 その上に、背後に一流の放射魔法アタック使いのジルドが控えて、俺の隙を狙うのだ。

 さっき以上に状況は厳しくなった。


 チェルシーの剣と、俺の剣がぶつかる。

 ジルドのような圧はなく、速度も膂力もない。

 だが、俺が攻め切れないところを容赦なく攻めてくる。

 強引な剣筋ではあるが、後手に出ざるを得ない。


「やっぱりお兄さん、レベルの闘気上昇だけじゃなくて、目に見えて戦闘技量が跳ね上がってる。ウチの魔導尉達は、中途半端に追い込み過ぎましたね」


 チェルシーがペロリと舌舐めずりをした。


「戦闘中に、随分と余裕があるもんだ」


 チェルシーはかなり強引に、勢いで攻めてくるタイプだ。

 相手が俺だから、というのもあるだろう。ガロック相手には、もっと慎重に立ち回っていた。

 だが、相手の方針が割れれば、一度でも動きを読めれば、決定打を通すことができる。


 その余裕面、剥がしてやる!


 チェルシーが手を狙って刃を振るう。

 俺は《水浮月》で透過した。

 チェルシーが下がりながら、素早く剣の軌道を変える。


 そうすると、思っていた。

 俺は透過させた腕を素早く持ち上げ、《硬絶》で強化し、チェルシーの刃を掴んだ。

 チェルシーが目を見開く。


「ちょっと、余裕振り過ぎたんじゃないか!」


 俺は魔導剣を持つ逆の手を引き、チェルシーへと振るう。


「ええ、だって、余裕ですもの。ああ、残念でしたねぇ……一対一なら、これで終わっていましたのに」


 チェルシーは自身の剣を掴んだまま、大きく横へと跳んだ。

 チェルシーの背が外れ、背後のジルドが死角より俺に魔導剣を向けていたのが露になった。


「一撃で死なないでくれたまえよ……!」


 ジルドが笑う。

 隻眼が、微かに震えていた。

 《視絶》でこれでもかと眼球を酷使している。

 確実に俺に放射魔法アタックを叩き込んでくるつもりだ。


 駄目だ。

 最初から、俺の手数が足りな過ぎた。

 チェルシーを相手取りながら、ジルドを警戒し続けないと駄目だなんて、そんなこと、最初からわかっていた。


 二人を相手取れる動き方を考えておかなければならなかった。

 だが、そんな芸当、どう足掻いだってできそうになかったのだ。

 だから、破れかぶれで突っ込むしかなかった。

 そして、順当に追い込まれている。


「クソッ!」


 俺はチェルシーの魔導剣から手を放し、我武者羅に飛ぼうとした。

 だが、ジルドの大きく見開かれた真っ赤な眼球は、じぃっと俺を見つめ続けている。


 こんな破れかぶれな動きで、避けられるわけがない。

 しかし、それ以外に方法がないのだ。


 そのとき、ガッという打撃音と共に、黄土色の土塊が俺とジルドの間に飛来してきた。

 これは、閃光石だ。

 どうやらマニが、《悪鬼の戦槌ガドラス》で叩き込んでくれたらしい。


「なっ、これはっ!」


 ジルドが悲鳴に近い声を上げる。


 閃光石が強い光を放った。


 これなら、避けられるかもしれない。

 俺は動きを一転させ、姿勢を低くし、《闇足》で駆ける。

 同時に、魔導剣をジルドへ投擲した。


 俺のすぐ背後で爆炎が弾けたのがわかった。

 《ロングバレット》が外れたのだ。

 俺はそのまま、閃光石が投げ込まれた方へと走った。


 光が晴れていく。


「なんだ、この程度か! クソ、余計な警戒をしてしまった。このくらいであれば、目を閉じなくても害はなかったではないか!」


 ジルドが歯を噛み締める。

 前回、《視絶》中にマニ特製の泣見石ナキミイシをまともに受けたのがトラウマになっているようだった。


「ごめんねディーン、時間が掛かって。もう少しで完成しそうだったから、すぐに向かえなかったんだ。でも、完成したよ!」


「完成……?」


 すぐには何のことなのかわからなかった。

 だって、新しい魔導剣は、まだまだ時間が掛かるはずだったからだ。


『全く、この妾を土の上に転がすでないわ! 見よ、まだお披露目も済んでおらぬのに、土がついたぞ!』


 ベルゼビュートの声がした。

 マニが、ゆっくりと武器を拾い上げる。


 その剣は、《魔喰剣ベルゼラ》よりもやや長かった。

 緋緋廣金ヒヒイロカネの神々しい赤みを帯びた黄金色に、ベルゼビュートの魔力の影響か、暗色が影のように落ち、赤紫の輝きを帯びていた。

 まるで天使と悪魔が内在しているかのような、神秘性を帯びた魔導剣であった。


『さあ、ここから逆転してやろうではないかディーン!』

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