第七十話 奇鬼蟲《バグバグ》

 《剣士の墓場》への突入二日目……ついに俺達は、地下四階層へと足を踏み入れた。

 マニは《悪鬼の戦槌》を掲げ、《エアルラ》を使って瘴気を浄化しながら進んでいく。


 魔迷宮奥深くは空気エアルが澱んでおり、人体にとって害となるためだ。


 俺は《オド感知・底》で周囲を警戒しつつ、エッダと並んで先陣を切って進んでいく。

 左肩に違和感があり、俺は右手で解した。

 寝る際の体勢は限定されるし、番のため交代制であったため、当然しっかりとは眠れない。

 ……やっぱり、まともに回復できたような気がしない。


 その点、エッダは普段と一切変わりない。

 一昨日まで寝込んでいたのはまるで思えない。


 エッダは俺へと振り返り、それからマニへと目を向けた。

 それから一人、納得したように頷いた。


「安心しろ、慣れる」


 エッダはそう簡単に言ってくれる。

 しかし、俺は思う。

 魔迷宮での睡眠で十全に身体を回復させるのは、慣れというより、一つの技術のようなものなのかもしれない。

 それに特化してきたナルク部族のエッダに、そう容易く追いつける気がしない。


 俺は自分の頬を軽く手のひらで叩いた。

 弱音は吐いていられない。慣れるしかないのだ。


「と……エッダ! 左側より、何かが向かってくるぞ!」


 エッダが俺の前に出て、剣を構える。

 俺も相手に合わせて素早く魔法を使えるように《魔喰剣ベルゼラ》を構えた。


 それは、巨大な虫だった。

 頭部に八つの人間のそれに近い眼球が不規則に並んでおり、硬質の黒い外骨格に覆われている。

 長さの不均一な六つの足を持ち、ジグザグに動きながらこちらへ向かってきていた。


 その奇怪な姿に、見ただけで寒気が走った。


奇鬼蟲バグバグだ!」


 実際に目にしたのは初めてだ。

 だが、こんな特徴的な魔獣、間違えるわけがない。

 湿気が多く、人の手の入っていない魔迷宮によく出るのだと聞いたことがある。

 D級の中ではかなりの上位に入る魔獣で、外観が気色悪いだけではなく、普通に強いのが厄介なのだ。


「だが……平均レベルの高い魔獣ならば、私やディーンにとって、いいオドになる」


 エッダはやや不快げに顔を顰めていたが、そう言って下げかけた剣を構え直した。


 今の俺やエッダは、もう【Lv:25】程度の魔獣では、まともにオドが蓄積されなくなってきていた。

 奇鬼蟲バグバグの目安レベルは【Lv:28】であり、D級最上位格の魔獣だと聞いたことがある。

 今の俺やエッダが安定してオドを積むには、最適な相手だと言えるかもしれない。


 俺は《魔喰剣ベルゼラ》を向ける。


「《トリックドーブ》!」


 魔法陣が展開され、そこを潜る様に一体の霊獣鳩トゥルパ・ドーブが姿を現して真っ直ぐに飛来していった。

 エッダを追い抜き、奇鬼蟲バグバグへと迫る。

 奇鬼蟲バグバグの複数の眼球の内の三つが、じいっと霊獣鳩トゥルパ・ドーブを見ていた。


 奇鬼蟲バグバグは最大まで霊獣鳩トゥルパ・ドーブを引き付けた後、真横へと跳ねて回避した。

 追尾し損ねた霊獣鳩トゥルパ・ドーブは地面に当たって小さな爆発を引き起こした。


 動体視力が優れている……。

 それに、動きも速い。

 速さに長けた魔獣は、格下であっても事故で深手を負わされやすい。


「虫ケラ、私の動きは見切れるか?」


 エッダが剣を振り上げる。

 奇鬼蟲バグバグはそれに対応すべく、動きを止めた。

 エッダが地面を蹴り、奇鬼蟲バグバグの右側から左側へと高速で移った。

 《瞬絶》を用いた移動だった。

 俺でも近くで受ければ、消えたように錯覚させられるかもしれない。


 奇鬼蟲バグバグも、エッダの動きに対応が遅れていた。

 その隙を狙い、エッダが刺突を放った。


 奇鬼蟲バグバグの外骨格に刃が走る。

 眼球の三つが破裂し、体液が散らばった。

 千切れた脚が一本地面を転がる。


 奇鬼蟲バグバグは衝撃で背後に飛ばされた後、素早く着地し、再び脚を激しく動かして疾走を始めた。


「なんて頑丈な奴だ」


 エッダが舌打ちした。

 エッダの刃で貫けなかったのは、相当あの外骨格は頑強だ。


 だが、眼球が潰れて死角ができた。

 それに、外骨格越しとはいえダメージも通っている。

 動きが、雑になっている。まるで暴れているようにも映った。


「《マリオネット》!」


 俺は魔力で形成された糸玉を手に纏い、突進してくる奇鬼蟲バグバグを飛び越え、踏みつけると同時に手で背中に触れた。

 再び飛び上がり、同時に造霊魔法トゥルパの糸で引き上げた。


 奇鬼蟲バグバグが宙を舞った。

 この手の平べったい魔獣は、ひっくり返されることに弱いと思った。

 加えて、元々不均一な奇怪な脚で、今は内の一本を失ったばかりだ。

 踏ん張りがまともに効かなかったことだろう。


「《鬼闘気》!」


 マニの身体から赤い闘気が漏れていた。

 振り抜かれた《悪鬼の戦槌ガドラス》の槌頭が、奇鬼蟲バグバグの腹部を抉った。

 軽々と跳んだ奇鬼蟲バグバグは、壁に背を打ち付けて地面に落ち、それから動かなくなった。

 オドの光が漏れ出て、周囲に広がる。


「ほう、面白い判断だったな、ディーン」


 珍しくエッダが褒めてくれた。

 俺は返答に詰まり、照れ笑いを浮かべた。


「お前はそういう小細工で立ち回るのが似合っているかもしれん」


「……それ、褒めてるんだよな?」


 笑うために緩めた口許が、つい引き攣るのを感じていた。


「なんだか、悪いね……。僕が、いいところをもらってしまっているみたいで」


 マニは地面に置いたマナランプを拾い上げ、申し訳なさそうに口にする。


「大丈夫だ。私とディーンは、元より短期でレベルを引き上げるにはC級上位の魔獣でなければ足りん。マニのレベルも上げねばならないからむしろ丁度いい」


 エッダの言葉を聞きながら、C級上位か、と考える。

 この三人だけでC級上位格と当たるのは不安が大きいが、避けていられる道ではない。


 ちらりと奇鬼蟲バグバグの死体へ目を向ける。

 クリーム色に溝水の混じったような体液を口から吐き出していた。

 殴られたときに飛び出た眼球が床に転がっている。


 ……こいつの解体をしなくてよかったかもしれないと、ふとそんなことを考えてしまった。


『こういう魔獣が、濃厚で旨かったりするのであるよな、ディーン。のう、食糧も貴重であるし、現地で食べられる魔獣がおれば、調理するという話であったよな?』


「……想像させないでくれ、ベルゼビュート」

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