第五十三話 焦燥の代償

 ベルゼビュートが俺の目前の軍人へと、両腕を振り回しながら飛び掛かっていく。

 軍人は魔導剣で上手く受けてはいたが、ベルゼビュートの勢いに押されているようだった。


「このっ!」


 軍人がベルゼビュートの爪を弾き、彼女へと刃を突き立てようとした。

 ベルゼビュートはその刃を重ねた左右の手の甲で受け止めた。

 手の甲には刃が貫通していたが、彼女の顔の前で止まっていた。


「やってやれい、ディーン!」


 ベルゼビュートが叫ぶ。

 俺はベルゼビュートの脇から前に出て、全力で《魔喰剣ベルゼラ》を振り抜いた。

 軍人の胸部に刃傷が走る。

 

 軍人は口から血を吐きながらも、辛うじて魔導剣を握り締め、俺を睨んでいた。

 そのとき、ベルゼビュートの逆側から軍人に接近していたマニが、《悪鬼の戦槌ガドラス》で彼の頭を殴った。

 血が舞い、ついに軍人が倒れた。


 三人掛かりではあったが、どうにか倒しきることができた。


 俺は造霊魔法トゥルパで生み出したベルゼビュートの姿を消した。

 どうにか、相手を倒すまでベルゼビュートを維持できてよかった。

 これで《プチデモルディ》は二回目だ。

 俺の魔力もかなり厳しくなってきた。


「大丈夫かい? ディーン」


 マニの声に、俺は顔を上げた。

 彼女は俺の代わりに周囲を警戒してくれていた。

 今は混戦状態だ。どこから攻撃が飛んできてもおかしくない。


「ああ、悪い、マニ」 


 ガロックは三十秒で決めると言っていた。

 苦しくても、手を止めている猶予はない。


 そのとき、エッダも一人の軍人を追い詰めているところであった。

 彼女の猛攻は相手の反撃を許さない。

 一打ごとに相手の体勢を崩し、その隙を突いて更に相手を崩していく。


 そうして決定的な隙が生じたところで、エッダが大きく振りかぶった。

 これで仕留める気の一撃だった。


「《イマジナリーナイフ》」


 ガロックと二人掛かりで戦っていた軍人の片割れが、死角にいるエッダへと魔導剣を向けた。

 魔法陣が展開され、そこから射出された二本のナイフが、エッダの肩へと突き刺さった。

 遠距離攻撃用の造霊魔法トゥルパだった。


「ぐぁっ!」


「エッダ!」


「甘いなぁ。混戦で、隙作っちゃ駄目ですよぉ」


 背の低い、茶色のツインテールの女だった。

 ガロックを相手取りながら、ケタケタと笑ってそう言って見せた。


 無論、わかってはいた。

 一般兵の中にだって、中堅以下の冒険者とさして変わらない奴もいれば、当然化け物も混じっている。

 明らかにその女は命のやり取りに慣れていた。


 エッダとて、甘さから隙を作ったわけではない。

 ただ、少しでも速く相手を倒さなければいけないという焦りから、周囲への警戒を疎かにせざるをえなかったのだろう。


「よ、よくやったぞチェルシー!」


 エッダと戦っていた相手が、そう口にした。

 恐らくツインテール頭の名前なのだろう。 


 肩に造霊魔法トゥルパのナイフが突き刺さったエッダは、ふらりと無防備にその場でよろめいた。

 その隙を突いて、エッダと戦っていた軍人が彼女へと魔導剣を振るった。


「はは! ラッキーだったぜ、もらった!」


 それをエッダは刃を縦にして防いだが、一瞬間に合わなかった。

 刃はエッダの腹部を深く斬りつけていた。

 鮮血が散り、エッダは目を見開きながら地面に崩れ落ちた。


 辛うじて魔導剣から手を放してはいなかったが、口から血が漏れていた。

 傷はかなり深い。


 軍人は続けて、エッダの背を乱雑に魔導剣で殴りつけた。

 彼女の背が跳ね、赤黒い傷跡が走る。

 魔導剣を握る手も強張っていた。


「散々斬りつけてくれたな! とっとと死にやがれ!」


 軍人は両手で魔導剣を握りしめ、エッダの背に突き立てようとする。


「止めろっ!」


 俺が軍人に斬りかかると、軍人はそれを刃で受け止めた。

 

「フフ……なんだ、こっちの女より力がないな? 速さはどうかな!」


 軍人が魔導剣を右に、左にと斬りかかってくる。

 俺は辛うじて防ぐが、一打ごとに体勢を崩されていた。

 エッダのときとはまるっきり逆だ。


 あのとき女軍人の造霊魔法トゥルパの妨害がなければ、勝っていたのはエッダだったはずだ。

 エッダは、こんな奴相手に難なくあと一歩まで追い詰めていたのか。


「すぐそっちの女と同じところに送ってやるよ!」


 首目掛けて刺突を放たれた。

 俺は首を《硬絶》でガードしながら横に倒す。

 端を斬られたが、これならちょっと深めではあるが、ほとんど掠り傷のようなものだ。


「僕もいるんだよっ!」


 マニが軍人の死角から《悪鬼の戦槌ガドラス》の一撃を放った。


「ちっ!」


 軍人は前に跳んでそれを回避したが、さすがにそれは大きな隙であった。

 俺は軍人のあばらの当たりへと刃を突き立てた。


 軍人は血を吐きながら魔導剣を手から離す。

 ぐらりと身体が揺れ、その場に倒れた。


 そのとき、エッダの手から、彼女の魔導剣が落ちた。

 地面に落ちた魔導剣が、ガランと音を立てる。


「エ、エッダ……?」


 俺は軍人から目を離し、倒れたままの、嫌に静かなエッダを抱き起した。


「ば、馬鹿者……。前にも言っただろう。あまり、私にべたべたと触ってくれるな、と」


 エッダは弱々しい声でそう口にした。

 エッダはまだ生きている。


「よかった……」


 瞳の奥から涙が溢れてくる。


 俺はエッダの腹部の傷へと手を当てた。

 かなり深い。

 とめどなく血が溢れてきて、俺の手はあっと言う間に赤く染まった。


 それに、これだけではない。

 背中にも重めの打撃を受けていたはずだ。


 頭ではわかっていたつもりだった。

 誰かが死ぬかもしれない。

 重傷を負うかもしれない、と。

 俺はどこかそれを甘く捉えていたのかもしれない。


「……まだ、敵は残っている。私ならば大丈夫だ。こんなところで、死んで堪るものか」


 エッダが振り絞るようにそう口にした。

 俺は小さく頭を下げ、エッダをその場に寝かせ、ガロックと軍人が交戦している方へと走った。


 ガロックは二人を相手取っていたはずだが、さすがというべきか、相手はいつの間にか一人になっていた。

 片方は無事に倒したらしい。

 相手は結果としてエッダに重傷を負わせた、ツインテール髪の女軍人チェルシーであった。


「どうしたのですぅ、お兄さん? ねぇ、もうダメですか? もうヘトヘトですかぁ?」


 ガロックは細かい手傷をいくつも負わされていた。

 普段のガロックであれば、きっとあのチェルシーくらい簡単に倒せていたはずだ。

 だが、今のガロックは腕の火傷とオドの疲労で、最早まともに戦える状態ではないのだ。

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