第三十二話 《落物堂》の主

 軍を撒いた後、俺とエッダは橋の下の河原を拠点とすることにした。


 この橋はボロボロで、いつ壊れてしまうのかわからないようなものだ。

 周囲は不法投棄されたもので溢れており、衛生面もあまりよくない。


 だからこそ、下に潜り込んでしまえば上を通っても全く気が付かないはずであった。

 おまけに外から見るよりも意外とスペースがあるのだ。


 俺はエッダを橋の下に残し、一人で食料調達に向かっていた。

 向かったのは《落物堂》という店であった。

 《落物堂》は、本来軍に届ける義務のある魔迷宮内に置き去りにされていた冒険者の遺品や、冒険者ギルドの許可を得ていない非合法の魔迷宮の地図なんかを中心に扱っている店である。


 ここの店主とは一応顔見知りである。

 それに後ろ暗い商売をしているため、軍に通報されるリスクも低いと考えたのだ。

 加えて橋の下からも近く、安全に移動することができた。


「珍しい客が来たな。冒険者としてそこそこ成功してるって聞いてたから、もうここには二度と来ないもんだと思ってたが」


 大柄な壮年の男、店主のバウマンが出迎えてくれた。

 バウマンは顔の左半分に包帯を巻いている。

 昔軍人にやられたと聞いたことがあるが、詳しい話は何も知らない。


「奥に来い、今日はもう閉めちまうからよ」


 バウマンは太い指で、雑に店の奥を示す。


「すいません、わざわざ」


「オレのためだ。巻き込まれるわけにはいかねえからな」


 バウマンは隻眼で俺をぎょろりと睨む。

 奥の部屋に入り、机を挟んで椅子に座り、バウマンと向き合った。


「ったく、この前まで運び屋やってたガキが《魔の厄災》やナルクの蛮族と共に商会の頭の館に火を放つなんて、随分と出世したもんじゃないか」


「……軍に嵌められたんです。俺も、ナルクの子も」


 俺はバウマンの言い方にムッとしながらも、言葉を抑えた。

 彼の機嫌を損ねるわけにはいかない。


「わかってるよ、んなことは。だが、ナルクのガキを庇って飛び出したのが本当なら、馬鹿なことをしたな。ナルク部族は仲間意識が強い。そこで見限られて逸れた奴っていうのは、相当だ」


「エッダは、そういう奴じゃありませんよ」


 俺は思わず、声を大きくしてそう返した。

 そもそも、エッダは別にナルク部族を追い出されたわけではない。

 親族を殺され、悪魔に復讐するために旅をしているのだ。


「でかい声出すんじゃねえ。お前の声が漏れたら、オレもヤバいだろ。そんときは、軍のクソ共に突き出すからな」


「……すいません。お金はあります。食料と、何か使えそうなものがあったらもらえれば、と」


「食い物なんて売ってねぇよ。まぁ、オレの分をあるだけ売ってやる。五割増しでな」


「ありがとうございます。本当に、助かります。あんまり不要にウロウロするわけにも行きませんからね」


 もっと足許を見られるかと思ったが、案外良心的だった。

 真っ黒な違法商売でも、いや、だからこそ、客との信用は大事だ。

 バウマンはそこの線を見誤らないからこそ、長年落物堂を続けていられるのかもしれない。


 バウマンが席を立ち、他の部屋に入って行った。

 そこで何か探しているようだった。


「肉と、パンと、芋と……何か、欲しいもん他にあるか?」


「とりあえず、食料品だけいただければ……」


「馬鹿が。どうせ、火炎石も必要だろ。適当に五、六個くらい詰め込んどくぞ」


「……ありがとうございます」


 あって困るものではない。

 仕入れておけるのであればありがたい。

 必要に応じて、下手に何度も歩き回るわけにもいかない。


『なんだ、意外に良い奴ではないか』


「……口はちょっと悪いけどな」


 俺も、バウマンならば余計なことはしないだろうと思い、彼を頼ったのだ。

 第一の理由は、立場上軍に自ら接触するようなことは絶対しないだろう、という考えからであったが。


 こうして俺は、無事にバウマンからしばらくの食料を買い取ることができた。

 出費ではあるが、今更こんなものを気にしてはいられない。 

 ……ついでに、調味料や古い鍋まで入っていた。


「さすがに今、こういうのは……」


 俺は中身を確認しながら呟く。

 嬉しいと言えば、嬉しいのだが……ちょっとでも自然に値を吊り上げようとしていないだろうか。


「必要だろ? お前のオヤジがよく言ってたことだぞ。メシは日々の活力の土台、苦しいときこそ腹に入れるもんを妥協しちまったらそっから崩れるってな」


「……よく、ご存知ですね」


 俺は袋の中をもう一度見る。

 確かに、今は苦しい状況だ。

 さすがに食べる物に手間を掛けていられないと、そう思っていた。

 だが、こんな状況だからこそ、何か息抜きの様なものが必要なのかもしれない。


「ここで暮らしてる冒険者は、この店を当てにしないとやっていけねぇクズばっかりだからな。お前のオヤジも例外じゃなかったさ」


 バウマンが乱暴に口にする。


『良い奴ではないか。良かったの、ディーン!』


 ……ちょっと納得してしまったが、丸め込まれているだけではないだろうか。

 しかし、鍋や調味料もありがたくいただいておこう。

 まともに金銭を使えるのがどれだけ先になるのかも、どうせわかりやしない。


『これで逃亡中も妾の飯を作ることができるぞ!』 


 ……余裕がない状況なので、さすがにそれだけはないぞ。

 今は食料の補充も満足にできないのだ。

 しばらくベルゼビュートには待ってもらう。

 バウマンの前なので口には出さないが、後で否定させてもらおう。


「で、お前は今、例のナルクと一緒なのか? この周辺でしばらく隠れてるつもりなのか?」


「……えっと、しばらくは……」


 バウマンが俺へと近付いて腕を伸ばし、素早くデコピンした。


「つっ!」


 い、痛い。

 意識が一瞬飛ぶかと思った。

 元冒険者なだけはある。恐らく、オドもそれなりに高いはずだ。


「きゅ、急に何を……」


「逃亡者が、簡単に予定や居場所を話すんじゃねえよ」


「バ、バウマンさん……」


 確かに、ここで余計なことを喋るべきではない。

 後々バウマンが軍に密告することなんて充分考えられる。

 《落物堂》の店主だから軍に話さない、なんていうのは俺の期待でしかない。

 冒険者ギルドを逃げ出してきてからずっと気を張り詰めさせていたのだが、バウマンが親身になってくれる姿勢をふと見せたせいで、つい気が緩んでしまったのかもしれない。


「オラ、とっとと行け。オレを巻き込むのは承知しねえぞ」


「は、はい! ありがとうございました」


 俺は頭を下げ、購入した荷物を手にバウマンへと背を向けた。


「……ヘマするんじゃねえぞ。ったく、マニちゃんほったらかして何やってんだか」


 最後にバウマンが、少し寂しそうにそう口にした。

 俺は振り返って小さく頭を下げ、そのまま《落物堂》を後にした。

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