第二十八話 《呪顔のゲールマール》

 俺はエッダの腕を引いて街を駆ける。

 

「ど、どうするつもりだ。この街で、奴らに刃向かっても勝ち目はないのだろう? 大人しく、私が連れていかれた方がよかったのではないのか」


「今の軍は、様子がおかしい。あいつらに引っ張って行かれたら……多分、帰ってこられなくなる」


 エッダが息を呑んだ。


「だが、これからどうするつもりだ? 軍を相手にするのは、国を相手にすることと同義なのだろう。お前まで捕らえられることになる……」


「…………」


 正直、対抗策はない。

 あの場で捕まるよりは逃げなければと考え、その一心であった。

 相手の規模があまりに大きすぎる。


「とにかく、軍の拠点があるここは駄目だ。どこかの村で匿ってもらうか……エッダは、ナルク部族に合流した方がいいかもしれない」


 ……いつここへ帰ってこられることになるのか、その見通しもつかない。

 どう転んだとしても、マニにはもうしばらく会えないかもしれない。


「街の外に逃げないと……!」


 そこまで考えて、ガロックの一件のせいで街全体が警戒態勢にあることを思い出した。

 特に街門周辺は軍人がうろついているはずだ。


「伏せろ、ディーン!」


 考え事をしていると、エッダが俺の背を掴み、地面へ押さえ付けながらそう叫んだ。

 俺は体勢を崩し、その場に転倒した。

 顔を上げようとしたとき、俺の頭上を掠めて炎弾が飛んできた。

 背後の家屋の壁に当たる。炎弾が爆ぜ、壁が黒焦げになって円状に窪んだ。


 周囲の住民から悲鳴が上がった。

 俺は立ち上がりながら振り返る。


 カンヴィアがこちらに向かってきているところだった。

 部下の四人が魔導剣を向けて来ていた。


「この段階で、街内で魔法まで使って来るのか……」


 一人、足りない……。

 魔導尉は五人部下を引き連れて動くことが多い。

 今回も例外ではなかった。

 連絡に向かったか、仲間を呼んできたか、回り込むつもりなのか……何にせよ、これで街から逃れるハードルが上がった。


「魔導器使いは頑丈だ。多少無茶をやっても死にはせん。もっとも、殺しちまっても構わんのだがな」


 カンヴィアが部下を置いて距離を詰めて来る。

 闘気が俺達よりずっと高いのだ。

 先に単独で回り込み、部下と共に囲むつもりだろう。


「ハッハッハァ! 俺はついている! 魔蟇ロッガーがパンを背負って飛び込んでくるとは、このことだなァ! 貴様、ディーン・ディズマ、ヒョードルのときの男だな? これでこっちとしても、余計な建前を作らずに派手にやれるわけだ!」


 名前まで控えられていたのか!

 ヒョードルとの交戦の際に、彼が機転で軍に対して俺とエッダのことは伏せてくれていた。

 レベルに見合わない強力な魔導器を手にした冒険者は、軍に言いがかりをつけられてカモにされることが多いからだ。

 あのときのカンヴィアは俺とエッダのことは気にも掛けていないと思っていた。

 しかし、しっかりマークされていたようだ。


「魔導尉相手に逃げ続けるのは不可能だ。《瞬絶》のあるエッダだけでも、先に逃げてくれ」


「ば、馬鹿者! お前はどうするつもりだ!」


「咄嗟に仲間を庇ってしまっただけだと言えば、まだ通るかもしれない」


「そんな温い連中でないことは、私でもわかっている! ふざけたことを口にするな!」


「……悪い。貧民街の方へ行こう、あの奥地なら、軍人もほとんど通ったことがないはずだ」


 進路を曲げ、貧民街へと駆け込んだ。

 ここであれば、俺の方が地の理がある。

 エッダが僅かに背後へ目をやった。


「あの男単独ならば、私とお前ならば倒せるのではないか?」


 俺は首を振った。


「それは、無理だ。戦闘になったら、かなり厳しいことになる」


 魔導尉は例外なく強者だ。

 ロマブルクの冒険者の最上位格と同等以上と考えていい。

 上手く行けば撃退できるなどと、淡い期待は抱かない方がいい。

 二人掛かりでも勝てる見込みは薄い上に、倒し切る前に確実に部下に囲まれる。


 レベル上の魔獣や悪魔よりも、結局人間が一番厄介なのだ。

 人間は、闘骨と魔核から造られた魔導器を用いて戦う。

 そのため魔獣の高い闘気と、異界の法則である魔法を自在に操ることができる。

 そして悪魔より計算高く、魔獣より残忍だ。 

 弱みを突き、強みを活かして戦ってレベル差を埋める、ということが難しい。


「……それに、戦闘はできるなら避けたい。魔導尉に魔導器を向けて怪我をさせたとなれば、無事に逃げ切れてもかなりしつこく追い掛け回されるはずだ。もっとも……もう、そんなことを言っている余裕はないかもしれないけどな」


 正面戦闘は絶対に行うべきでない。

 だが、デメリットを承知の上で、魔法で攻撃しての足止めは行わなければならないかもしれない。

 ただ、魔力が勿体ないが……今は、間接的な妨害に留めておきたい。


「《プチデモルディ》!」


 魔法陣を抜け、ベルゼビュートが姿を現した。


「任せておれ、ディーン! 全てわかっておるぞ! あの腹立たしい醜男を、ぐちゃぐちゃにしてやればいいのだな!」


「魔力の消費を最小限にしたい! 周囲の瓦礫とゴミをひっくり返して、道を潰してくれ!」


 俺は叫び声を上げる。


「む……わかった。そなたがそう言うのであれば、仕方あるまい」


 ベルゼビュートが左腕で左側の通路のゴミ箱を薙ぎ倒し、右足で壁を崩して瓦礫を撒いた。

 俺はすぐにベルゼビュートを消した。


 これで、ほとんど時間をロスせずに連中の足止めを行うことができる。

 古い家屋が多い貧民街の環境が役立った。

 ……ここに住まう人には悪いが、俺も手段を選んではいられない。


「この隙に、振り切ってどこかに隠れよう!」


 ベルゼビュートにカンヴィアを足止めさせるのは魔力が持たない。

 造霊魔法トゥルパは基本的に、術者から離れると力が保てなくなったり、魔力の消耗が激しくなったりする。


「この俺から逃げ切れると思うんじゃねえぞ! 見せてくれるわい! 我が《呪顔のゲールマール》を!」


 カンヴィアが手に握った奇妙な魔導剣を掲げた。

 刃と柄が紫で、鍔の部分が膨らんでおり、奇怪な人面の装飾がなされていた。


「……本人に劣らず、気色の悪い魔導剣だ」


 エッダが舌打ちをする。


「正統派……ってタイプじゃなさそうだ」


「《ウルフマン》!」


 カンヴィアを中心に魔法陣が展開される。

 光に包まれたカンヴィアの姿形が変わる。

 爪が伸び、牙が生え、目は獣の如く殺気立っていた。


 カンヴィアの速度が一気に跳ね上がった。


「人狼化!? 自己強化用の呪痕魔法カースか!」


 カンヴィアが大きく跳び上がり、壁を三歩進んで撒かれた障害物を避け、派手に地面へと着地する。


「教えてやろうじゃねぇか。冒険者のカスと、軍人の、圧倒的な力の差って奴をなあ」


 カンヴィアが、俺達のすぐ背後で舌舐めずりをした。

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