第四十三話 ロマブルクとの別れ

 都市ロマブルクの街門を出て、半日が既に経過していた。

 俺達は森で野宿を行なっていた。

 既に日は沈みかけて薄暗くなっており、地に置かれたマナランプの灯りが周囲を照らしてくれていた。


 俺は狩猟した一角兎ミラージを丸焼きにしていた。

 毛皮を剥ぎ、臓物を落として血抜きした一角兎ミラージの肉を、枝を組み合わせて作った台で焼いていた。

 肉の焼けるいい匂いがしてくる。


 この辺りは軍による魔獣狩りが行われた区域ではあるが、都市から距離のある場所では危険度の低い魔獣は放置されていることが常だ。

 一角兎ミラージとしてはややレベルは高めだったが、魔導器使いであれば問題なく対処できる程度の相手であった。


「ありがとうございます、ディーンさん。あの、皆さんに守られているだけの私が、先にいただいてしまって申し訳ございません……」


 セリアは大きな石に座り、先に焼き上がった一角兎ミラージの太ももを手にしていた。

 その隣にはガロックが座っている。

 顔立ちは全く似ていないが、こうしていると親子のようにも見えてくる。


「疲れてるだろう? 香辛料とかまともになかったから、ちょっと舌に合うかわからないけど……」


「い、いえいえ、そんなことないです!」


 セリアが首を振った。

 俺は苦笑いを浮かべ、頭を掻いた。


 ……つい、あのラージン商会の会長の令嬢なのだから、きっと良いものを食べてきたに違いないと考えてしまったのだ。

 こんな小さい女の子に気を使わせてしまったかもしれない。


 セリアは一角兎ミラージの丸焼きをそっと口にする。

 上手く噛み千切れなかったらしく、ぐぐっと顔を離し、せっせと肉を引っ張っていた。


「お嬢! 肉汁が垂れてるぜ」


「あっ、熱い! でも、凄く美味しいです」


 これまでずっと表情の硬かったセリアが、ようやく少しだけ笑ってくれた。

 俺はその顔を見て、ほっとした。


 セリアはまだ幼い上に、家を焼かれて家族を殺されたばかりだ。

 言動こそしっかりとしているが、ずっと辛そうにしている。

 少しでも笑みを取り戻してくれたら嬉しい。


 悲しいときでも、苦しいときでも、お腹は減るものだ。

 人は食べなければ生きていけないようにできているのだから、当然のことだ。

 しかし、だからこそ、どんなときでも食事は人に喜びを与えてくれるのだ。

 

『のう、のうのうディーン! 妾も、妾もっ!』


 ……いつも通り、食いしん坊な魔導剣がガタガタと震え出した。

 俺は柄をがっしりと掴んで押さえつけ、何事もなかったかのように肉を回して焼き加減を調整する。


『なぜ妾を無視するのだ! 酷いではないかディーン!』


 お前は何も食べなくても生きていけるだろうがと、俺は心中で突っ込みを入れる。


「……ガロックさんとセリアちゃんがいるからだよ。わかるだろ?」


 それに、今の旅の道には、ベルゼビュートの食事を用意し続ける余裕はない。


『む、むぐぅ……』


 ベルゼビュートが無念そうに漏らす。


「無事に逃げ切れて、本当によかったよ……」


 マニがそう口にすると、エッダが魔導剣の素振りを止めて彼女の方を向いた。


「魔導尉と聞いて警戒していたが、案外大したことがないものだな。わかってはいたが、偉ぶっているだけの連中だ。もっと早くに仕掛けてやればよかった」


 ……不敵で頼もしいことだ。

 だが、実際、俺もここまで上手く行くとは考えていなかった。

 幸先がいい。


「……問題はこっからだ。今回が上手く行ったのは、こっちが仕掛ける側だったのが大きい。ここからは、追われる側になる」


 ガロックが手を組みながら、そう口にした。


「連中の一番の強みは集団の強さだ。オレらが魔導尉相手に逃げ遂せたことで、向こうさんの警戒は強まった。マルティにしてみれば、オレとお嬢が都市外に逃れたのは最悪の状況だ。今度こそ死に物狂いで潰してくることだろうよ」


 俺は息を呑んだ。

 大きな怪我も犠牲もなく突破できたのは奇跡的な快勝であった。

 それが悪いということは勿論ない。だが、結果としてそれがよくない事態を招くことも考えられる。


 ……この一件で、マルティは街門を守らせていた戦力では、俺達を相手取るのには不充分であったと判断するかもしれない。

 この大勝は、追手に割くであろう人員を強化する結果に繋がりかねない。

 

 マルティは、この都市ロマブルク支部の軍人である百人以上の魔導器使いを、部下として持っている。

 極端な話、それを全部ぶつけてこられては俺達に万が一の勝ち目もない。


 ただマルティには魔導佐の立場という枷がある。

 他の役目もあるわけで、ただの強盗犯であるガロックに対して、表立って大量の部下を投じるような真似はできないはずだ。

 それはこの一件に対して、後ろ暗いことがあると喧伝していることに等しい。


 それ故、自分の首が懸かっている場面であっても、気軽に過剰な戦力を向けることはできない。

 必要最低限の、少し上を狙ってくる。


 マルティが追手として動かせるのは、長期間都市から外しても問題がなく、他の魔導佐から怪しまれない範囲であるはずだ。

 マルティ本人は魔導尉とは比べ物にならないほど凶悪な魔導器使いである。

 国内の強い魔導器使いを順に並べれば、かなりの上位に入り込むだろう。


 仮に本人が直接俺達を殺しにくれば、まともな戦いにさえならないはずだ。

 だが、魔導佐であるマルティは自由に国内を動き回ることはできない。

 だからこそ俺達に勝ち目がある。

 この戦いは、相手を本気にさせてはいけないのだ。


 料理が終わってから、俺は大岩に座ってマニと並び、一角兎ミラージの肉を食した。


「うめぇじゃねぇか! 手際もよかったし、ディーン、お前、相当慣れていやがるな!」


 ガロックが一角兎ミラージの肉を頬張り、笑いながら俺へとそう言った。


『……妾も食べたかったのに、貴様らのお陰でお預けをくらっておるのだぞ』


 ベルゼビュートが恨みがましそうに零す。


一角兎ミラージの肉は柔らかくて、味が染みやすいですからね。若い一角兎ミラージは、丸焼きにするのが勿体ないと言われるくらいです」


 俺はベルゼビュートの言葉に苦笑いしながら、ガロックへとそう返した。


「シチューにする方がメジャーですね。今は材料が足りませんが、ステーキにして酸味のある赤茄子メイトゥのタレを掛けると凄く美味しいんですよ」


「ほほう、無事にこの件が終わったら、ぜひ作ってもらいたいところだな」


「ははは……そこまで大したものじゃないですよ」


 俺は誤魔化すように頬を掻いた。

 よくマニからは褒められるが、ガロックからストレートに褒められて、ちょっと照れてしまった。


『ディーン! 妾も! そのときは当然妾もであるからの!』


 ベルゼビュートが必死にそう主張する。


 俺とガロックが話していると、マニが軽く俺を肘で突いた。


「……彼らと親しくしすぎない方がいいかもしれないよ。キミは優しすぎるからね。旗色が悪くなれば、彼らを切ってでも逃げなければいけない時だって来るかもしれないんだ。僕はキミに恨まれたって、キミを無駄死にさせるようなことは絶対にさせないからね」


 マニが小声で俺へとそう言った。


 ……わかってはいる。


 ガロックが相手取っているマルティ魔導佐はあまりに強大すぎる。

 相手の油断を突いて動き回り、どうにか目的を果たすしかないのだ。

 仮にマルティが全てを擲って潰しに出てくれば、その時点でこの旅は潰えるだろう。


 だが、そうなったときも、俺達だけであれば逃げられる可能性はある。

 当然追われる身であることに変わりはないだろう。

 しかし、マルティにとって、俺やエッダには罪を被せた時点で目的を果たしたようなものなのだ。

 捕らえなければ自身の地位が危ういガロックやセリアとは、優先順位が全く異なる。


 どうにもならなくなれば、最後の手段として、ガロックとセリアから離れるしかないのだ。


 顔を上げれば、ガロックとセリアの姿が見えた。


「大丈夫だ、お嬢。……オレは、ラゴール様を守れなかった。だが、絶対にお嬢を無事に送り届けて、あのマルティに罪を償わせてやる。ラゴール様の、最期の頼みだからよ」


 ガロックは一角兎ミラージの肉を片手に、セリアの背を撫でて彼女を励ましていた。


「……ディーン」


 マニから、急かすように再び声を掛けられる。

 俺は、曖昧に頷いた。

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