第二十九話 呪痕魔法《カース》使い

 人狼化したカンヴィアが、涎を垂らしながら前傾姿勢で追って来る。

 速さが全然違う。

 片方が囮になるのならばともかく、二人揃って振り切るのは不可能だ。


 障害物を撒くのもカンヴィアに対しては無力だ。

 あの跳躍力の前には、ベルゼビュートに壁を崩させようがまともな時間稼ぎにもならない。


 俺は息を呑み、覚悟を決めた。


「……迎撃しよう、エッダ。カンヴィアが一人で突っ込んできてくれたおかげで、後続の奴の部下との間に距離が開いている」


 逃げる選択肢がなくなった時点で、元より反撃に出るしかない。

 投降したところで温情を得られるとはとても考えられない。


 魔導尉に魔導器を向ければ、俺達は本格的に後戻りできなくなる。

 ここを逃げ切っても、徹底して連中がしつこく追い掛け回して来るようになるはずだ。

 だが、今捕まるのが一番最悪だ。


「逃げるよりそっちの方が性に合っている。数に頼られては面倒だが、一対二でどうにもならない相手ではないだろう」


 エッダが魔導剣を抜きながらカンヴィアを振り返った。


「軍には前々から苛立っていた。丁度いい機会だ、ぶった斬ってくれる」


 俺もカンヴィアを振り返りながら魔導剣を振るい、魔法陣を浮かべる。


「《プチデモルディ》!」


 魔法陣を潜り抜け、造霊魔法トゥルパで造ったベルゼビュートの化身が姿を現した。


「今度こそ、奴を八つ裂きにしてやればよいのだなディーン!」


 時間を掛ければ後続が追い付いてくる。

 一瞬でカンヴィアを叩く必要がある。

 エッダとベルゼビュートがカンヴィアへと飛び掛かる。

 俺はベルゼビュートの背後に貼りつくように動いて隙を窺った。


「向けよったな、冒険者如きがこの俺に魔導器を!」


 カンヴィアが腕を振るい、魔導剣呪顔のゲールマールを掲げた。

 魔導剣とカンヴィアの能力がわかっていないのが不安だ。

 使っていた魔法からして呪痕魔法カース特化型であることは間違いないが、呪痕魔法カースの中には相手の姿を変えてしまうようなものもあると聞いたことがある。

 無暗に近づけば、取り返しのつかないことになりかねない。


「敵うと思っているのか、馬鹿共が! 格の差を見せつけてやるわ」


 《呪顔のゲールマール》を構えるカンヴィアの、《ウルフマン》の人狼化によって灰色の毛に覆われる腕の筋肉が、明らかに膨張した。

 俺は息を呑む。

 カンヴィアは《剛絶》持ちだったのか。


「くらうがいい!」


 カンヴィアが《呪顔のゲールマール》をぶん回す。

 ベルゼビュートの爪が弾かれ、彼女の身体が後方に跳ね飛ばされた。

 エッダも力負けして、押されていた。


「うがぁっ!」


「ぐっ!」


 ベルゼビュートが俺の後方で器用に着地する。


 ベルゼビュートとエッダが、同時に掛かって力負けするとは思わなかった。

 《剛絶》持ちとそれ以外の力差が激しすぎる。


「クッハッハァ! 綺麗な女を斬るときが一番興奮する! 軍人になってよかったぜ!」


 続けてカンヴィアがもう一振りをエッダへと放つ。

 エッダは魔導剣で防ぎつつ、後方へと飛んでいた。


 だが、さすがにこの人数差はこちらに大きなアドバンテージとして働く。

 俺はベルゼビュートと入れ替わりで前に出て、カンヴィアの晒した隙へと飛び掛かった。

 武器は一本だ。

 俺に意識を向ければ、逆にエッダがカンヴィアへと攻撃に出られる。


 カンヴィアが左腕を俺へと向けた。

 ……お前は素手で充分、とでも言うつもりか?


 だが、絶持ちの素手は侮れない。

 魔導器による闘気の強化は受けているし、絶持ちの素手は充分凶器に等しい。

 ヒョードルは《硬絶》を用いて、エッダの刃さえ凌いでいたほどだ。


「くらうがいい! 《メデューサ》!」


 カンヴィアは《呪顔のゲールマール》でエッダを牽制したまま魔法を発動した。

 魔導剣から出た光が、カンヴィアの俺へと向けている腕を覆っていく。


 ま、また、自分自身に発動する呪いか!

 カンヴィアの人狼化していた左腕が変異し、腕の先が無数の蛇となった。


「このっ……!」


 俺は《魔喰剣ベルゼラ》を振るい、一体の蛇の頭を落とす。

 だが、蛇は一気にその数を増していく。

 蛇が俺の腕に巻き付いたかと思うと、一気に俺の胸部や首を拘束し始めた。


「うぐっ!」


 蛇が俺を締め付け、身体を持ち上げ始めた。

 カンヴィアがニマリと笑った。


「一体、捕獲完了ってところか」


 意識が、遠のいていく。

 蛇が俺の身体に噛みついてくる。


「ディーンッ! この、化け物め!」


 エッダがカンヴィアへ斬りかかる。

 カンヴィアは片腕とはいえ、《メデューサ》による蛇の援護もある。

 エッダ一人で突破するのは困難だ。


 エッダの刃を、カンヴィアは悠々と《呪顔のゲールマール》で受け止める。


「ほう、冒険者にしてはまずまずの速さだ。さすがナルクの蛮族共といったところか。だが、俺を相手取るには軽すぎるんだよぉ!」


 カンヴィアはそのままエッダの刃を下へと弾いた。

 体勢を崩し、そのまま追撃を放つつもりだ。


 俺は《水浮月》で、腕を液状化させて纏わりつく蛇を透過し、強引に《魔喰剣ベルゼラ》を持つ腕を伸ばした。

 そのままカンヴィアの腰を突き刺した。


「うぐっ! き、貴様ァ!」


 カンヴィアは腰を回し、後方へ逃れた。

 ……当たったが、薄い。

 闘気の差のせいだろう、カンヴィアの肉にしっかりと刃が通らなかった。

 レベル差がある以上、もっとしっかり捉えないとまともな外傷にはならない。

 だが、これでカンヴィアの足を鈍らせることはできたはずだ。


 カンヴィアが離れたお陰で、俺に纏わりつく蛇の数も減った。

 俺は残る蛇を身体を振るい、《水浮月》で振り解いた。

 宙に舞った蛇を《魔喰剣ベルゼラ》で斬った。


 俺は、俺が逃げて来た道へと目を走らせる。

 障害物を突破したカンヴィアの部下達が既に迫って来ていた。

 すぐに逃げないと駄目だ。


 カンヴィアが自身の腰を押さえる。

 軍服に血が染みていた。


「お、俺の身体に、冒険者のクズ如きが刃を突き立ててくれたなァ! 貴様らぶっ殺してやる!」


 カンヴィアが目を血走らせて吠え、《呪顔のゲールマール》を上段に構えた。


「妾を、忘れてはおらぬだろうなぁっ!」


 ベルゼビュートが再びカンヴィアへ飛び掛かる。

 カンヴィアは《呪顔のゲールマール》の腹で弾こうとしたが、ベルゼビュートは身体で受け止めて刃に抱き着いた。


「ナイスだベルゼビュート!」


 俺はエッダに目で合図し、彼女と同時にその場から逃げた。

 部下が加われば俺達に勝機はない。

 一番足の速いカンヴィアの腰に、とりあえずの外傷は与えられた。

 

「クソがぁ! 冒険者如きが、この俺を馬鹿にしやがって!」


 カンヴィアの腕が更に膨張し、《呪顔のゲールマール》を振るってベルゼビュートを飛ばし、壁へと叩きつけた。


「むぐっ!」


 ベルゼビュートの姿が消える。


「カンヴィア魔導尉殿、お怪我は……!」


「こんなもん、なんでもないわ! 追ええ! 早く追ええっ! どっちもぶっ殺してやる!」


 距離は稼げたか、これで逃げ切れるかどうか……。

 部下達の足は、エッダはともかく俺よりは速い。

 カンヴィアも万全ではないはずだが、まだ追いかけて来るだけの気力は残っているようだった。

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