第五十八話 《煮込み野菜のシチュー》

「悪いが、息子夫婦が死んで以来、食事に気を遣ってはおらんでな。重症の娘もおるのに、客人に大したもてなしもできそうになく申し訳ないの」


 俺とマニ、セリアが三人でエッダの看病をしていると、ロービがそう声を掛けてきた。


「泊めてもらっただけでも本当に感謝しています」


 俺はロービに頭を下げた。

 ロービが街で指名手配された冒険者だと騒ぎ立てていれば、今頃俺達は村を追われていたはずだ。

 そうなっていれば、エッダの命はなかっただろう。


 エッダもまだ目を覚ましてはいないものの、もう命の危機はなさそうだ。

 穏やかな寝顔をしている。


「ディーン、セリアちゃんと僕がエッダさんを見ているから、今晩の料理は君が作ったらどうかな?」


 マニがそんなことを俺に提案した。


「えっ……いや、でも、逆に迷惑なんじゃないか」


「お前さん方は客人だ。そのような真似をさせるわけにも……」


「安心してください。ディーンは凄く料理が得意ですから。こちらは匿ってもらっている身ですし、それくらいのことはしないと。ほら、ディーン」


 俺もロービも難色を示したが、マニは退かずにそう口にした。


「ロ、ロービさんがいいのならば、いいですが」


 結局俺もロービもマニに折れる形で彼女の意見を通すことにした。

 俺は台所に立ち、ロービの許可を取って食材を使わせてもらう。


『……食に無頓着というのは本当であったらしいの。現界イルミスにおりながら、なんと勿体ない』


 ベルゼビュートがそんなことを零した。

 俺は軽く《魔喰剣ベルゼラ》を小突いた。


 確かに食材は少ない。

 普段あまり料理はしないのだろう。

 野菜が多く残っていたので、それらを用いてシチューを作ることにした。


 肉がない代わりに多種の野菜をやや多めに使ったため、しっかりと野菜の風味と甘みは出ている。

 ただ、それでも少し簡素な出来になりそうだったので、手持ちの香辛料と乳酪を野菜の風味を邪魔しない程度に少量用いて、香りづけと味の調整に使用することにした。

 

 鍋で煮ていると蒸気が上がってくる。


『おおっ! よい出来栄えではないか! の、のうディーン……妾も欲しいぞ……。ひと口、ひと口だけでいいのだ』


「……悪い、ベルゼビュート。状況が状況なんだ。騒動が落ち着くまで、もう少し待ってくれ」

 

『むぐ、むぐぐぐぐ……』


「こっ、こら、震えるな!」


 俺は《魔喰剣ベルゼラ》を必死に押さえた。


 料理が終わり、《煮込み野菜のシチュー》を皿に盛り付けて配った。


『ディーン、余っておる。鍋に一人分余っておるぞ!』


 エッダの分だぞ、と俺は心の中でベルゼビュートに返した。

 どれだけ必死なんだこの大食悪魔は。


「ありがとうございます。ディーンさんのお料理、とても美味しいです」


「どういたしまして、セリアちゃん」


 セリアは今回の事件で、本当に不幸が多過ぎた。

 慕っていたガロックも、あの様子だととても助かったとは思えない。

 俺なんかの料理で、少しでも元気を出してくれるならば嬉しい。


 ロービはじっとシチューを見つめたまま、しばらく止まっていた。


 な、何か、駄目だったのだろうか。

 俺が気になってロービの様子を眺めていると、彼はゆっくりとスプーンで口許へとシチューを運んだ。

 それからほろりと、涙を零した。


「ロービさん?」


 ロービは言われてから気づいたかのように、指で自身の目許を拭った。


「……すまないの。久々の手料理と賑やかさに、つい、息子夫婦がおった頃を思い出しての。まったく……こんな老いぼれをおいて、みんな先に逝ってしもうた」


 ロービは気難しそうな顔に笑みを作って、それからまた涙を零した。


「ここ数年、何を食べても同じに感じておった。だが、本当に美味いシチューだ。感謝するぞ」



 それから四人で歓談しながら食事をしていると、別室から呻き声が聞こえてきた。

 エッダが目を覚ましたのだ。

 俺は席を立ち、彼女の許へと急いで向かった。


「エッダ! 良かった……」


 エッダは苦しげな表情で上体を起こし、俺を睨んだ。


「おい、ここはなんだ? 何があった」


「実は村に匿ってもらうことになったんだ」


「なんだと? いつ売られるか、わかったものじゃない。早く出るぞ」


 そう口にした後、エッダは腹部を押さえる。

 傷口が傷んだのだろう。


「無茶だ。傷だらけだし……それに、オドも限界まで追い込んでいたはずだ」


 レベルの高い人間は元々、常人より外傷の治りも遥かに速い。

 だが、それでも限界がある。

 生物の力の源であるオドが疲弊しきっているのも大きい。

 今のエッダは、とても軍から逃げながら旅を続けることなんてできないはずだ。


「危険すぎる。元々ナルク部族は旅に慣れている。お前達のような、都市育ちの軟弱者と比べるな」


「意地張ってる場合じゃない。エッダに気を遣ってるだけじゃない、エッダを頼りにしているから言っているんだ。ガロックも、もういない。俺とマニだけじゃ、とても魔導尉達には敵わない」


「意地で言っているわけではない、私は大丈夫だと……!」


『まったくエッダめ、シチューの匂いを嗅いで目を覚ますとは、可愛いところもあるではないか。よほど腹が減っておったのであるな』


 ベルゼビュートの言葉に、エッダは頬を朱に染めて閉口し、眉間に皺を寄せた。


「おいディーン、貸せ。その食欲馬鹿の刃をへし折ってやる」


『なな、何故であるかっ! 疲れたら腹が減る、自然の摂理であろう! 誇れ、恥じることではない!』


「頼むベルゼビュート、俺はエッダと真面目な話がしたいんだ。黙っていてくれ」


『なんであるとう!? ディーン、そちまで妾を見捨てるつもりなのか!』


 そのとき、乱暴に戸を叩く音がした。

 かなり荒っぽい叩き方だった。

 俺は《魔喰剣ベルゼラ》を床に置き、エッダの口を手で塞いだ。


「むぐ、ディーン、貴様っ! 何を!」


「静かにしてくれ、エッダ。まずいかもしれない」


 ロービが外へ向かい、扉を開けたようだった。

 複数人の騒めきが聞こえてくる。


「何用だ?」


「何用だ、じゃないだろ。ロービさんよお、アンタ、旅の冒険者を泊めたそうじゃないか。ちょいとそいつらの顔を拝ませてくれないか?」


「もう遅い、眠られておる。明日にしろ」


「それじゃ俺達が叩き起こすだけだ。わかってんのか、アンタ、おい! 何かあったら、先の短いアンタだけじゃねえ、俺達が大迷惑を被るんだよ」


 相手の男が、ロービを恫喝するように荒々しい口調でそう言った。


 俺は息を呑んだ。

 村の連中だ。

 ロービはロマブルクの事件を把握しているのは少数だと口にしていたが、その一部に俺達の話が漏れたのだろう。

 元々、狭い村なので何かあれば、すぐに全体に話が広がるとは聞いていた。

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