第七十九話 黒い稲妻

「ヴェェェェエエッ!」


 王獣魔蝦蟇ベヒモスロッガーは舌を振り乱しながら、俺へと迫ってくる。

 まともにぶつかっては避けることさえできない。

 魔力温存だとか言っている場合ではもうない。

 俺は《魔喰剣ベルゼラ》を王獣魔蝦蟇ベヒモスロッガーへと向ける。


「《ブレイズフレア》!」


 三つの炎弾が王獣魔蝦蟇ベヒモスロッガー目掛けて飛んでいく。

 巨体の顔面で炎が爆ぜた。

 だが、王獣魔蝦蟇ベヒモスロッガーはまるで止まる気配がない。

 速度を緩めず、俺目掛けて突進してくる。


 しかし、奴のタフさはここまでで散々わかっていたことだった。

 俺は王獣魔蝦蟇ベヒモスロッガーの視界が炎で隠れた内に、地面の割れ目へと飛び込み、そこで息を潜めた。

 王獣魔蝦蟇ベヒモスロッガーが俺の上を通過していく。


「よし、どうにかやり過ごせ……」


 俺が割れ目より、頭上を見上げる。

 ひょこりとこちらを覗き込む、王獣魔蝦蟇ベヒモスロッガーと目が合った。


「……ては、なかったか」


「ヴェェェェエエエエエッ!」


 王獣魔蝦蟇ベヒモスロッガーが大きく口を開けた。

 舌で攻撃するつもりだ。


「《ブレイズフレア》!」


 もう三発、奴の口内目掛けて放った。

 体表はともかく、内側まで頑丈なはずがない。

 そうであれば、王獣魔蝦蟇ベヒモスロッガーの弱点は大きく開いた口の中だといえるかもしれない。


 三発の炎弾は、綺麗に宙を這った舌で防がれた。

 舌には傷一つついていない。


 闘術にも《王舌》というものがあった。

 恐らく、舌を強化して用いる体術だろう。

 王獣魔蝦蟇ベヒモスロッガーの舌は特別製だ。


 地面の割れ目に入ったため、今更ここを脱して回避するのは間に合わない。

 B級魔獣の一撃を、《硬絶》で凌ぎ切ることができるのかも怪しい。


「頭を引け、ディーン!」


 飛んできたエッダが、王獣魔蝦蟇ベヒモスロッガーの舌を深く斬りつけた。

 切断には遠いが、決して浅くない一撃だった。


「ヴェエェエエエエエッ!」


 王獣魔蝦蟇ベヒモスロッガーが目を回して雄たけびを上げる。

 舌が斬られたのだから、さすがの王獣魔蝦蟇ベヒモスロッガーも激痛を感じているようだった。


「今の内に出るぞ!」


「う、動いていいのか?」


 エッダの身体は血塗れだった。

 外を見れば、マニが心配げにこちらを見ている。

 天井の崩落を受けたエッダを、マニが助けたばかりなのだ。


「こんなもの、落石が身体を掠めただけだ」


 エッダはそう口にしているが、明らかに強がりだった。

 

 俺とエッダは地面の割れ目から上がり、左右に分かれて走った。


「ヴェエエエエェエエエッ!」


 王獣魔蝦蟇ベヒモスロッガーが素早く回転した。

 奴の巨大な尾が振るわれる。

 俺はどうにか地面の窪みを利用し、それを回避した。

 だが、場所が悪ければ、今のであっさり殴り殺されていたはずだ。


 ブルブルと王獣魔蝦蟇ベヒモスロッガーの巨体が震え出す。

 何かと思えば、青白い蒸気が王獣魔蝦蟇ベヒモスロッガーの全身から昇り始めた。


「《蝦蟇闘気》……!」


 追い詰められた魔蝦蟇ロッガーの放つ、速さを引き上げる闘気だ。

 王獣魔蝦蟇ベヒモスロッガーはまだまだ余力があるはずだが、舌を斬りつけられたときの痛みに激昂しているようだった。


「ベェエェエエエエッ!」


 巨体が跳んだかと思えば、素早く地面へ落下してきた。

 周囲が揺れ、俺の身体は跳ね上げられた後、地面へ叩きつけられた。

 打ち付けた頬に激痛が走る。

 ただでさえ王獣魔蝦蟇ベヒモスロッガーの動きが追えなかったのに、更に厳しくなった。


「これ以上は、私でも持ち堪えられん……」


 エッダが走りながら口にする。

 割れた額から垂れた血が、左目に入って視界を潰している。

 動きにも乱れがあり、明らかに彼女も限界が近かった。


 だが……ここで《蝦蟇闘気》を使わせられたのは、悪いことではなかった。

 王獣魔蝦蟇ベヒモスロッガー相手に、相手の耐久力に付き合っての長期戦など、ほとんど勝ち目はない。

 だから俺達が狙うべきは、一気に畳み掛けての短期決戦だった。


 《蝦蟇闘気》は速さ以外の全ての闘気を下げる。

 本体の頑強さも低下する。それでも過去最大クラスの化け物耐久であることに変わりはないが、ないよりはマシだ。


「ヴェェェエエエエエエッ!」


 王獣魔蝦蟇ベヒモスロッガーの頬が膨らむ。

 来る、奴の必殺技、《王酸弾》だ!

 俺は王獣魔蝦蟇ベヒモスロッガーが、この闘術を使ってくれるのを待っていた。


 確かに《王酸弾》は範囲も広く、攻撃力も高い。

 だが……この闘術は、俺が見る限り大きな欠点を抱えている。

 それは範囲が広く、攻撃力が高い分、下手に放てば被弾のリスクを抱えているということだ。


 《王酸弾》の高火力範囲攻撃は、頑強な王獣魔蝦蟇ベヒモスロッガーの肉の鎧を貫通できる。


 無論、《王酸弾》には自爆を避けるための仕掛けがある。

 それが強固な油膜と、遠方まで撃てる射出力だ。

 《王酸弾》にはあれがあるため、自爆を誘うのは難しいようになっている。

 だが、手がないわけではない。


 俺は逃げるエッダとは反対に、王獣魔蝦蟇ベヒモスロッガーの前方へと走った。


「何をしている! お前っ、死ぬつもりか!」


 エッダが叫ぶ。

 だが、王獣魔蝦蟇ベヒモスロッガーを倒しきるにはこれしかない。


「《プチデモルディ》!」


 魔法陣を潜り抜けるように、ベルゼビュートが姿を現した。


「本当にそちは……いつもいつも、この妾をぞんざいに扱ってくれるの」


 ベルゼビュートが不貞腐れたようにそう漏らす。


「悪い……だが、他に手がないんだ」


「仕方あるまい。だが、この距離だとディーン、そちも巻き込まれるぞ」


「対策は考えてるよ。ベルゼビュート、頼む」


 ベルゼビュートは呆れたように息を漏らし、それから表情を引き締め、地面を蹴って王獣魔蝦蟇ベヒモスロッガーの顔面へと向かった。


「この代償は高くつくと、そう理解しておれよディーン!」


 ベルゼビュートは地面を蹴って身体を跳ね上げ、王獣魔蝦蟇ベヒモスロッガーの口目掛けて全体重を乗せた爪撃を放った。

 丁度そのとき、王獣魔蝦蟇ベヒモスロッガーは《王酸弾》を放とうと口を開けた。


 ベルゼニュートの右腕が、王獣魔蝦蟇ベヒモスロッガーの口内へと入り込む。

 ドムッ、と音が鳴った。

 王獣魔蝦蟇ベヒモスロッガーの口から虹色の球体が膨張し、歪に変形し、炸裂した。


「オヴェェェエエエッ!?」


「うぐうっ!」


 《王酸弾》は、王獣魔蝦蟇ベヒモスロッガーの口内で爆発した。

 ベルゼビュートは強酸の液を受けて苦しげに喘ぎながら消滅した。

 王獣魔蝦蟇ベヒモスロッガーは口が溶け、顔面が液状化したように崩れる。

 ジュウと音を立て、膨大な量の煙が上がっていく。


 これが安全装置のついた《王酸弾》を自爆させる、唯一の方法だった。


 俺へと爆ぜた《王酸弾》の飛沫が向かってくる。

 俺は腕を勢いよく下げた。

 俺の身体が宙へと跳ね上がる。


 造霊魔法トゥルパの糸玉……《マリオネット》である。

 一度天井に跳ね上げられたときから、魔力を消費し続けて維持していたのだ。


「エエエ……エエエエエエ……」


 王獣魔蝦蟇ベヒモスロッガーが呻きながら、崩れた顔面についた目を左右へやって俺を探す。

 俺は《魔喰剣ベルゼラ》を振り上げた。


 自身の身体の奥……闘骨に意識を向け、精神を統一する。

 黒い瘴気が俺の身体から溢れ始めた。

 ブラッドの《邪蝕闘気》だ。

 頼りたい力ではなかったが、好き嫌いしている場合ではない。


 俺のオドは疲弊しきっている。

 だからこそ、この一撃に全てを投じて、確実に王獣魔蝦蟇ベヒモスロッガーを倒す。


 《王酸弾》の自爆で、動物の弱点である頭部の肉壁が薄くなった。

 ここに、俺の最大の攻撃を叩き込む。


「《雷光閃》!」


 《邪蝕闘気》の黒い闘気が、そのまま黒い雷として俺の身体を覆う。

 天井を蹴り、一直線に俺は、王獣魔蝦蟇ベヒモスロッガーの頭部へと飛び降りた。


 薄暗い地下階層が照らし出される。

 このときの俺は、黒い稲妻そのものだった。


「ヴェッ」


 辛うじて捻りだしたそれが、王獣魔蝦蟇ベヒモスロッガーの最期の言葉となった。

 《魔喰剣ベルゼラ》の一撃が、王獣魔蝦蟇ベヒモスロッガーの頭を穿った。

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